すべてが宝物

2003年4月27日
昨日はダーツバー飲み会が流れ、随分ふてくされていたのだけど、今日は機嫌がいい。
今日から明日にかけて竜樹邸に泊まりに行けるから。

この家では紆余曲折いろいろあって、頻繁には泊まりに出れない。
申告すればさすがに阻止はされないけれど、あまり出歩いてばかりでも具合が悪い。
今日明日とこの家を空けるので、しないといけないことを朝からずっと片している。


外はやけにいい天気で、絶好のお出かけ日和。
こんな時は早く家を出て、竜樹邸に行って、竜樹さんの調子がよければ貴重なる外デートを堪能できたらなんて思うけれど、何度電話を入れても出られないことを思うと、体調よくないのかもしれない。
気を揉みながら用事を片していくけれど、どういう訳か片しても片しても用事はキレイに片付かない。
出るのが遅くなるのが嫌ではあるけれど、私の持ち分くらいは捌かして行きたいので、一生懸命用事を捌かした。


やっと用事が終わって家を出る頃には、日が心なしか翳って見える。
ちょっとでも天気がいい時間に動きたかったと思うけれど、今更どうこう思っても仕方がない。
たったと移動して、竜樹邸に向かう。

途中で食材を買い足しやっとのことで竜樹邸に着くと、竜樹さんはキッチンであれこれと作業をしていた。


「…あれ?竜樹さん、元気やったんですか?」

「いや、今日も調子は悪いねんけど、昨日意地になって食材を買いに出たのをきちんと整理しきれてないから、片付けようかと思って」

「私、食材買ってきてしまいましたよ」

「……………(-_-;」


幸いそれほど日持ちのしないものを買ったわけではないので、暫定的に保冷剤を入れ竜樹邸の中で一番涼しいところにそっと置いて、冷蔵庫の整理をする。


「そらちゃん、家でも用事してきたんやったらゆっくりしてたらええで?」

「いや、身体が動いてるうちに動いとかないとやる気なくすから」


冷蔵庫の整理が終わったら、今度は台所の洗い物の片付け。
食器乾燥機の中の食器類を片付けて、流しにある食器を洗い乾燥機に入れる。
何回かそれを繰り返して、竜樹さんがいるリビングへ行く。
私が作業をしてる間に竜樹さんはコーヒーを入れてくれてたらしく、マグカップについでもらう。

体調がいまひとつな竜樹さんは横になって、私は竜樹さんの近くに座ってお話。
竜樹さんが録画して溜めてたビデオを見ながら他愛もない話をしてる。
何がなくともそんな時間があれば、不思議とほにゃんとするのがなんだか不思議な感じがする。


「…霄、ちょっとおいでぇヾ(^-^*)」


横になったまま手を少しひらひらさせる。
近寄ってお布団に入り、そのまま抱っこ枕状態になる。
何をするでなし、ただくっついてるだけの状態で本当に竜樹さんに何かいい作用があるのかどうか首を捻ってしまうけれど、それだけで身体の痛みが紛れるというのなら喜んで抱っこ枕になりましょうって感じ。


…いつもそうしてるうちに眠ってしまうのは困りものだけど


暫く眠って目覚めると、そろそろ夕飯を作る時間。
竜樹さんはあまり食欲がないらしくすぐには食べられないということで、先に作っておくことにする。
買ってきて余分に買ってきてしまったので一体何から片付ければいいのか対処に困るけれど、竜樹さんが茄子と豆腐を早く食べてしまわないととおっしゃるので、茄子の煮物と肉豆腐にしようと思って、冷蔵庫をごそごそしてると…


「そらちゃん、面倒やし、麻婆豆腐に麻婆茄子にしたらどうやろう?」


…………………(゜o゜)


「そりゃ、楽は楽ですけど、似たようなものばかり2品もって…」

「俺あんまり量が食べれるわけじゃないし、今日は茄子で明日は豆腐でもええねん。
…あ、それか茄子も豆腐も一緒くたにして作るか?」

「そんなん作りませんよぉ( -_-)」


ずれた答に首を捻りながらも、結果的に私の負担が少しでも減ればという竜樹さんの気遣いから出たものには違いないから、麻婆茄子と麻婆豆腐を同時に作る。

あっさり作り終えたはいいけれど、冷蔵庫をよく見ると賞味期限が近づいてる豆腐があと1丁出てくる。

麻婆豆腐に麻婆茄子という何処となく濃いおかずを中和できそうな豆腐料理を考えた結果、薄味の肉豆腐を作ることを思い立ち、ごそごそと冷凍庫から肉を取り出し解凍を始める。
解凍した肉をさっと湯通しして、ダシと砂糖、醤油、みりんを足したものの中に入れる。
ふつふついい始めたら切った豆腐を入れて煮含め、最後に水溶き片栗を入れて完成。


「竜樹さぁん、ごはんできましたよ」
「ちょっと、手伝ってくれるかぁ?」
「はぁい」


湿布を貼ったり、薬を飲む準備をしたりして、できる範囲で手伝う。
本当は食べた後に飲むのが理想的なのだと思うけれど、先に痛みを抑えておかないと食事も取れないということだったので、今回は仕方がないのかもしれない。
薬を飲んで暫くすると竜樹さんは身体を起こせそうだということで、食卓にごはんを並べ始める。


「いただきます♪(*^人^*)」


なんだか妙な取り合わせの献立ではあるけれど、竜樹さんは喜んで食べておられる。
食べてくれる人が喜んでくれるなら、少々取り合わせがヘンでもいいということにしておこうかと思いながら、私も端を進める。
ゆったりとした食事の後は少しくつろいで、後片付けとお風呂。
食事の立ち上がりの時間が相当遅かったにもかかわらず、これほどまでにゆったりとした時間の使い方ができるのは、ひとえにお泊り会だからこそのこと。


「そらちゃんが泊まれれるのと泊まれないのだと、これだけ違うねんなぁ」


竜樹さんが何気に溢した言葉が少し胸に痛みを走らせたりはするけれど、今日はこれでお別れじゃない。
眠る時も起きる時もずっと隣に竜樹さんがいる。
明日竜樹邸を離れる時までは、違うことをしてても同じ場所にいる。


普段一緒にいられないことを取り上げてごちゃごちゃ思い煩うよりも、今一緒にいられる時間を大切にしよう。


一緒に片付けたりお布団敷いたり何気ない話したり。
そのすべてが大切なもの。


ふたりで育て上げる暖かな時間のすべてが宝物。



竜樹邸に行かない土曜日第2弾。
今日は学生時代の同期の集まりでダーツバーに行く予定。
2週続いて竜樹邸でゆっくりできないのが嫌だった以外にも思うところがあって正直あまり乗り気ではなかったのだけど、「滅多にないことだから、行っといで」と竜樹さんに背中を押された形で行くことにしたけれど…


いつもなら前日の夜には集合場所等の連絡が入るのに、昨晩は連絡がなかった。
連絡を待ちがてら友達と夜遅くまで話し込み、朝遅めに目が覚める。
携帯には依然連絡がない。

ごそごそと起き出して用意をしたりお昼ごはんを作ったりしながら携帯を眺めるけれど、さっぱり音沙汰がない。

幹事ちゃんからの連絡が姉さまのところで止まってることもあるので、姉さまに連絡をしてみたけれど、帰ってきた答は…


「ない( -_-) 」


時計はもう15時をまわっている。
この段階で連絡がないということは本気で流れたということだろう。


…にしたって、流れたなら流れたで連絡くらい入れよーよヽ(`⌒´)ノ


早い段階で予定が流れたと判れば、竜樹邸訪問に切り替えることができたのに。
竜樹さんが予定を入れてしまって竜樹邸に行くことができないなら、できないなりに他に何かするための段取りを組むことだってできたのに…

姉さまに問い合わせるのではなく、ダイレクトに幹事ちゃんと話してもよかったのかもしれない。
尤も、幹事ちゃんにダイレクトに問い合わせてたら、直接本人に対してその憤りぶつけてしまったかもしれないから、事を荒立てない意味ではこれでよかったと思っておいた方がよさそうだとは思うけれど…


予定が流れ、さりとて代替の予定を組むには遅すぎる。
何をするでなし、力なく作りかけのキットを触って時間を過ごす。
何をするでもなく時間を持て余していたのは姉さまも同じだったらしく、ちょこちょこと入るメールにちょこちょこと返事をし、姉さまが見てるネットのページを眺めてはまた文字のやり取りを繰り返す。

憤りは姉さまとのやり取りで柔らかくはなったけれど、脱力感は著しい。
そんなまま日付が変わってしまうのが嫌で、竜樹さんに電話してみる。


「…あれ、もう家に帰ってるん?」

「いえ、飲み会は流れたんです…"(ノ_・、)"」

「えー!、じゃあ1日どっこも行かずかぁ」

「そうです、こんなことならそちらに行けばよかったって思っとうよ」

「何それー!、中止になるならなるで早く連絡くれればええのになぁ」
「でしょ?」


すべてが終わってからこんな話をしても意味がないけれど、顛末を話さずにはいられなかった。


「明日は泊まりに来れる?」

「あ、それは予定通りです」

「そしたら、楽しみにして待ってるなぁ(*^-^*)」


竜樹さんとの会話で脱力感が和らいだ。
脱力感が和らいだついでに夜更かししてたら世話ないのだけれど…


幹事ちゃんが何かと多忙な方だとは知りながら、それでも竜樹さんといる時間を割いて作った時間をあまり無碍にせんといてよねという思いは消えない。
しつこいくらい念押しやら確認をしなかった私も悪いのだとは思うけれど。

今後時間を空けるなら、予定が確実な形で固まるまでは竜樹さんとの時間を残せる余地を作っておく必要はあるなぁということだけを痛感。


家に帰ればいつでもそこに竜樹さんがいる訳ではなく、
よく会ってる方だとはいえ、顔を見るのも飽き飽きするほど四六時中顔を合わせられる訳でもない。
互いが元気な状態でいるのが当たり前で、元気を持て余し有り余る時間の中で会ってる訳でもない。
元気な状態ならば目一杯互いにそのありがたみを享受したいし、竜樹さんの具合が悪い状態で会うのなら少しでも竜樹さんの助けになれる働きができるように努めたい。

どんな状態であっても、竜樹さんと一緒にいる時間を大事にしたいって思ってるんだよ。

あなたにとっては瑣末な時間であったとしても、私が大事だと感じてる時間を空けてる以上は中止になるなら中止が決まった段階で連絡ください。


誰にとっても時間は無尽蔵にある訳じゃないのだから。


それを少しだけでいいから心の隅に留めといてくれたらありがたいのだけど…


そんな風に言ったらどんな表情されるんだろうか?
「いつまで経ってもラブラブねぇщ( ̄∀ ̄)ш」と茶化されるか、「そこまで言うならもう来なくていいよ」と言われるか。
他人様の反応を予測し出せばキリはないし、それを億面なく表明して事を荒立てるつもりもないけれど。


身動き取れずに意味もなく潰れていった時間は間違いなく戻っては来ないものだから…


次にみんなで集まる時にそんな鬱屈が表に出ないように。
明日・明後日との時間の中でちいさなとげとげをまぁるくしておきたいなぁって思う。


竜樹さんの空気に触れれば、間違いなくとげとげは落ちていくから…




昨日も微妙に調子が悪かったのもあるのかもしれない。

窓の外の空が鈍色で、雨が降ってたからかもしれない。

お客様が身体の中で大暴れしてるからかもしれない。


どれが原因なのかすら判らないけれど、朝からずっと吐き気付の頭痛に苛まれる。


こんな天気の日は、殆ど例外なく竜樹さんの具合も悪いんだってことは判ってる。

竜樹さんの具合の悪さがひどい時は、食事すらろくにとれないことも判ってる。

こんな時だからできることがしたいと思うし、するのが当然だと思うのに、身体を起こしても、横になっても頭痛も吐き気も抜けやしない。


こんな時に限って薬まで切らしてる。

薬飲んで騙し騙しでも動けるなら動きたいのに、どうしてこんな時に限って常備薬がないんだろう?

自分で自分に恨み言ひとつ。


個人的な用事が自らの体調不良によって流れることは別にどうだっていい。
模型にも触れられず、本も読めず、パソコンにも触れられず1日寝て過ごすのはもったいないと思うけれど、もったいない以前に肝心な時に役に立たない自分の無力さの方がよっぽど気に触る。


外はいつまで経っても雨。
湿気の塊さえ退いてしまえば、少なくとも竜樹さんの体調はだいぶ違うだろうに。


ぐるぐるぐるぐると思考は無限ループを描き、そうして1日が終わってしまう。


やるせない思いだけ抱えた1日。



「いつか」の選択肢

2003年4月19日
昨日1日睡魔と戦い疲れて、ひとしきり家ですることを終えるとごとりと眠ってしまった。

頭の奥で携帯メールの着信音。
ごそごそと携帯を取り出してみると、友達からメールがひとつ。
意識はまだはっきりしてないのでメールの詳細は非常に掴みにくいのだけど、ちょこちょこと飛んでくる続報を見てるうちに直接話を聞いた方が早い気がして電話してみる。


電話したこと自体にびっくりはされたみたいだけれど、そこから電話での会談スタート。
話をしてるうちに整理されていく物事もあれば、どうしようもない物事も見えてきて、感情の動きは慌しいままなのだけど、ただ友達が落ち着いた気持ちで休めたらと思って延々話をしたり話を聞いたりしてる。
途中数分のインターミッションはあったものの、結局会話のペースは衰えることなく、気がつくと朝になっていた。

姉さまとの約束は夕方からになるだろうとはいえ、寝ずに食事会に出向いて具合がいい筈はないからと、暫しの睡眠をとる。


数時間後、姉さまのメールの着信音で目が覚めた。
ぼんやりと返事を打ち、うっかりそこからまた少しだけ眠ってしまった。
待ち合わせの時間までは余裕があるとはいえ、外は雨が降っている。
雨の日は何もかもが遅れがちになるから少し早めに家を出なきゃならないのだけど、何となく本調子でないのでぐずぐずしてしまう。

そうこうしてるうちに、到着時間が待ち合わせの時間より微妙に遅れそうだということが判明。
電車で移動しながらメールを飛ばした。

すぐさま返事が返ってきたので「何事?」と思ってると、姉さまもまた遅れるらしい。
これが幹事ちゃん主催の行事でなくてよかったと、つくづく実感。
来週は気をつけねばとヘンな決意を固めて、移動を繰り返す。


…ちょうど私が待ち合わせ場所に着いた頃、姉さまも待ち合わせ場所についたらしい


相変わらず2人寄るとこんな感じやなぁと笑いながら、やっぱり「来週は気をつけようね」なんて言ってる(笑)
ディナーにはまだ少し早いからと、前に探し回っていったショップに行ってみようと歩き始めるけれど、私も姉さまも記憶がはっきりしなくてどこを目指して歩いているのかわからない。
早々に断念して、暫したらたらと歩いている。


姉さまが立ち止まったので振り返ると、ショーウインドウにグレイトフルデッドベアが並んでいる。
姉さまのマイブームはグレイトフルデッドベアらしい。
すぐさまショップに入って探索を始めることに。

探しても探してもグレイトフルデッドベアには出会えず、うろちょろうろちょろ。
階段を上がったり降りたりしながらようやくクマの大群を発見。
ショップの人と話したりあれこれ物色したりして、結局ちっさなクマの子2体お買い上げ。
私は6月に出る新作のひとつに惚れてしまったため、また次回来ることに。


「そろそろ行こっか?」
「うん、行こ」


前回はランチを食べたけれど、今回はディナー+デザートの会。
お店に入ると結構人が入っててびっくり。
「予約を入れとけばよかったかな?」とは思ったけれど、食べる席は確保できたのでよしとしましょう。

メニューを見て、どれを食べるか迷う迷う…
単品ものをいくつか取ってもよかったのだけれど、どれを選べばいいか余計に迷いそうだったので、コース料理にすることにした。

ディナーが届く前に頼んだ石榴のソーダがなんだかとても気に入って、ひとりご機嫌さん。
程なくして、スープが届く。
レンズ豆のスープは前回のランチデートの時にも出てきたのだけど、妙に舌触りがよく、スパイスが沢山入ってそうな割にはあっさりと通っていく感じ。

スープを飲み終わると、今度は冷製オードブルが4品乗ったプレートが来る。


「金岡さん、きゅうり食べれる?」
「能動的に食べたいものじゃないけれど、食べれなくはないよ」
「…ごめん、貰ってくれるかなぁ?」


オードブルの間仕切りに使われてたきゅうりを私のプレートに積んでいく姉さま。
話をしながら、ゆったりと食事を続ける。

オードブルを食べ始めて暫くすると、ゴマののったパンが届く。
ちぎってみて、びっくり。
切り口から蒸気が吹き出す。


「金岡さん、マニキュアが溶けちゃった(^-^;」


………………Σ(゜д゜ )


恐るべきパンとオードブルをあわせて食べると、かなり美味しくて手が熱いことをすっかり忘れてしまった。

そうしてるうちに、今度はピザ。
モッツァレラチーズとトマトのシンプルなピザはとても美味しくて、ぱくぱく生きたいところだけど、このピザもまた異様に熱い。
パンにしてもピザにしても手が熱くなり過ぎるのは難だけど、作りたて焼き立たてのものは美味しいということを改めて実感。

取り留めなく話しながら、美味しいものを食べてる時間は楽しい。


次のメインの料理のプレートがなかなかやってこないので、ちょっと手持ち無沙汰になってしまって、暫く会話onlyになる。

姉さまも私もさりげなく近くにいるお客さんの様子を観察したりするのだけど、反応するところが同じようなところなので、顔を見合わせてはくすっと笑ってしまう。
肩を揺らして笑いそうになるのを二人して堪えながら、次のプレートが出てくるのを待つ。


ようやっと出てきたプレートは、10種類ほどの肉料理とちいさなピラフ、ニンジンと紫玉ねぎのピクルスの乗った豪華版。
見た目似たような感じがしないでもないけれど、食べるとみんな味が違ってびっくり。
牛肉・鶏肉・ラムの料理がそれぞれ2口ほどで食べきってしまいそうな量でちょこちょこ乗ってる。


「金岡さん、今日はカメラ持ってこなかったん?」
「ここで写真撮ったらフラッシュつけんなんでしょ?思いっきり目立つと思わない?」
「確かにね」


プレートが出てきて写真を撮る度に人に見られるのはなんだか気恥ずかしいけれど、写真撮っておくとあとあと判りよかったかなぁとちょっと後悔。
それでも写真撮りをしない分、食べることにも話すことにも集中で着てよかったかもしれない。

メインの後は、ライスプリン。
ヨーグルトベースで中に柔らかなお米が粒を残した状態で入ってる。
上にかけられたシナモンの香りがよくて、2人ともご機嫌。


「…結構おなかいっぱいになったねぇ」
「でも、最後のが残ってるよ」
「…そうでした(^-^;」


「最後の」とは、のびるアイスクリーム。
私たちが他のメニューを食べてる間にも、他のお客さんが注文してて店員さんが風変わりな運び方をしてるのをちらちら目にしながら、「デザートはあれが出てくるのかなぁ?」と2人して楽しみにしていたけれど、オプションで頼まないとならないと判明。


おなかは一杯だったけれど、のびるアイスクリームを注文した。


店員さんがアイスの入った大きな瓶みたいな入れ物の中を長い棒でぐちゃぐちゃ混ぜてたかと思うと、棒の先についたアイスをコーンの上にぺたりぺたりなすりつけていく。
コーンをさかさまにして棒の先に立て、こちらへ持ってくる。


アイスクリームの運ばれ方にウケ、食感にウケ、スプーンの上でアイスが逃げる様にウケ。
それは私たちだけだったのかもしれないけれど、奇妙に賑やかになれるデザートだった。

「めっちゃ甘いらしい」と聞いてはいたけれど、甘いというよりも食べるとおなかにずしっとくるような感じがするといった方が正しいかもしれない。
大概甘いものは好きだけれど、ちょっとあっさりした飲み物で口直しがしたくなるほど、重たいお菓子だった。


そうして最後に出てきた紅茶でしめて、ディナー終了。

それでお開きにならないのが、私と姉さま。
また別の店に移動して、アイスティを飲み飲みまたお話。


お話に興じ過ぎてて、2人とも時計を見てびっくり。
乗換えを繰り返す最後の路線の電車が終電になるかならないかの極めて微妙な時間帯。
慌てて店を出て足早に駅に向かい、駅でお開き。


…って、また来週会うのだけどね(^-^;


楽しい宴が終わった後は、ちょっとした満足感と適度な疲れがやってくる。
ついこないだまで、土曜に予定を入れると竜樹さんとの時間を削らないといけなくなるからやだーなんて思ってたのに、出かけてみるとちゃんと楽しめるもの。


…今日の料理なら、竜樹さんが食べても大丈夫


スパイスが効きすぎた料理はぺけな竜樹さんでも具合を悪くされずに食べることができそうな料理だったから、遠出をしても大丈夫な状態になったら竜樹さんとも出かけられる。

竜樹さんと会えない時間にもいろんなものに触れて、「いつか」の選択肢を増やしておこう。
そんな風に前向きにいろんな出来事に触れられたなら、その時間は間違いなく生きたものになるような気がするから。


楽しみ疲れした頭でそんなことを思いながら、妙に盛り上がってる週末の電車を乗り継いで家まで帰った。



竜樹邸から帰ってきて、家でするべきことを一通り片付けて、久しぶりに友達と夜遅くまで語り合う。
うっかりすると寝る時間を忘れそうになるくらい話に興じてしまう。

時間を見て泣く泣くお話を終えてはみたものの、なかなか寝付けずこないだみたいに作りかけのキットの続きに手をつけてしまう。
あぁでもないこうでもないとぶつぶつ考えながら触ってると興が乗ってくるのか、ヘンに集中力があがる。

気がつくと、窓の外の空が明るくなりつつあってびっくり。
慌ててほんの少しの睡眠をとる。


外はよく晴れていて、暑くなりそうな感じ。
ねむねむが過ぎて大事なものを家に置き忘れてきたことに気がついたけれど、ねむねむ頭が今の私には却っていい作用を為すかもしれないなんて呑気なことを考えつつ、いつものように携帯をこちこちこち…
頭の回転は若干鈍ってるのは否めないけれど、その分鬱々にもとっ捕まりにくいかもしれない。
今日1日乗り越えたら愛しの週末だと、連日繰り返してるお題目を唱えながら社屋に入る。


…たまにはねむねむも役に立つやん?


親会社の人の話もいつものようにすぱーんと頭の中に届かないので、いちいちかちかちとこない。
かちんと来ても、電話を切って暫くしてじんわりやってくる程度で、それくらいタイミングがずれると逆にそれほど腹も立たないで作業ができる。
それは鬱々に対しても同じような作用をなしてくれたので、ありがたいなと思ったり。

慢性的に睡眠不足が来ると、さしたる理由もなく鬱々したりいらいらしたりするものだけど、本当にたまーにねむねむが強い分には却って健康的に作業ができるかもしれない。


ぼんやりぐんにゃりしながら、仕事の中でミスを出さないようにだけ気をつけて作業してるうちに、お昼休みになった。


今日は竜樹さん、外出するらしい。
社屋にいるのがもったいないくらいの青空に、心地いい温度。
本当は一緒に外出したいけれど、そんなことを言い出したらキリがない。


「竜樹さんはいかがお過ごしですか?
私はねむねむでございます。
でも、ねむねむのせいか、鬱々には捕まらないで済んでいます。
たまにはねむねむも役に立つものですね。
昼からも頑張ります」


竜樹さんが心配するのは鬱々でがくーんとへこんでること。
それがないことだけが判ってたら、他のことはともかくその点に関しては竜樹さんが気を揉まなくて済むから。
それだけを伝えて、眠りそうになりながらごはんを食べ、ゆらりゆらりとボスティと後片付け。


昼からはさらにゆらりゆらりとしながら、仕事を片付ける。
ゆらりゆらりとしてると失敗のひとつかふたつやらかしそうだけれど、鬱々に捕まってる状態できりきりやってるよりかはうんとマシだから。
ゆっくりゆらゆらと仕事を片付けた。


それでも疲れは来たらしく、電車の中ではうつらうつら。
「週末だから寄り道しよう♪」とちょっと遠出はしたものの、結局何を買っていいのか判らず回れ右。
余計に激しくねむねむに引きずられる形になったけれど、結局1日中鬱々に捕まらずに済んだのはありがたい。


…竜樹さんの前でこんなにぐんにゃりしてたら、喜んで抱き枕にしはるんやろうなぁ


ぐんにゃりしてると好き放題なさるのでちょっと困り者だけど、抱っこ枕してる時の竜樹さんは確かに幸せそうだから。


今度は疲れの色が見えてない程度に、ぐんにゃりして竜樹邸にお伺いしてみましょうか。


たまにはゆらゆらしながら、ほわんとした竜樹さんと向かい合ってみるのもいいかもしんない。



ちょっと反芻

2003年4月17日
昨夜はどういう訳か、何もせずにぽてんと眠ってしまった。
眠ってしまった時間は私にしては随分早い時間だったはずなのに、目が覚めてから思わず二度寝しかかってしまった。
慌てて用意をするにもなんだかだるくて出かけること自体が嫌になってくるけれど、あと2日で愛しい週末が来るのだからと言い聞かせて家を出る。


いい天気で吹く風は心地いい。
花粉症の症状が微塵もなかった頃ならただそれだけを喜べたけれど、鼻がくすくすすることで今日は盛大に花粉が飛ぶような予感が掠める。


…それは見事に的中した(-_-;)


幸い仕事がそう立て込んでなかったからよかったけれど、鼻をかみながらの電話応対は結構辛かったりする。
電話ラッシュがひと段落し、通常フローもはけて、ちょっとぼーっとする間ができた時、ふとちょっと前に竜樹さんと話したことを思い出す。


「そらちゃんはなんだかんだ言っても、逞しくなったよなぁ」

「…身体は年々丈夫でなくなってきてますけど(^-^;」

「いや、俺が少々ひどいことを言ってもめげずについてきてくれるやんか?
あれはなかなか出来へんねんで」

「そうなんですか?」

「なんか、そらちゃん、ベタみたいやなぁって思うねん」

「…え?私、ベタやんですか?」

「だから、何でそうストレートなネーミングするんや?そらちゃんは…(^-^;」


ベタが誉める形容として適当かどうかは、人それぞれの解釈もあるからどうとも言えないけれど、竜樹さんにとっては誉め言葉らしい。
少々のことではへたばらず、ひらひらと泳ぎつづける様が竜樹さんにとってはお気に入りだそうだけど…


…それでも、グッピーとかって言われた方が女の子らしくてよかないですか?


竜樹さんがベタを気に入ってるのだからいいじゃないかとも思うけれど、「ベタねぇ…」とかって思う自分もいたりして、ちょっと複雑。


その話題が出てまた数日後、竜樹さん、今度はこんなことを言い始めた。


「ベタって強いから、ビニール袋に水と一緒にベタを入れて酸素詰めて売られてたりすんねん」

「あぁ、ベタやんのごはんを買いに行った時によく見ましたね」

「確かにあぁしててもベタは強いから死なへんねんけどな。
酸素が足りないとベタの色ってどんどん黒ずんでくるねん。
やっぱりちゃんと空気が取り込みやすい入れ物に入ってるベタの方が色がきれいねん」

「あんまり厳しくしてると、私も黒ずんできますよ」

「それが嫌やから、きつく言うのやめようと思ってんねん」

「でも、気がついたことは言ってくれはったらいいんですよ?」

「うん。けど、そらちゃんが黒ずんだらどないしょうって考えたら、俺が白髪だらけになるから。
厳しくいくのはやめやぁ」


甘やかされるばかりがいい訳じゃないから、気になることがあったら言ってくれたのがいいのだけれど、ほにゃんとした表情でそんなことをいわれると何だか嬉しかったりする。


…「ベタは手がかからなくていい」と仰ってた割には、マメに面倒見てはったもんね


そんな竜樹さんにかわいがられるのは嬉しいんだよ。


しかしなんでまた、こんな日に思い出すのだろう?
思い出してることは私にとってはふっくらしたエピソードなのに、今の私は人外魔境で鼻をかみかみ電話がかかってくることを少々げんなり受け止めてたりする。
その落差があまりに激しくて、我に返るとヘンな笑いが出そうになるけれど。


鼻をかみながら、目をこすりながら、仕事をする毎日。
どっしようもないところにいる私の周りには確かに竜樹さんとの暖かな時間のかけらが取り囲んでいて、それはすぐ手に取れるところにある。
それにいつでも浸ってられる訳ではないし、どかーんとくることも妙な鬱々にとっ捕まることもあるけれど。


竜樹さんの大好きな、逞しいけれど、優雅に泳ぐベタのように。
竜樹さんが望む、ポヨよ〜んとふくよかな私に。
そのすべてを手に入れて、竜樹さんの笑顔を手に入れて。
2人で幸せな時間の中で泳ぐように暮らしていけたらいいなぁと思う。


人外魔境で鼻をかみかみげんなりしながらも、強い風が花粉を連れてきたついでに届けてくれたような、数日前のあまやかな時間をちょっと反芻してみた。



昨夜は竜樹さんと少し話した。
他愛のない話から、一昨日かちんときた電話の話まで、竜樹さんの体調が許す範囲で話していた。

電話の話では、今まで考えもしなかったような方法を教えてもらって目から鱗。

説明をすっとばして、するべきことをただ端的に指示すればいいとのこと。
「いちいち順序立てて説明してやる必要はない」という考え方はいかにも前の会社の教えらしいなあと思いながら、「なるほど」と思う部分も多い。

指示が足りないとどんな辺りですっ転ぶかがある程度見えるから、それを回避できる点について説明をするのだけれど、聞いてる人間はそれを把握しきれるわけじゃないということ。
それなら必要なことだけ伝えて、判らないことがあれば相手から聞いてくればいいという考えは気力も労力も削がないいい方法かもしれない。

あまり前の会社のやり方を推し進めすぎると、今の会社では少々ぶっきらぼうになりすぎる感はあるけれど、それでも無駄に気力も労力も削ぐよりはマシなんだろう。

ひとまずやってみて、ダメなら次また考えるというやり方で推し進めることに決めて電話を切る。

それから何となく寝付けずに、暫く放っていた作りかけのキットを作り始める。
興が乗ってたせいか、時計を見てびっくり。
朝方になってしまってたので、慌てて横になった。
ほんの僅かな睡眠の後、人外魔境へGO!


昨日とうって変わって、今朝はよく晴れている。
今日は竜樹ファミリーはお墓参りに行くと仰ってたから、ちょうどよかったかもしれない。
随分前に竜樹さんと一緒にお参りしたっきりだから、会社が休みなら私も行きたかったのだけど、それはまたいずれ。
朝からきりきり仕事を始める。

用件の伝え方を端的にしてみると、確かに殆どの電話については非常に楽にはなったけれど、解釈の仕方が微妙にずれてるお嬢さんはいつまでもずれっぱなしでがっくりこっくり。
それはそれで諦めるしかないかと、ひとまず電話を置いて気をひとつ吐き、また次の仕事を進めていく。
いつもよりか、多少、本当に多少だけど疲労の蓄積の仕方が緩やかな感じで昼休みを迎えた。


「いい天気ですね。
お日様の力をいっぱい蓄えて、おじいさんのお墓参りに行かはるんですね。
心なしか肌寒い気がするので、暖かくして出かけてくださいね。
私も昼から頑張ります」


そう送ってからふと、昨日のてるてるがあまりに不出来だったことを思い返し、思いつくままキーをこちこち。


「 |
 (∵)
/人\

てるてるの改良版です。」


これで1日晴天続きだとは思わないけれど、竜樹ファミリーがお墓参りからお帰りになられるまでの天気を維持できたらなんて思いながら、昼ご飯を食べ始める。


昼からまたきりきりと仕事を始めるけれど、どうも鬱モードを加速させそうな案件が増えてきて、どんどん気持ちが沈んでくる。
対処療法の知恵が増えてきても、追いつかないことが多すぎる。
それは親会社の甘えから来るものであるのには間違いないし、そんなこともまた今に始まったことじゃない。
親会社も子会社も揃いも揃って「お馬さんの耳になんまんだー」なんだから、根本的に解決できるかもなんて考える方がここではおかしいらしい。


家を出れば仕事は辞められないし、仕事を辞めたら家を出られない。
そのどちらを選んだとしても、決して機嫌のよい結果などありはしないと知ってるし、強いて言うなら、仕事辞めずに家を出た方が竜樹さんといられる時間を維持しつづけられることも判ってる。

そう判っててもこの場で居直ることは出来ず、やっぱり気持ちは沈むだけ。
こんな風に今日は沈みっぱなしで終わるのだろうと思ってた。


でんでろりと事務所を後にして、たらたら着替えて自転車を転がす。
「明日もまたあぁなのだろうか」と思うとげんなりしてくる。
どこにも寄り道する気になれず、駅へ向かっていると携帯に聞き覚えのある着信音。


「そらちゃん、今日は何か予定あるかぁ?」


暖かくやわらかい声。


「…や、予定はないですよ」

「来れるなら今からおいで。晩ごはん作ってあるから」

「はーい♪o(^-^o)o(^-^)o(o^-^)o」


急遽、竜樹邸に行くことになって、さっきまで抱えていた鬱屈は何処へいったのやら。
駆け足で電車に乗り込み、移動の度にホームをダッシュ。
会社では立ち上がるのにも気力を起こさなきゃならないくらいぐったりしてたのに、この元気っぷりは何?
そんな現金さ加減にちょっと笑ってしまうけれど。
最短時間で竜樹邸に到着できるよう、徒歩での移動はすべてダッシュしてた。


「…あれ?早かってんなぁ」

「徒歩での移動はすべて走りましたから♪(*^-^*)」


ほにゃんとした笑顔にようやく固まった表情も和らぐ。
竜樹さんに注いでもらったお茶を飲み、一段楽して楽しいごはん。
今日は長時間の運転できっとぐったりモードだろうと、私も竜樹さん自身も思ってられたようだけど、食卓に並ぶごはんはとても元気のない人が作ったとは思えない品数。


「いや、このうちの二つは、親父の差し入れ(^^ゞ」


それを差し引いても…ただただびっくり。
そのどれもこれもが美味しくて、また幸せ。
おなかも心も満足な状態で、楽しい夕食の時間は流れていく。


ふと、昨日の夜に姉さまから届いたメールのことを思い出す。

急遽、再来週に同期の飲み会が決まり、それに伴って姉さまとの食事会が今週末にずれ込んだこと。
2週続けて土曜日が潰れるのが嫌なので、飲み会を断るか食事会を延期するか迷ってると話したら、「行っておいで」と竜樹さん。


「そうしたら、2回土曜日が飛びますよ?」

「来れるなら日曜日に来てくれたらいいし、平日でも会えるやん?」

「それでも…」

「行ける時に行った方がええで。話を聞いてたら、俺では連れってやれそうにないからさ。
そらちゃんが行って楽しかったら、また一緒に行けるかもしれへんし、な?(*^-^*)」


迷いを残しつつ、結局両方参加することになってしまった。
2週続いて土曜・日曜連続で外出するのが続くと、身体の方がついてかなくなるかも知れないけれど。

長時間いられる日に出向くことが仮に出来なくなっても、こんな風に急遽暖かさをお裾分けしてもらいに来れるし、短い時間でも竜樹さんの役に立てるかもしれないなら、こんな週があってもいいのかもしれない。


こんな事態が生じても生じなくても、竜樹さんといられる時間は私にとっては特別なもの。


何をおいても大切なもの。



今日は朝から小雨がぱらついている。
今年に入ってから、しょっちゅう雨が降ってるような気がする。
雨がまったく降らなくなったら降らなくなったで問題があることは判ってはいても、私にとっても竜樹さんにとっても雨は心身ともに面白くない状態を連れてくるので歓迎する気にはなれない。


どことなく鬱々感を引きずった感じのまま、仕事を始める。

相変わらずこの人外魔境に機嫌のいい話なんてあるはずもなく、胃も気持ちも締め上げられていく気がするけれど、昨日ほどに訳の判らない日本語を話す人には出会ってないので、その点では幾分マシだと思える。
落ち着き払うにはフロアの中ががさがさしてるけれど、これが本来のこのフロアの雰囲気なのだろうと思うと、さほど癇に障ることなく仕事を進めてはいける。


時折、意識をずらして小さな窓を覗くと、鈍色の空が薄らぼんやり見える。
そして窓を叩いていく雨の音から降りの強さを感じ取れる。


…竜樹さんのお加減はやっぱり悪いのかなぁ?


「雨が降ってても元気だよ」ということの方が極めて稀だというのもまた今に始まったことじゃないのだけれど、雨が降ると気にかかるのは竜樹さんの体調のこと。
私自身も雨が降ると頭が痛くなったり鬱っ気がさらにひどくなったりとろくなことがないのだけれど、自分に降りかかるろくでもないことよりも竜樹さんの中に継続的にある痛みが更にひどくなることの方がずっと辛いから。


…早く雨なんてあがればいいのに。


そう思いながら仕事をしているうちに、昼休みになった。


フロアにいる社員さんたちがご飯を食べてる間、こそっと携帯を取り出しメールをひとつ。


「雨です。
竜樹さんのお加減が悪くないか心配です。
早くやむといいなぁ。
てるてるぼうず作ろうかな?


(∵)ハハウエサマ…
(■)

そら」


「これではどう見ても、てるてるぼうずじゃなくて、雪だるまじゃないかぁ」と自分に突っ込みを入れてみたりするけれど、思考能力が雨でずたぼろになってる状態ではこれが精一杯だった。


お返事はなくてもいい。
つまらないメールの最後にあるてるてるぼうずを見て「これ、雪だるまやん」って笑ってくれてたらそれでいい。
それで竜樹さんの痛みが和らぐなんて思いはしないけれど、ただ少しの間でも気持ちが痛み以外の方向に向けばそれでいいって思って、そっと鈍色の空にメールを飛ばし、慌てて昼ごはんを食べる。


雨は降り止まない。
それは気持ちを塞いでいくけれど、なるべく早く雨がやむことを願って。
竜樹さんの身体から痛みが少しでも抜けてくれることを願って、また仕事を始める。


昼からのフローをだかだかこなし、15時休憩のお茶を配り歩き、最後の大仕事に臨む頃、鞄が隣でことこと揺れる。


「晴れたぁー(’v’)/ (^^)/。
おみごと!見事雨があがりましたっ!
今、楽になりました。
効果、あったみたいだね。
残り時間ものらりくらりと、ねっ!」


今からの時間は決してのらりくらり過ごすことは出来ないのだけど、きりきりしすぎてない、ぼんやりした私がいいと仰る竜樹さんにはきちんとお応えしたい気がする。

席を離れて、踊場の小さい窓から帰ってきたお日様を眺めて深呼吸。
残りの時間はやってくるものに対して、きりきりいらいら向き合わないように気をつけながら、たったか仕事を片していく。


残り1時間を切ったところで、またもや鞄がことことこと。


「あと50分。のらりくら〜り、ぽよよ〜んっと(~~)/」


かわいらしい調子で続くメールを読み、またほにゃんとなる。
いつもなら電話の着信音を聞くだけでげんなりしてたけれど、竜樹さんのメールを見返し見返し乗り切る。


事務所を出る頃には、少し赤みがかった青空が広がっていた。
身体に疲労感があるのは否めないけれど、それでもちいさな竜樹さんの言葉があったから比較的問題なく事務所を出られたんだと思う。


竜樹さんの気持ちを少しでも明るく出来たらと思って送り出したお粗末なてるてるぼうずは太陽を呼び戻し、竜樹さんに少しばかりの元気を呼び戻す。

それが偶発的な物事が重なったに過ぎなかったとしても、その連鎖は間違いなく自分自身に返ってきた時、少しばかりの安心と沢山の喜びを連れてくるには違いないから。


ちいさな願いが幸せを連れてきた。
その幸せを育てて、いつかもっともっと暖かくてまぁるい自分になれるように。
その自分ごと竜樹さんにささやかでも幸せ届けられたらって思う。


てるてるが連れてきた青空に思う。


なりますとも。

2003年4月14日
先週は暖かな日が多く続いたのに、今朝はどこか肌寒い。
暑くなったり寒くなったり気温が落ち着かないと、身体もどこか落ち着かない。
おまけに雨が降りそうな感じの空模様。
「会社行きたくないなぁ」と思うのは毎度のことだけれど、それに乗っかって休む訳にもいかないから、仕方なく家を出る。


外は少し寒い。
暖かすぎる日もあれば4月にしてはやたら寒い日もあって、身体がなかなか順応できない。
身体の調子がいまひとつなのはストレス過多もあるだろうけど、不安定な天候に依るものでもあるのかもしれない。
身体の調子が悪いから気持ちが沈むのか、それとも気持ちが沈むから体の具合が悪いのか。
考えても仕方のないことをぶつぶつと考えながら、社屋に向かう。


週明け早々、フロアにいる課員さんはまばら。
ボスと部代は相変わらず賑やかで、事務所に残っている課員さんがいない課員さんの分まで業務のフォローをしている。


「事務所に人が少ない時ほど、火急の案件が舞い込む。
火急の案件が判る人に限ってその場にいないし、連絡もつかない」


誰が明言したわけでもないのだけど、この事務所にはそんなお約束が横たわっている。
案の定、いない人の物件にばかり厄介な問題が舞い込む。
私の手に負えないような複雑な問題は他の課員さんに移管するけれど、独力で解決できるものまで振ってしまうには、明らかに尋常な立て込み方じゃない。
フローにしたがってたったか片付きそうなものに関しては極めて事務的に処理していくけれど、他の人に振るには中途半端な案件がいくつかやってくる。


この中途半端な案件それぞれに共通するもの。

即効性の回答を出せる人は、もれなくこの事務所にはいないということ。
依頼をかける相手は、闇雲に即答させたがること。
相手に確認してもらわなければならないことを問い合わせると、自ら調べようとせず、鸚鵡返しのようにこちらに調べさせようとすること。
頭の回転にもちょっとブレーキがかかる感じの体調だったからすぐにはかちんとこなかったけれど、電話を切って改めて「…っはぁ?」って思うことばかり。

日本語を主の言語として話す人と話をしてるはずなのに、あさって向いた解釈をされたり、全然論点がずれてたりする相手と接していると、自分の日本語が決定的におかしいのか、相手の言語能力が壊滅的なのかすらよく判らなくなってくる。
言葉の齟齬など、そこいらじゅうに転がっているものだけど、短い時間の間に立て続けに齟齬が起こると妙に思考は迷走する。

とはいえ、今までもボスや部代に改善策を相談しても「お馬さんの耳になんまんだー」状態だったから、この先も変わりなく脈々とこの理不尽なる作業を続けなければならないのだろう。


判ってるけれど、すごく癇に障る。

それを他人様にお見せしていいものではないから、ただ自分の中で飲み込む。
研ぎ澄まされた感覚が残ってる時は過度に鋭い言葉が飛び出すから、それさえ出なければ取り敢えずはそれでいいのだと自分に言い聞かせて、ひとつひとつ不愉快な案件を片付けていった。


ようやっと昼休みはきたけれど、昼食食べるのも煩わしい。
何か言葉が欲しかったからという訳ではないけれど、竜樹さんにメールを送ることで「気力切らないで頑張ろう」という気合付けになればと思って簡素なメールを飛ばす。


「朝から雨が降りそうな空模様でしたが、いかがお過ごしですか?
私は昨日は調子悪かったけれど、なんとかやっています」


本当は全然なんとかやってるという状態ではなかったけれど、元気になるまでぶつっと黙ってても無用の心配をかけるからあまり自らの状態については触れないような形でまとめてメールを飛ばす。
そうしてひとつ気を吐き、ボスティと後片付けをして暫くぼけっとしてるうちに昼からの仕事が始まる。


昼からは理不尽な案件は幾分減ったものの、機嫌をよくするような案件などあるはずもなく、ずっと鬱々のまま帰宅することになるだろうって思っていた。
通常フローをこなしながら、ふと鞄を見るとことこと揺れている。


「土曜日、そらちゃんは頑張りました(’v’)/」


土曜日に竜樹邸で炊いたごはんが美味しかったということやちょっとした掃除をしたことに気づいて、とても喜んでくれているそう。
今日は曇り空だけど、気圧が高いから元気なのだということを知らせてくれた。


竜樹さんが元気なら、それが一番嬉しい。


竜樹さんが機嫌よくいられるなら、あと数時間ここで頑張るだけの気力は起こせるなぁと思いながら、黙々と仕事を続ける。
それでも飛んでくる仕事は何となく心の中に引っ掛かりを幾つも作っていく状態であることに変わりはなくて、ますます疲れきっていくのだけれど…


あと30分で定時がやってくる。
ひとつ気を吐き、また書類を格闘しようと下を向いたとき、私の隣で鞄がことこと揺れる。


「カリカリせずに、ぽよヨーンっと。
ふくよかなそらちゃんが好きでーす(^.^)」


…………………ヽ(*^o^*)丿


ここにいてる間は心にかちかち来ることが多すぎて、どうしても心の中に鬱屈溜めがちになるのだけれど、竜樹さんにこう言われたらカカカカ怒る気にはなれない。
竜樹さんのふんわりした言葉が私の中で引っ掛かりをどんどん落としていく感じがする。


携帯を見つめて下向いてる私は、きっとちょろんとふにゃけた顔をしてたに違いない。
係長様や私の横を通る課員さんに気づかれないように表情を元に戻しながら、竜樹さんのメールを携帯に保存して、残りの仕事をやっつけだす。


あとの30分はふんわりした気持ちで仕事を片付けることが出来た。


今自分がいてる環境が今日明日にでも機嫌のいいものになるはずなどないけれど、きりきりしてないぼんにゃりした私がいいというなら、そういう私でいつづけますとも。
会社の中でぼんにゃりした私でいつづけられる自信はないけれど、少しずつ少しずつ柔らかい自分になっていきたいって思う。


「ふくよかなそらちゃんが好きでーす」


ええ、そんな私になりますとも(*^-^*)



外は青空、いい天気。
朝も出勤の日と同じくらいの時間に目が覚めたし、何か出来たらと思うけれど。
どういう訳だかおなかが痛む。
お医者さんで貰ってきた薬を飲んでも効くどころか、ちょっと悪化したような…

借りてきたビデオを見ながら、両親が出かけてしょげかえってるプードルさんと過ごしただけ。
選挙にすらいけないまま1日が終わってしまった。


一人で床に座っていたり横になったりすると、ふと右肩が気になる。
竜樹邸にいれば右側にいるのは竜樹さん。
起きててもくっついてても竜樹さんは私の右側にいるから。
このところ頻繁に会ってたから、余計なんだろうな…


「友達と遊びに行く予定があるなら、そっちを優先したらええねんで?」


…いや、そうして予定をぼこぼこ入れてると会えなくて寂しいと思ってしまうから。
何年経ってもそう思うから。

最低限度しか予定は入れないんだろうなぁ。


昨日会ったとこなのに、もう次の週末が待ち遠しい。

急にやってくる平日のご褒美を楽しみにして、また新しい週を迎える。


「右肩が寂しくない日が少しでも多くありますように…」と願いながら、また新しい週を迎える。



昨夜戻ってから、思ったよりも疲れていたらしく殆ど何もせずに眠ってしまった。

聞きなれた携帯のアラームの音で目を覚ます。
休みの日にしては極めて珍しく早く目を覚ましたというのに、身体は不思議と重くはない。
竜樹さんと一緒にいる時間があるだけで、これほど違うものなのかと思うとびっくりする。
少しだけ横になったまま窓の外を見ていた。


外はまたしても雨。
今年はやたら雨の日が多い気がする。
降らなきゃ降らないで具合が悪いんだろうけど、雨は癒えきってない竜樹さんの身体にも私の身体にもあまりいい影響は与えないので歓迎する気にはなれない。


…雨が降ろうが雪が降ろうが、竜樹さんとこには行くけどね。


湿気た空気を掃うように勢いつけて起き上がり、出かける前にしなければならないことをいくつか片付けてから家を出る。

目が覚めた時は雨音がしていたのに、家を出る頃にはスプレーのような柔らかな雨に変わっていた。

ついこないだ降ったスプレーのような雨の日は肌寒さすら覚えたけれど、今日はなんだか蒸し暑い。
確実に暖かくなってきていて、それは竜樹さんの身体にはやさしいものであること。
そう思えば、少しは雨でも機嫌はよくなるかと思いながら電車に乗って移動を繰り返す。


ふと竜樹さんが大好きなミニたい焼きを買おうと思い立って途中下車。
ミニたい焼きと少しばかりの食材をまた移動を繰り返す。
ふと「これから行きます」コールをし忘れてたことに気づいて、バスの待ち時間の間にこそっとメール。
何分のバスに乗るのかと、ミニたい焼きを仕入れたことを伝える簡素なメールをそっと飛ばす。
バスがやってきて乗り込んだ途端、鞄が揺れる。


「ミニたい焼きいずこで?(’’)?
とにかく、待ってるね」


「待たせてしまって申し訳ない」と思う反面、竜樹さんが待っててくれるということが嬉しくてならない。
早くバスが最寄の停留所に着かないかと思いながら、車窓を流れる見慣れた景色を眺める。
バスを降りたら足早に竜樹邸へ。


「お疲れ。ミニたい焼き何処で仕入れたん?」

「や、急に思い立って寄り道してみたんです。
昨日無理をさせてしまったお詫びです。

「そんなん気にせんでええのにーヾ(*^-^*)」


…いや、またミニたい焼き食べながら眠ってる竜樹さんを拝めたら儲けものだから(^^ゞ


9回目の春の日に竜樹さんがかわいらしく寝ぼけていたことを思い返して一人で笑ってると、「何笑ってるん?」と怪訝そうな竜樹さん。
きっと話せば、二度とそんな寝ぼけは見せてくれなさそうだからと教えないでおいた。


「そらちゃんが来るまで、2階でビデオ見ててん。
そらちゃんも見るか?」

「何見てはったんですか?」
「『ブラックジャックによろしく』ってドラマ」

「あぁ、マンガが原作のやつですね」


竜樹さんはコーヒーを温め、冷蔵庫からケーキを取り出す。
それを2階に運び上げて、ビデオの続きを眺めている。

竜樹さんの件があってからという訳ではないけれど、医療関係のドラマはなるべく見ないことにしていた。
見るとあれやこれやその場に転がってない問題までずるずる引きずり上げて考えてしまいそうだから、そういう芽になるものはなるだけ目にしないようにしてたんだけど、竜樹さんが平気な顔して見ていられるなら、私も見たらいいかなとその時は思ったから。

竜樹さんと言葉を交わしながら、じっとテレビを見ていた。


「…あー、なにをぐちぐち言うてんのよ。
執刀しなきゃ死ぬの目に見えてるやん、さっさと執刀しぃやぁヽ(`⌒´)ノ」

「……そらちゃん、口悪いで(-_-;)」

「夕食に何を食べようか迷うのとは次元が違うんですよ?
あー、もう鈴木京香ももっと叱れよーヽ(`⌒´)ノ」

「…や、俺は甘やかされたいなぁ(^-^*)」

「……ん?(-"-#)」


テレビドラマの人物に対してぶつぶつ文句を言う私に、話とは関係ないあさって向いたコメントをつける竜樹さん。
互いにぶつぶつ文句を言ったりあさって向いたコメントをつけたりしてはいるけれど、ドラマの内容が内容なだけに、こちんとした姿勢で見つづける。


…結果、ドラマが終わった瞬間、思いっきり肩を凝らしたものが2名。

特に竜樹さんは重症の模様。


「そらちゃーん、肩凝ったー(>へ<)」

「そしたら、体育会時代のマッサージをひとつ…」


竜樹さんにうつ伏せになってもらって、背中から肩にかけてゆっくりとマッサージをする。


「そらちゃん、上手やなぁ」

「滅多にやらないんですけどね。昔取った杵柄ってやつでしょうか…」


少しすると、「マッサージしてもらって楽になるなら、湿布で大丈夫や」と言って、階下に降りていかれた。
その後からちょこちょこついて降りて、湿布を貼るのを手伝う。

痛み止めを飲まずにやり過ごせるなら、かなりマシな方なんだろうと思うと暖かくなってきたことにただただ感謝。

そうして少しばかりのじゃれっこと少しばかりの居眠りの後、ご飯の支度を始める。


ミニたい焼きを買うときに一緒に食材を買ったとはいえ、帯に短し襷に長しという感じであまり品数が作れそうにない。

取り敢えず、お米を磨いで炊飯器にセットし、当初からの予定の辛くないエビチリを作る。
それもすぐに終わってしまい、食卓に置いてみるととても寂しいことに気づく。

買い足しに出かけてもよかったけれど、店に辿り着く頃には閉店してそうな時間だったので断念。
苦肉の策で、冷蔵庫の中にあった卵を使って非常にシンプルなオムレツを作って置いてみる。

それでもまだ貧相な気がして、考え込んでいると横になっていた竜樹さんが起き上がる。


「そらちゃん、俺はこれで十分だから食べよう?」


せめてあともう1品と思っていたけれど、「おなか空いた」と言う竜樹さんをこれ以上待たせるのもどうかと思ったので断念。


…最近、竜樹邸できちっと料理をする機会が激減してたから、復帰第1回目はこれくらいで勘弁してもらおうか。

そんな風に思いながら、作ったものを食べ始める。


「そらちゃん、卵焼くのうまいなぁ(o^−^o)
これくらい柔らかくてふわふわの卵が好きやねん」


メインのエビチリよりも苦肉の策のシンプル極まりないオムレツが誉められたことを喜んでいいのか悪いのか。

辛くないエビチリは辛いものが苦手な竜樹さんでも量が食べれるので、それもまた喜んでおられる。
その笑顔を眺めていると、粗食でも喜んでもらえたら儲けものだと思う。

間違いなく竜樹さんの笑顔があれば、私は幸せ気分でいられるから…


簡素な食事を済ませ、後片付けをしてリビングでごろごろ。
最近は竜樹さんの傍でくっついてテレビを見るのが殆ど定番。
くっついていると甘えたモードになる竜樹さん。
これまでずっと甘えたな竜樹さんには滅多にお目にかかれなかったから、甘えたな部分が見れることもまた嬉しかったり。


そうしてるうちに帰る時間が迫ってくる。
毎度のことながら、帰宅の時間が迫ってくると胸の奥が痛くなってくる。
「こんな時間がずっと続けばいい」と思うのもまた毎度のことだけれど、その日が来るのはきっとそう遠くはないはずだからと言い聞かせて、帰り支度を始める。


些細なことでも幸せだと感じられること。
竜樹さんと一緒にいて幸せだと感じられること。
小さな幸せを重ねて、いつかよりよい場所に辿り着けたら…
竜樹さんと帰る家が同じになってもそんな幸せをずっと幸せだと思いつづけられたら…

状況がどうあれ、私はきっと幸せなんだと思う。

小さな幸せも大きな幸せも間違いなく私と竜樹さんの間に存在するのだから、ずっとずっと大切に想いたいって思う。


暖かい時間に触れて

2003年4月11日
いつもよりも長く感じた1週間がようやく終わる。
胃痛に始まり胃痛に終わる1週間。
気分もどこか沈みがちで、竜樹さんが届けてくれる暖かな気持ちに引っ張られるようにしてどうにかこうにか乗り越えてきた気がする。
水曜日にお医者さんで貰ってきた薬を飲んで、家を出る。

「大丈夫かな?」と思って出てきたのだけど、空は鈍色。
傘を持って出てくればよかったかなと思ったけれど、今日は事務所ががら空きになる可能性があるから帰宅時までは社屋の外に出ることはない。
帰宅する頃にはやむだろうと嵩を括って、そのまま傘を取りに戻らずに移動する。


会社に着いて暫くすると、空から大粒の雨が降り始めた。


今日は昼から課員さんの大多数の人が外出する。
個々が決めたスケジュールに則っている外出というよりは、殆ど強制連行に近いだろうか。
私はその強制連行組には入っていないから、1日事務所で係長さまと数少ない留守番組課員さんと留守番。


「事務所にいない人限って、内からも外からも火急の用件が舞い込む。
しかもそれをちゃんと解決できる人に限って、連絡が取れない」


これがこの会社のお約束。
いっそ強制連行組がいてる午前中に火急の用件が済みますようにと願いながら、洗濯当番に午前中のフローにと奔走する。
予想以上に事務所が立て込んできてるので、洗濯もスムーズに進まない。
さりとて書類関係の処理は必要だからと、仕方なくなく先輩のいるフロアに行くと、機関銃の如く話し掛けてくる先輩。

「今日は昼から事務所が殆ど無人になるので、午前中は前倒しで忙しいんですよ」って前置きしてても、話は留まることを知らず。
この人は自分が暇ならみんな暇だと思い込んでいらっしゃるらしく、いつまでもいつまでも一方的に話しつづけてる。
失礼だとは思いながら、殆ど気のないはいはい返事をして時々時計を見上げるも、いつまで経っても終わりそうにない。
強引に話を切りにかかって3度目か4度目かでやっと解放。

一気に疲れが出る。


親しげに話し掛けられることが嫌だというわけではないけれど、周りの空気や相手の都合も考えず自分の思うことだけ捲くし立てる人は正直好きにはなれない。
私もちょっとした言葉遊びはする方だと思うけれど、先輩の言葉遊びのセンスはどうにも受け入れがたいものがある。
話をして多少でも楽しいと思うから連日話し掛けてこられるのだろうとは思っても、それをありがたいと思って受け入れることが出来ないのは、私がクソ意地悪いからだろうか。

鬱々と考えても仕方のないことを考えながら事務所に戻り、足止め食らってる間に溜まってしまった書類を片付け始める。


お医者さんから出されてる薬の効果がないのか、どんどん胃痛とちょっとした吐き気が復活してくる。
胃が上がってくるような感覚に耐え切れなくなって、竜樹さんから貰った強力なる胃薬を飲む。
暫くするとようやっと胃痛から解放されたので、またきりきりと仕事を片付けつづける。


ただ、胃の痛みは取れたけれど、鬱々は残ったまま。
外は依然として雨が降り続いている。
昼休みがやってきても、鬱々した気持ちのまま昼からの仕事の下準備をしていた

ふと窓の外の雨が気になって、メールをひとつ飛ばす。


「雨です(T^T)
降りそうな気はしてたのに、傘を忘れてきちゃいました
竜樹さんのお加減はいかがですか?」


それに対するお返事はなかったから、多分調子が悪いんだろう。
時計を見上げて慌てて食事を摂り、後片付け。
昼からは極端に暇になるか、極端に厄介な問題を抱えるかのどちらか。
いない人の物件で厄介なことが起こりませんようにと祈るように昼からの仕事に入る。


ささやかなる願いを他所に、ここにいない人の問題ばかりが次々と沸き起こる。
こちらよりも電話かけてきてる人の方がよっぽどその課員の近くにいるというのに…(-_-;)
「あなたが探しておられる課員はそちらにおりますから、そちらで本人に確認してください」とは言える筈もなく。
それでも明らかに出かけてる本人に聞いた方が早い内容のものは可能な限りそちらにいる課員に尋ねてくださいとお願いして、また別のトラブルの火消しにかかる。

胃が痛いのは言うまでもないけれど、今度は頭まで痛くなってきた。
多分天気と気圧の関係で頭が痛むのだろうとは思いながら、電話の着信音なんて聞くのも嫌なくらい痛みが続く。

胃痛と頭痛を宥め宥め、これ以上ひどい鬱々に捕まらないように気をつけながら、よろよろと仕事をこなした。


ふと気を吐いた時、鞄が揺れていることに気づいた。
こっそり覗くと、竜樹さんからのメールだった。


「雨(T^T)だったら迎えに行きましょう(’v’)/
最寄の駅で待ってます。
定時には終われそうですか?(’’)?」


私の何気ない一言が不調かもしれない竜樹さんを無理矢理動かせてしまってるのならひどく申し訳ない気がするけれど、疲れた神経にはかなりの栄養剤にはなったらしい。
音を立てないようにこっそりと最寄駅に着きそうな時間を打ち、そっと空へ放つ。
後は週明けにげんなりしそうな芽を摘む作業に徹し、予定よりも少し遅く事務所を後にした。


小雨降る中自転車をかっ飛ばして、竜樹さんが待つ場所に向かう。


「ごめんなさい、雨が降っててしんどかったんじゃないですか?」
「いや、俺は大したことないねんけど…
……なんか霄、めっちゃ疲れた顔してるで?」
「………そうでしょうね(-_-;)」


自分でも硬い表情が固着してるんじゃないかって気はしてたから、傍から見たらとんでもなく疲れて見えたんだろう。
会社の鬱々は会社を出たら忘れるように努力はしてるものの、今日の事務所は野戦病院状態だったから、ものの見事にげんなりした顔をしてたんだろう。
それでも時折ぽつぽつと交わす会話で、徐々にいろんな固さが落ちていって、柔らかい部分を取り戻しつつあるような気がする。


竜樹邸に着く頃には、硬かった表情も幾分柔らかくなったみたいで、ほにゃっとした笑顔にほにゃっと笑顔が返せるようにはなっていた。


竜樹邸に入り、ニュースを見ながら竜樹さんと言葉を交わす。
暫くすると台所に立つ竜樹さん。


「そらちゃん、おなか空いたやろ?
ここにダシがあるから、ここにうどん入れたらすぐに食べられるで(*^-^*)」

竜樹さんが別の作業をしてる間、その隣で私はうどんを茹でる。
うどんが茹であがり器に2人分分けて注ごうとしたら、「俺はもう少し後で食べるから、先に食べ」とひとこと。
茹であがったうどんを持ってリビングに移動して、竜樹さんの方をむいて食べ始める。


「ダシはちょうどええか?」
「はい、丁度いいです(*^-^*)」


竜樹さんの腕に感心しながら、黙々とうどんを食べる。
食べ終わって片付けをした後、竜樹さんの横で転がっていると、じゃれっこモードにシフトしていく。
そのままくっついてじゃれっこしてる。

暫くじゃれあってると、今度は竜樹さんがおなかを空かせた模様。
台所に立って非常に簡単なごはんを作って、今度は2人で食事。
胃の調子が悪いくせに、「そらちゃんも食べ?」と言われるとつい食べてしまうのは悪い癖。
胃が重いなぁと思いつつ、竜樹さんと向かい合って食べる食事の時間が愛しくてならない。


食べ終わると、そっと強力なる胃薬と水をくれる。
それを飲み込んで、またくっついて話す。


「だいぶ元気が戻ってきたけど、多分1週間分の疲れが蓄積してるだろうから、明日はゆっくりめにおいで。
無理矢理早く起きてこなくてええから」
「ゆっくり休んで、明日は元気な表情でお伺いできるようにしときますね」
「そうしてくれなぁ。そらちゃんが元気でいてくれたら、俺も元気でいられるから」


そう言って、帰る用意を始める。


家を出てさえいれば、竜樹さんに帰る時間を急かせることもなければ、私も竜樹さんの傍を離れなくても済むのだけれど、短い時間でも会えること、竜樹さんに触れられることが日々を生き抜く力になるには違いないから。


鬱々に捕まりそうになったら、今度は自力で竜樹さんの許へ行こう。
そして、いつか竜樹さんが鬱々に捕まりそうになった時、それをなるべく軽く出来る自分になりたいって思う。


暖かな時間に触れて改めてそんなことを考えたりした。



週明けはいつもかなり憂鬱。
窓の外はよく晴れていて絶好の桜日和だというのに、会社に行かなきゃならない。
しかも、鼻やら喉やらあちこち調子がおかしい。

朝一番に金岡家の電話が鳴り、金岡母はばたばたしはじめる。
どうやら、友達と花見に行くことが決まったらしい。


…いいなぁ、花見。


昨日は花見に行くのに一番いい時間をプードルさんと留守番する羽目になり、今日は天気がいいのに会社に行かなきゃならない。
それは会社勤めしてれば仕方ないこととはいえ、根拠レスなる理不尽さを覚えたりする。


…桜は来年、竜樹さんと2人で見ればいいんだもんね"(ノ_・、)"


朝から少々いじけモードで家を出る。

会社に着くと、机の上は突発の仕事の山。
優先順位をつけたくても、どれもこれも急ぎでしなきゃならない。
週明けにげんなりしたくないからと、週末躍起になって仕事を片しても殆ど意味がない状態。
思わず回れ右して帰りたくなったけれど、来てしまったからには仕方がないから黙々とこなす。
黙々とこなしてもどんどん降ってくる仕事に嫌気を通り越して、鬱っ気が頭を擡げてくる。

しかも書類を取りに行けば、先輩はやたら暇らしく、話を切っても切っても繋いでくる。
「事務所が立て込んでますから」と言ってもまったく意味がない。


…ホンマにもう、大概にせぇやヽ(`⌒´)ノ


一撃かましそうになるのを寸止めしながら帰るタイミングを見計らってると、別の課の課長が来たのでそれに乗じて事務所に戻る。

私が席を外してる間にも、突発仕事は山積状態。
親会社からの緊急の書類チェックまで入って、鬱っ気は最高潮。
それでもそれを抑えるものを持ち合わせてない状態では、じっと仕事を片して自分の中の鬱屈がおとなしくなるのを待つしかない。
ボスが部代と話してる些細なことでもかちかちきながら、黙々と仕事を片す。


突発の仕事すべてと通常業務の一部を除いては午前中に終わらせることが出来たけれど、気を抜いた途端、鼻の不調に加えて胃と背中が痛くなってきた。
昼食を食べることそのものが煩わしく感じられるほどあちらこちら痛むので、痛みがひくまでじっとしてる。

ようやっと少し落ち着いたので、近況報告がてらメールをひとつ。


「こんにちは、よく晴れていますね。
こんなところでじっとしてないで、お花見にでも行きたいです。
竜樹さんが元気だと信じて、あと数時間持ち堪えさせます」


鬱っ気がひどいことは黙っておいた。
それは言わずと知れたことでもあるけれど、言葉にするとその重さだけが飛んでいきそうな気がしたから。
やっつけ仕事のようにごはんを食べ、ボスティーを煎れ、後片付けしてまた仕事。
多分、鬱っ気がひどいまま1日が終わるんだろうなぁって思ってた。


一通り済ませなければならないフローを片付け、ほっとしてると鞄が揺れる。
こっそり覗いてみると、メールがひとつ。


「炊き込みごはん、できたぞぉ。
そらちゃんがくれた分。
うまくできたかはまだ判りません。
エビチリ炒めもあっという間に作りました。
食べにくる?」


…行かない訳、ないじゃないですか?(*^-^*)


残るはゴミ回収のみ。
明日するつもりだった親会社に提出するための資料をまとめたものを校正かけて、各課員のゴミ箱のゴミを回収し事務所を後にする。

大急ぎで着替えて社屋を飛び出し、自転車かっ飛ばして駅へ向かう。


「何とか1日乗り切れたので、ご褒美貰いに行きます♪
…私の分、残しておいてね」


すぐに手の中で携帯が震える。


「残してあるよ。
うまくいけば、夜桜も見れるかも
車からだけどね」


…いいかもしんない♪o(^-^o)o(^-^)o(o^-^)o


夜桜を2人で眺められるのも嬉しいけれど、車の運転をしても大丈夫なくらい元気だということ。
竜樹さんが元気なら、それほど嬉しいことはないんだ。

電車が乗換駅に着き、ホームからホームへと駆け抜ける。
そうして滑り込んできた電車に飛び乗り、また移動。
移動の度に走りつづけて、最短の時間で竜樹邸に到着。


「…あれ?早かってんなぁ」
「移動の時間はすべてダッシュで短縮したから(o^−^o)」


ほにゃっとした笑顔に会社での鬱っ気なんて吹き飛んでしまう。
暫くテレビを見ながら話していたけれど、不意に竜樹さんが立ち上がる。


「ちょっとお母さんの具合が悪いから、作ったものを届けてくるわ」


具合の悪い竜樹母さんにエビチリはないだろうと思って何か作ろうかと思ったけれど、竜樹母さん用のあっさりしたものを用意してた模様。
大目の炊き込み御飯と竜樹父さんにとエビチリを添えて、実家へ持っていかれた。

日頃多忙を極めている竜樹母さんは時折がくんとブレーキがかかる。
そのスパンが短くなってきてて、今後どうしたらいいのだろうかと考えてしまう。
ただ基本的には竜樹さんのご実家のことはご実家に任せ、ご実家の方針を逸脱しない程度にしか手伝えるはずはないのだけれど。
3月末から抱えつづけてる問題にも付随することだから、思考はよりぐるぐると頭の中を駆け巡る。


「ただいまー♪」
「あ、お帰りなさい♪(o^−^o)」


にぱっと笑顔を向けて、そのまままた2人で話し始める。


「なんかねぇ、明日は春の嵐が来るらしいですよ」
「え?明日、雨なん?」
「午前中から風雨が強まるとかいう話ですよ?」
「そしたら今日で桜も終わりかぁ…」


そんな話をしながら、食事の用意をして夕食を食べ始める。
竜樹母さんから差し入れのお返しにと頂いたいかなごの佃煮に春を感じ、竜樹さんが作った炊き込みごはんとエビチリに食事の幸せを感じる。
やっつけ仕事のように食べる食事のことを思うと雲泥の差だ。
最近は自宅ですら、食事を摂るのが煩わしいと感じることがあるのに…


…こんな時間が頻繁に重ねられるようになったら、自宅に帰るのすら煩わしくなるんだろうなぁ


それは別に今に始まったことじゃないけれど…

食事を終え、後片付けをしてリビングに戻る。
何とはなしにくっついていられる時間もとても暖かくて幸せな感じがする。
それが昂じて互いを包む熱はあがってきて、やがてそれは安心して眠るに足りるものに変わる。


「…そらぁ、もうそろそろ起きやぁ」


竜樹さんの柔らかな声に起こされて、帰り支度を始める。
外に出ると、いつものように寒くて震え上がるような空気ではなく、ひどく心地のいい温度。
それは竜樹さんの身体にやさしく働く温度。
暑くなりすぎず寒くなりすぎず、こんな天候がずっと続けばいいのに…


いつも竜樹さんに送ってもらう時は帰る時間が押し迫っていて車を飛ばす羽目になるのだけれど、今日はゆったりとしたスピードで車は走り続ける。
早く金岡家に辿り着くために通る近道は殺風景な通りで、下手をすると私の家の近くまで桜なんて見ることは叶わない。

けれど、今日はゆっくりしたスピードで桜のある通りを選んで走ってくれる。
今年は2人で見ることは叶わないだろう桜を竜樹さんは見せてくれる。


「夜桜は車から見るに限るやろ?身体は冷えへんし」
「でも車を運転してたら、竜樹さんは桜見られへんでしょ?」
「時々信号で止まった時に桜を見れたら十分や」


そうしてゆるやかなる夜桜ドライブもやがて終わりを迎える。


「今日は美味しいものをご馳走になった上に、桜まで見せてもらってありがとうございました。
明日からその貯金で頑張ります」
「…や、頑張りすぎたら壊れるから、何か楽しいと思うことが出来るだけの余力は残しときやぁ」


暖かな空間に別れを告げるのは辛いけれど、竜樹さんが元気でいてくれるならきっとまたこんな時間を築くことは出来るから。


平日に突然舞い込むちいさなご褒美を楽しみにしながら、また明日からも頑張ろう。



帰宅後、何となく寝つきが悪くてごそごそと作りかけのキットを取り出す。
竜樹邸で不調だった鼻の調子はまた俄かに悪くなりつつあったけれど、空気清浄機をつけるほどのことはないだろうと時折鼻をかみかみ作業を続ける。


どれくらい作業をした頃だったかは記憶にないのだけど、突然部屋の電話が鳴った。
ナンバーディスプレイを見ると、竜樹邸の電話番号。
慌てて電話を取る。


「…まだ起きてたんか?」

「ええ、何となく寝付き悪くて…
どうかしはったんですか?」

「もしかして、泣いて眠られへんのと違うかって思って」


…やっぱり、竜樹さんから見ても、私はおかしかったのかな?


「いえ?大丈夫ですよ、私は」

「今も鼻声やんか?」

「作業してたら、また鼻の調子が悪くなっただけです。
泣いてなんていませんよ?」

「こないだ『涙が出て眠れへんかった』って言ってたやろ?
こっちでも涙目やったり鼻がおかしかったりしたから、気になってたんや。
電話してくるやろうって思って待ってたけど電話ないから、泣いて眠れへんねやって思って。
…何かあったんか?」


恒常的に情緒不安定の種はそこここに散らばってる状態であることに特に変化はなく、そんなのは別に今に始まったことではない。

強いて言うのなら、大切な人の悲しみが心の中で広がって深層部を鷲掴みにしてることくらいで、それは時間が経って悲しみの波が去るのを待つより解決はしないことはよく判ってるし、その波が去るまでの間に情緒の部分を乱していくのはある意味仕方のないことだから。


「…や、今晩は寝付けないだけで泣いてはいないですよ。
だから、大丈夫です」

「…俺なぁ、霄が泣いて眠れてへんのと違うかって思ったら、心配で心配でだんだん眠れへんようになってくるねん。
霄が泣いたら俺も悲しくなってくるんや。
だから、何かあるんやったら話してくれたらええねんで?
一体、何があってん?
俺、何か霄が傷つくほどきついこと言ったか?」


自分の思考回路は自分にしか理解できないものだから、それこそ竜樹さんにすら話す必要はないって思ってたし、話すことで竜樹さんの負担を増やしたくないのも事実だったから、よほどのことがなかったら話さなかったのだけど。


…話さないことで竜樹さんの心配を増やすなら、少しだけ話してみてもいいのかもしれない。


極めて根拠レスな情緒の部分について、少しずつ話し出す。


心の中に流れ込んできてる悲しみと自分の思考の流れと。
別に判ってもらえなくてもよかった。
ただ、「こんな思考に陥るのは茶飯事だから、心配しなくても大丈夫なんだよ」って気持ちだけを伝えられたらよかった。

ひとしきり話を聞き終えて、竜樹さんが話し出す。


「霄は俺に元気でいて欲しいって思うやろ?」

「そんなん、当たり前ですやん」

「俺は霄が笑顔でいてくれたら、元気でいられるんや。
俺が指摘することについては、もう『自分が悪いんや』って思わなくてええねん。
『あー、おっさん、またぶつぶつ小言言うとうわ』で流してたらええねん」

「…それでは、ダメでしょう?
改善すべき点だから、指摘してくれはるんやし…」

「出来へんかっても、そんなんかまへんねん。
そらちゃんが落ち込んで考え込んでまう方がいやや」


時折冗談を交えながら一生懸命話し掛けてくれる竜樹さん。
私がぽつぽつと溢す思考のかけらを一生懸命拾い集めて、また話し掛けてくれる。


「…なぁ、霄ぁ。
俺は霄が俺から離れたいと望まない限り、放り出したりはせぇへんで?
俺は他の誰とも違うから、他の誰かのことに重ねて見ることはないねんから、な」


今までずっと自分が抱えきれるだけ抱え込んで溢れ返させてしまうまではじっと黙りつづけていた。
竜樹さんの置かれた状況を考えれば、それは非常に当たり前のことのように思ってたし、多少自分がしんどくてもそれで竜樹さんの負担にならないならその方がよかったから。


…でも、相手の負担になりたくないって思ってしとうことが、竜樹さんに不安を抱かせるなら意味ないじゃないか?


「私は自分が大切に思う人に大切にされて、竜樹さんからきちんと愛されて、幸せやって思ってますよ。
思考の流れ方が自分に近しいものにシンクロしやすい傾向はあるけれど、それでも私は不幸じゃないですよ」

「そらちゃんは俺といてて、幸せやろ?」

「そんなん当たり前ですやん」

「やろー?
だったら、泣かなくてもええねんで。
泣いてもええけど、嬉しい時にせぇへんか?泣くの。
そらちゃんが泣くのを見るのは、俺も辛いねんから」

「ですね」

「一人で背負わんでええねんで」

「…はい」


そうして長電話苦手な竜樹さんにしては異常に長い電話になってしまった。


「明日は天気になるし、晴れたら花見に行っておいで。
ええ気分転換になるから」

「はい。ゆっくり休んでくださいね」

「そうするわ」

「ありがとう。私はちゃんと竜樹さんのこと、大好きですから、ね」

「うんうん」


電話を切ってからもまだ竜樹さんの声が聞こえてるようで、暫くずっと子機を握り締めていた。
その姿があまりにもヘンかも?と思ったので、子機を置いて眠りにつく。


目が覚めた時、目に飛び込んできた空は快晴だった。
お花見にはいい天気。
散歩にでも出かけようと思ってると…


「これから出かけるから、プードルちゃんとお留守番しててね♪」


…………………Σ(゜д゜ )


快晴で喜んだ後には、こんなオチ。
本当にここいらが潮時なんだろうなとぐるぐる奥歯をかみ締めながら、プードルさんと陽の差し込むリビングでぼんやり空を眺めていた。


いろんな思いがぐっちゃまぜになった鈍色の感情は、竜樹さんに包み込まれて姿を隠してしまった。
太陽が思い雨雲を押しのけて、陽の光を地面に届けてくれるように…


竜樹さんが届けてくれた青空を見上げながら、ほっと一息。


私以外の誰かから見て、それが根拠レスなものでしかなかったとしても。
間違いなく手に入れられたような気がする。
もう何かが足りないと思いつづけて走る必要はない。

本当に欲しかったものは間違いなくその手にあるのだと。
互いを包む雨雲をいつか互いの手で払い除けることはきっとできるのだと。


竜樹さんが闇夜を掃って連れてきてくれた桜日和の空を見つめて、そんな確信を得た気がした。

「今週末、天気がよかったら花見にでも行こうかぁ」


先週末竜樹邸に泊まった時からずっとそんな話をしていた。
竜樹さんは法事に行ったり出かけたりした先で何度か桜を見たと話していたけれど。
滅多に雑誌を買わない竜樹さんが、今年の桜情報の載った雑誌を買っていたこと。
「桜デートなんて誰とするんですか?」と冗談めいて聞いたら、「そんなん、霄しかおれへんよ」と答えてくれたこと。
そのことを思い返すと、やっぱりふたりで今年の桜を眺めたいって思った。


けれど、漆黒の闇夜に降り注ぐのは激しい雨。
気を紛らわすつもりで作りかけのキットに手をつけるけれど、少しも気が紛れない。
そうしてふらりとネット散歩して、悲しみに触れた。

まっすぐなまでの悲しみのシンパシーは広がって、心の深層部を鷲掴みにする。
心の中にある想いのかけらを拾い集めて言葉に置き換えたいと思っても、鷲掴みにされた心から生まれるものはどれひとつとして届けるには足りる気がしない。
ただ悲しみは広がり、それを増長するように漆黒の闇と雨音に心が揺れる。

眠らないまま竜樹さんの許に行って彼に元気など分けられようはずもない。
無理矢理横になって、暫くやるせない思いを抱えていた。
そうして、桜散らす雨と思い煩いに包まれるようにして、何時の間にか意識を落とした。


寝た時間が明け方だったにもかかわらず、目が覚めたのは出勤時と変わらない時間。
身体が重いのは相変わらずだけど、頭痛がないのはよしとしようか。
昨夜ほどの激しさはないけれど、外は鈍色の雨が降りしきる。


「これで花見はなくなったか」


それでも、竜樹さんといられればそれでよかった。
「そらちゃんに会いたい」という竜樹さんに早く会いに行きたかった。

出かける用意をしてると家族に捕まるのはこの家のお約束ではあるけれど、非常に最低限度の用事を片して家を出る。


外の雨は降りが緩やかになり、何時の間にかスプレーのような雨に変わっていた。
傘を差すほどのことはないけれど、傘を差さずに歩けば何時の間にか濡れている。
そんな中、いつもよりは比較的ゆっくりしたペースで道端に植わっている桜を眺める。

昨日あれほど雨は強く降ったのに、それほど桜は散っていない。
強い雨にも散りもせず咲きつづける桜に、生命の強さを感じる。
それは幾分、悲しみに鷲掴みにされてる私の心に勇気をくれる。

根拠レスだけど、生きていれば大丈夫だと。


電車に乗って、ようやく陽の光を見た。
ふと言葉が心の底から湧きあがったので、そっと飛ばす。
それを復唱することで私自身にも言い聞かせるような、ありふれた表現だけど想いだけは強い短い言葉。
すぐに返事が返ってきたので何となく話しかけたくなったけれど、電車の移動は続く。
幸い、竜樹邸に向かうバスが渋滞でなかなか来なかったので、電話してみる。


直に触れる心からはやっぱり悲しみが伝わるけれど。
それでもまだ大丈夫だと、そう思ってもらえたらって思ってバスが来るまでじっと話を聞いていた。

そうしてるうちにバスが来てしまい、一旦話を切ることになった。
竜樹邸に着いてからまた話したらいいって思って、バスが竜樹邸の最寄駅に着くのをじっと待っていた。


バス停に着き、駆け足で竜樹邸に向かうと…


「そらちゃん、おなか空いたやろ?カニ玉は失敗したけれど、回鍋肉は美味くできてん♪(o^−^o)」


…雨降りだった割に花が咲いたような明るい笑顔を向けられると、つい食卓についてしまう。


「食事を摂ったら、も一度電話するからね」と電話を入れようとしたら、メールがひとつ。
その言葉に申し訳なさを覚えながら、竜樹さんの作ってくれたごはんを食べ始める。

竜樹さんの料理は美味しい。
味付けのお手伝いをするものがあったり自炊経験があったりするのもあるのだろうけど、冬場キッチンに立つことができないくらいに調子が悪かったことを思うと、飛躍的に元気になってるのが見て取れる。


「美味しいか?霄?」
「すんごいすんごい、おいしいです(≧▽≦)」


それは竜樹さんが元気になった証しのひとつでもあるのだから。
それがただ嬉しかった。

食事を終えて後片付けをして、陽の光が差し込む2階の部屋に行く。
陽の光を眺めながらくっついていたり、話していたりするのは楽しい。
ただ、ちょっと熱を帯びてきた頃、くしゃみと鼻水が止まらなかったのには非常に困ったけれど…


「…情緒なくて、ごめんなさーい(>へ<)」
「ここのエアコンは空気清浄機能がついてへんから、花粉が入ってきてるんかなぁ」


雰囲気ぶち壊しな鼻水とくしゃみに気遣いを見せてくれる竜樹さん。
あまり鼻の不調がひどくなってきたので、階下におりる。

暫くテレビを見たり話したりしてるうちに、「ごはん作ろう」と竜樹さん。
今日の夕飯は簡単酢豚。
2人で手分けして野菜を切る作業にかかる。
1人で料理をすることになれているから、広くないキッチンで2人でがさがさやってるといささか窮屈な気もしないではないけれど。
作業は早く終わるし、2人で何かをするということが嬉しい。

材料を切り終えたら、既に揚がってる豚肉を投入して炒め始める。
その横で竜樹さんはタレで漬け込んである牛肉と沢山のキャベツを一緒に炒めてる。

あっという間に、簡素だけどちょっとした夕食が出来た。


「いただきます♪(*^-^*)」


2人で一緒に作ったものを一緒に食べる。
それはとても幸せなことなんだよなぁと思うと、自然と顔が緩んでくる。
作ったものを殆ど食べ終え、後は片付けだけという頃、携帯にメールが飛び込む。


…一気に、幸せ気分は悲しみに変わる。


「霄、どうしたんや?なんか涙目やで?」
「…や、昨日あんまり眠れてないから、目だけ疲れてるんでしょうヾ(^^ )」
「それやったら、後片付けいいから休んどき?」


それでも放りっぱなしにする気になれず、最後まで片付けてから横になる。

携帯からメールを飛ばしながらぼんにゃりぐんにゃりしていると、何時の間にか竜樹さんはビデオデッキをいじってバカとのを見ていた。
妙にウケてる竜樹さんを見てると、またほっとする。


「そっちやと見難いやろ?おいで」


竜樹さんの隣にころん。
背中だっこしてくれる竜樹さんの熱に安心して少しばかり眠る。


意識がぼんやり覚めてくると、竜樹さんがじゃれモードに入ってた。
その熱に随分癒される感じがして、ずっとずっと竜樹さんの隣にいたいと思う。


嬉しさも悲しみも抱えながら日々を重ねて、最後の最後には嬉しい気持ちがほんの少しでも勝ったなら。
私にとっては、幸せなんだろうなって思う。
その幸せに辿り着くその隣にいて欲しいのは、やっぱり竜樹さん。
竜樹さんじゃないといややって、今更ながらに思った。



桜鬱

2003年3月31日
楽しい時間が一本の電話で断ち切られる形で幕を下ろしてしまって、自宅に戻ってからもずっとすっきりはしなかった。
竜樹さんと一緒にいてる時間で、ようやっと自分の中の鬱っ気を払拭できたかと思ったのに、竜樹さんと離れたらまた鬱っ気が戻ってきたような気がする。

2人が置かれてる状態ったって、程度の差こそあれ障壁も問題もない状態で歩けた時間の方がはるかに短かったのだから、それを特筆してどうこう言うつもりもなく。
「あぁ、さらに厄介なのが増えてもたなぁ」程度のスタンスで挑んでいけると思ってたし、今もまだ心のどこかではそう思ってる。
私の両親が私の行動について過度に口を挟むのも、これまた今に始まった話じゃなし。
竜樹さんとのことについて否定的な見方しかしないということ自体もまた、今に始まったことじゃない。


すべては別に今に始まった話じゃないのに。

何をするにつけぷつぷつぷつぷつ引っかかる何かがすごく気に障る。
気に障るだけならこれまた今に始まったことじゃないからいいのだけれど、そのぷつぷつ引っかかるものが鬱っ気だけを連れて来る感じがするのは何故だろう。


9回目の始まりの日を越えて、昔に逆戻りしてるんだろうか?
八方塞がりの中から自らが手に入れるもののために何の犠牲も厭わぬほどの無責任なまでの力を行使しさえしたら、多分本当に欲しいと希うものだけを手にすることが出来るのだと判ってるのに。


いろんなものに縛り上げられて、行き場のない感情の切っ先が自らにしか向くことがなくて、それが鬱っ気を加速させてるのだと知りながら縛り上げる物事のすべてを簡単に振りほどいていけないのは、私の弱さなんだろうか?


大きな山まで、あと4ヶ月。
あと4ヶ月したら、否が応でも結論を出さざるを得なくなる。
その時何を手に取り何を捨てていくのかも、本当はもう知ってる。
それをクリアに履行できないのは、鬱っ気に引きずられてるというよりも…


大切だと思っているものの残像が心を締め上げてるのだということも、わかってはいるんだ。


「春が来て冬季鬱とやらが去る季節になったのに、今度は桜鬱に捕まったんか」


どうやら今度は桜の鬱にとっ捕まったみたいだ。
久しぶりにまた話せるようになった友達に「冬場には『冬季鬱』というものがあるらしいよ」と教えてもらってヘンに感心した覚えがあったけれど、もしかしたら桜の時期にも鬱っ気に捕らわれることがあるのかもしれない。
桜が咲くことに対して心がぱっと華やぐ感じがするけれど、その花の中にどこか物悲しさを見出すことがあるように、ふいに鬱っぽい感覚に捕らわれるのかもしれない。


…そんなことを言い出したら、「黄金週間鬱」だの「梅雨鬱」だの「お盆鬱」だのいくらでも時期鬱が生まれてきそうだよな


不意に頭を掠めた「桜鬱」という言葉に、ちょっとニヒリスティックな感情が流れたけれど。


8年前の今頃も、桜を見上げて同じようなことを考えていた。
竜樹さんといることで結果的には金岡の家族と離別することになるかもしれないなぁという感覚は現実のものとなるのだろうか。
それとも打開策は他にあって、大きな変化を加える段になって初めてその姿を見出せるのか。
今はまだ判らないけれど。


まだ咲ききらない桜を見つめながら、8年前と取り囲むものは何一つ変わってはいないのだという落胆を覚える自分と、それならそれなりに自分自身が納得できるだけの結果を手にするための手段を模索してやろうと思う自分が交錯する。


桜鬱は進路に目隠しを施してるみたい。
薄紅色の鬱に捕らわれてはいるけれど、いつまでもそれに捕らわれてる訳にはいかないことだけは確か。
昼夜問わず気持ちを縛りつづける桜の時期の鬱に少し疲れたから、今日は眠ることを優先してみよう。
すっきりした身体でもう一度桜を眺めたら、また違う気分になれるかもしれないと考えるのは甘いかなとは思うけれど…


それとも竜樹さんと一緒に桜を眺めたら、桜鬱なんて吹っ飛ぶのかな?



8年目最後の夜

2003年3月28日
昨夜はかなり早い時間に眠ってしまった。
目が覚めたら、夜中の3時前だった。
何の気なしにメッセに上がったら友達が拾ってくれたので、朝までずっと話しこんだ。

睡眠時間はそれほど長くはなかっただろうと思うのに、身体は妙にすっきりしている。
随分昔、学生時代の友達が集まって話し込んでるうちに終電を逃してしまって、集や営業のカフェで始発の時間が来るまで語り明かしたなんて話を聞いたことがあったけれど、さしずめこんな感じだったんだろうか。
あの当時は楽しさに感けることなく、帰るべき時間が来たらとっとと帰ってたから知ることもなかったのだけど。


…って、自室で画面越しにお話してる状態とカフェで話し込んでるのと同じにしたらアカンわなぁ


そんな風に思いながら、ぼんにゃりした頭で朝の言葉紡ぎの作業に興じ、電車を降りてからは自転車をかっ飛ばし社屋に向かう。


今日は親会社絡みの仕事がそれほど多くないので、比較的楽に過ごせるだろうと踏んでいたけれど、月末絡みの仕事の前倒しが多くて朝からあっぷあっぷしてる。
しかも今日は急遽部内会議が開催される。
このおかげで昼からは、怒涛のお茶汲み大会になることは間違いない。
少々げんなりしながら、仕事を片付けていく。


…案の定、昼からは怒涛のお茶汲み大会だった。


会議前にお茶、会議の中休みにお茶、定例の時間にお茶…
しかも、予期せぬ来客があって、さらにお茶…
私はここへ仕事をしにきてるのか、お茶を煎れに来てるのかどっちなんだろうと考えてしまいそうなくらいお茶お茶お茶のオンパレード。
お茶を煎れるくらいの労力を厭う気にはならないけれど、通常業務に支障をきたすほどの回数のお茶を煎れる必要性がどこにあるのかと考えるだけで鬱っ気がひどくなりそう。
それでもどうにかこうにか、時間内に通常業務と飛び込み業務を片付けてよたりよたりと事務所を後にする。


…やっと1週間が終わったぁ


明日は竜樹さんと一緒にいはじめて迎える9回目の春。
丸8年いたからといって何か取り立ててイベントじみたことをする予定はないけれど、小さなお泊り会をする予定。
何となくまっすぐ家に帰る気がしなくて、竜樹さんに「探しておいてね」と頼まれていたものを探しに寄り道コース。
けれど、竜樹さんが欲しがっていたものは見つからず、がっくりきながらふらふら歩いてるところにメールがひとつ。


それは私がかなり恒常的に感じつづけていたこととかなり質の近い話だった。


言葉を選びながらふらりふらりと歩き、やっと言葉を紡いで飛ばし、電車に乗る前に自宅に電話すると…


「おはぎ買ってきてよー、買ってきてよーヽ(>д<)ノ」


「あんたは駄々っ子ですか!?」と問い返したくなったけれど、ここは出先。
適度に大きな荷物を両手に提げて、また来た道を戻り和菓子屋を探す。
ようやく見つけた和菓子屋でラスいちだったおはぎ6個セットを掴んで、レジにて精算。
そうして来た道を引き返し、今度こそ電車に乗って家路に着く。

よったよたになって帰ると、お土産を待っていた金岡母が上機嫌。
上機嫌の金岡母におはぎ+αを渡し、自室に戻ってひと息ついてから夕食を摂る。


自室に戻って竜樹さんに電話を入れると、久しぶりに友達とご飯を食べていたとのことで後で連絡を貰うことに。
2時間ほど待ってると、竜樹さんから電話が入る。
友達と会ったことや楽しかったこと、思わぬ発見があったこと。
楽しい時間を過ごしてきたんだなということがよく判るお話で楽しかったのだけれど。


ひとつ、大きな問題を投げかけられた。


竜樹さんの家庭の事情で、恐らく今年の8月には大きく環境が変わる可能性があること。
今のままの環境を維持しようとすると、私自身にもその影響が出てくるということ。

ある程度予想が出来てたこととはいえ、彼も帰宅して初めて竜樹父さんからその話を聞かされたらしくて、少しだけ困っておいでだった。


現状を維持するために何が必要で、私がどう動けばいいかの結論はとうに出ている。
ただ、それを履行するには私の側に問題が幾つか残っている。
それについて話すことが竜樹さんにとってよかったかどうかは判らないけれど、すぐに結論が出せないことを伝えることしか出来なかった。


「8月までに問題が片付けられるように頑張るしかないなぁ、お互いに」


本当はそんなことを竜樹さんに言わせたくはなかったけれど、今日明日に現状が片付けられるとも思えないというのもまた事実だったから。

電話を切ってからもずっと、胸が締め上げられるような状態が続いた。


何年経とうが、問題が小さくなる訳でも置かれた状況がマシになるわけでもないことくらい判っているけれど。
9回目の春が来る直前にやってきたものは、本当に大きな決断を強いられる問題だった。


互いの身に降りかかる問題はアクシデントと呼ぶべきか、それとも来るべきものとして避けて通れないものだったのか、それすら判らないけれど。
8年間、2人で一緒に歩きながらやってくるものに立ち向かえるだけの何かを培えたと思っていたのに、自分に足りないものが依然として多いことを思い知っただけ。


9年目に突入する最後の夜は、大きな変化を強いる出来事を連れてきた。
迷う余地なく互いの身の上に大きな変化を加える、まるで巨大な隕石が降ってくるような、そんな出来事と出逢った、8年目最後の夜。



昨日の深夜、急に思い立ったように借りていたDVDを見ることにした。
いつも資料用にと貸してもらってるテレビシリーズのビデオじゃなく映画版なので、最後まで見終わると殆ど眠ることなく出勤しなきゃならなくなるだろうとは思ったのだけど、何となく寝つきが悪かったので、そのまま見てみることにした。

途中で一旦切るつもりが、結構内容が面白かったのと劇中に登場するあるものに見とれていて結局最後まで見てしまった。


睡眠時間2時間をきった状態で、出勤する羽目になった。


寝不足のせいなのか、丁度今のご時世と微妙にリンクする部分があったせいなのか、ただでさえ渦を巻きがちな思考は余計にループする速度を速めてる気がする。
それでも妙に鬱っ気に捕らわれないのは、8時間半ほど我慢したら竜樹さんに会えるから。
少々ボケた頭で友達に送り届ける言葉を紡ぎ、どことなくぼんやり加減を残したまま社屋へ向かう。

少々処理の難しい仕事が飛んで来ようが、重症の仕事が飛んで来ようが今日は気にならない。
ボスのすべり気味のツンドラギャグにも瞬時に対応。
ぱらぱらぱらぱら頻発するお茶汲み攻撃にちょっとうんざりはしたけれど、どうにかこうにかお守り発動させることなく、1日の業務を終える。


…さすがに、睡眠飢餓状態で夕方までキリキリ働くと、身体の方はぐったりモードに浸かりきってるけれど(-_-;


定時よりも少し遅れて事務所を出ると、鞄が静かに揺れる。
携帯を取り出すと、メールがひとつ。


「はやくー、はやくー(^^)でへへェ(~~)/。」


竜樹さん本来のキャラとまったく違うかわいらしい文面ににやけ気味の金岡霄。
ロッカールームに誰もいなかったことに感謝しながら、急いで着替える。
駐車場から「これから行くので、待っていてね」とだけメールを飛ばして、自転車をかっ飛ばす。

駅に着いた頃、また鞄が揺れる。


「たけのこご飯、炊いたよー」


…あぁ、かわいすぎるぜ、竜樹さん(*^〜 ^*)


竜樹邸に着いた時、疲れきった表情をしてないように。
「霄に会いたい」を一晩待ってもらった竜樹さんにちゃんと元気を渡せるように。
少しでも体力を温存しようと移動の間に細切れの睡眠を取る。
電車の中で仮眠を取り、降りる駅が近づくと立ち上がる。
電車を降りたら猛ダッシュで次の電車に飛び乗り、また仮眠。
それを繰り返し、発車間際のバスに乗り込みまた仮眠。

細切れの睡眠が疲れをそれほど取るのかどうか、大いに疑問だけれど少しでも休まったと思っていればどうにかなるような気がして、そのままうつらうつら…
降りるべき停留所のひとつ手前くらいでぱきんと目が覚めるのが、楽しみにしてる遠足の前の日の夜に眠れない子供さんと似てるよなぁなんて思いながら、一路竜樹邸を目指す。


「お疲れぇ♪仕事大変やったんちゃうん?」
「…や、お茶汲みが大変だった以外はどうにかなりましたよ♪」
「それにしては、何だか疲れてるって表情やで?」


………………/( ̄□ ̄)\ !


やっぱり夜中に映画を見たのは間違いだったか(当たり前)
思いっきり反省してると、じゃれっこモードな竜樹さん。
抱っこ抱っこしてて、ふと我に返られる。


「あ、そうや。まず飯食べな、霄がもてへんよなぁ」


いざご飯を食べようということになって、大変なことに気がついた。
私が来てから作ろうと思ってたというおかずに入れる野菜が切れてたらしい。


「今からちょっと買いに行ってくるわ」


私が行こうと玄関に向かうと、竜樹さんはそれを制して。大慌てで出て行ってしまった。
「買い物もリハビリの一環」と思えばそれはそれでよかったのだろうけど、私が動けるなら私が動くのに越したことはないと思う部分も間違いなくある。
他に何か出来ないかと冷蔵庫の中をごそごそ見てると、冷凍庫にむきえびがひとパックとミックスベジタブルが3分の1袋。

急に思い立って、鍋でお湯を沸かしてその中に冷凍むきえびをぼとぼと。
解凍が済んだかなと思ったらザルに上げて水を切る。
ミックスベジタブルも同じようにしておく。
熱したフライパンにオリーブ油を入れ、そこにえびを投入。
冷蔵庫にあったスイートチリソースを極微量入れて味をつけ、そこへミックスベジタブルを放り込み馴染んだら、溶き卵を流し込みふんわりと崩すようにして軽く火を通しておしまい。

名前なんてつけようもない、おそまつなおかずが出来上がった頃、買い物袋を提げた竜樹さんが帰ってきた。


「ただいまー(*^-^*)」
「お帰りなさい」
「何かすんごい美味しそうな匂いしてんねんけど?」
「…あ、冷蔵庫の余り物で簡単すぎるものを作ってみたんです」
「そしたら、新たに作らなくてもええっかぁ」


冷蔵庫の中から細々としたお惣菜を取り出してみると、確かにこれ以上作る必要はなさそう。

竜樹さんの手料理を食べ損ねたのは、ちょっと残念だったけれど…

竜樹さんが炊いてくれた筍ごはんに私の名もないおかず、そして細々としたお惣菜。
竜樹さんが炊いてくれた筍ごはん以外は非常に簡素なものだけど、2人で向かいあって食べるご飯がおなかにも心にも優しい。


「でも、こないだそらちゃんが炊いてくれた山菜ごはんのがごはんが柔らかくてよかったー」
「やっぱり無洗米よりも普通のお米のがええねやろなぁ」
「…あ、そうなのかもしれませんね」


ごはん談義を繰り広げながらご飯を食べ終わり、リビングに戻ってテレビを見る。
ひと心地つくと、竜樹さんのじゃれっこモードは再燃。
そのまま竜樹さんとくっついて過ごす。
その暖かさに絆されたからか、睡魔に襲われてそのまま眠ってしまった。
時間にして1時間ほどだったけれど、目が覚めたら妙にすっきりしていた。

そのまま隣で眠る竜樹さんの寝顔を眺めている。


「…あれ、俺も寝てたんか?」


ぼんやりした表情で竜樹さんが目を覚ます。


「こんな時、カメラ付携帯にしとけばよかったなぁって思うんですよね。
竜樹さんの寝顔、すんごいかわいいねんもん」
「…やめてくれよー」


暫くぼんやりとした会話を交わしてるうちに竜樹さんの目も覚めてきたみたいで、帰り支度を始める。

竜樹さんに触れられる距離にいると、自宅へ帰るのがかなりおっくうになる。
昨日の今日なのでそれはなおのことなのだけど、昨日の今日だから帰らないわけにはいかないから。


「なんか、もう帰らなアカンのか、ヤやなぁ」
「送っていかんなん竜樹さんも辛いと思うけれど、私もヤですよぉ」
「ヤやなぁ」
「あと2日の辛抱ですから、ね」


それは私自身にも言い聞かせたことではあるのだけれど。

週の中日に竜樹さんに会えるのは、どんな薬よりもいい作用を成す。
ずっとずっと一緒にいられたなら、お守りに頼らなくてもいろんなことを言い聞かせて歩かなくても、伸びやかに穏やかに歩けるのだろうか。


そんな日が来ることを心底願いながら、今日は竜樹邸を後にしよう。
いつか来る日のために、明日もその先も頑張ろう。



三者の会話が会話として成立しないまま、決裂してしまい自室に戻ってきた。
久しぶりに自室でしなければならないことはそれなりにあるのだけど、何もする気になれず、ぼんやりと思いを巡らせていた。

ふと竜樹邸に滞在してた時に姉さまからメールが届いていたのに返事をし損ねてることに気づいて、お返事をこちこち打つ。


私や姉さまと同期で、ことあるごとに会うメンバーは他にもいるのだけど、どういう訳か他の同期には話さないことを姉さまには話してしまう。
他の同期のように少々の好奇心交じりの「話してくれて嬉しいよ♪」ではなく、ただ静かに受け止めてくれる懐の深さみたいなものに私自身が寄っかかってしまうのかもしれない。


休みの日に辛気臭い話なんてしたくないけれど、何とはなしにキーは自分の置かれてる現状と自分の想いをこちこちと打ち続ける。

レスが面倒なら放っておいてくれていいんだよと思いながらそっと夜空に言葉を飛ばした。


すぐに返事が返ってきた。
私が連絡を入れずに外泊したことはしっかり諭された。
それは世間体の問題ではなく、ただ純粋なる心配から怒ることは当たり前なんだよと。
海衣との区別もあるのは仕方がないと。
金岡は妹さんと違って不器用な性質だから、彼女以上に行く末を心配してるんだろうと。

姉さまの言葉は冷静さを連れてきてくれる。
ただ「うん、判るよ」とだけ言う訳でもなければ、他人の人生で日頃の鬱憤晴らすような配慮のない言葉を吐きまわる訳でもない。
彼女のスタンスや言葉の選び方は、今の自分にはありがたいものだ。


「金岡さんにとって『どんな暮らしをするよりも、竜樹さんと一緒にいて心豊かな生活する方が幸せ』って判ってくれたら、反対しはらへんと思うねんけど、甘いかなぁ」


同期の中でも桁外れに生活レベルの高い姉さまからみたら、明らかに私がやろうとしてることは無謀だと思えるだろうに、どういう訳か私のやることをバカみたいだとは言わない。

他の同期には結構キツイ言葉を何度か繰り出すことがあって横で見てて何度か目をむくこともあったけれど、基本的にキツイ言葉の中にもある種の優しさは見える人だから、同期の人間も彼女を信頼してる。

8年間ずっと私が何を必要としてじたばたしてるのかを知った上で、そっと傍で見守ってくれてる姉さまの言葉は、私の心に暖かさをくれる。

根拠レスな涙を落としながら、ただありがとうと伝えたくて、キーをこちこち。


ありがとうの言葉を夜空に放ち、ようやく眠りについた。


昨日は夜までは竜樹さんと一緒にいて、家に帰ってきてからは姉さまとのやり取りがあったにも関わらず、目覚めると頭痛と吐き気に苛まれる。
薬を飲もうにも、水を飲むことすら気持ち悪い。
「頭が痛い時は、ひたすら眠るに限る」がお約束なのに、頭痛がひどすぎて眠ることも出来ない。
眠ることも出来ず、体を起こすと頭痛と吐き気の二本立てですっかりまいってしまう。
何も口にすることが出来ないまま、ただじっと蹲り、時折ちょこちょこ場所を変えては蹲りを繰り返して夜が来る。


…もしかして、身体が痛むのがピークに来た時の竜樹さんもこんな感じなのかな?


そんな風に感じたのは、ふと枕元の携帯に手が触れたときだった。
しんどい時はメールも電話も出来る状態でないというのはお約束だけれど、尋常でなくしんどい時は夜中や朝方にでも電話がかかることがある。
それは通常のしんどいよりもはるかに状態が深刻だっていうのは、電話口から聞こえる弱い声で判るのだけれど。

どうやっても苦痛が取れなくて、しんどくてやるせなくてどうしようもなくて、声が聞きたくなるんだと、今更ながらに思い知る。


「ごめんなぁ、一緒にいてるのにしんどい表情ばかりして…」


そう言いながら、しんどいのがピークを越すと「来んといて」よりも「来て」が勝つ場面に何度も立ち会ってるから、その思いの複雑さは判ってたつもりだったけれど。
竜樹さんの前では元気な私でいたいと思いながらも、しんどいから傍にいて欲しい、何をして欲しいという訳でなくただ傍にいて欲しいって思う。


ただ傍にいて欲しい、声が聞きたい、そこにいるって空気が感じられたらいい。


そうは思ったけれど、電話に手をかけることは出来なかった。
今の私は、まだ竜樹さんには話すつもりのないことまで話してしまいかねないから。
一緒にいてる時、さんざん甘えたんだ。
だから、もう少し踏ん張れる。


…それでも、竜樹さんの傍にいたいという思いに変わりはないのだけど


頭痛と吐き気は日付が変わる頃までずっと続いたけれど。
いろんなことがあって身体にブレーキがかかったことで改めて見えたこと。
それを握り締めてまた歩き出そう。
9回目の春はすぐそこだし、それを越えてもずっと変わらずに握り締めていたいもの。


ただ、竜樹さんと一緒にいたいということ。



楽しい食事を終えて、後片付けをする。
後片付けを終えると、竜樹さんが横になってたベッドの隣に滑り込んで暫くくっついてる。
ただ竜樹さん、お疲れが出たのか、本気で少し眠りたいそう。
ベッドが狭いので、こそっと抜け出し、その隣のスペースにお布団を引いて私も休む。

時計を見ると、20時15分。

自力で帰るなら、あと30分ほどしたら竜樹邸を出ないといけない。
それでも、眠りモードに入りかけの竜樹さんは時折甘えたな感じで手を伸ばしてくる。

それを握り返してるうちに、2人とも眠ってしまってたらしい。


…次に目を覚ましたら、22時10分前だった。


竜樹邸から最寄駅へ行くバスはもうない。
竜樹さんの手は私の手を握りっぱなしのまま、依然竜樹さんは目を覚まさない。

手をそっと抜いて帰り支度をすればよかったのかもしれない。
けれど、いつも眠りが浅い竜樹さんがぐっすり眠ってるのを起こしてしまいたくはない。

そのまま手を握られ続けたまま、時計とつけっぱなしのテレビをにらめっこ。
ずるりずるりと時間は過ぎる。


そのうち、竜樹さんの手がするりと抜ける。
帰り支度をしようと起き上がると、立ちくらみがひどくてよろける。
暫くお布団の上で座り込んでいるけれど、一向に頭のぐらぐらが取れず、また横になる。
時間はどんどん過ぎていく。


自力で帰るつもりでいたけれど、ふと帰りたくなくなった。
自力で帰るには体調が思わしくなかったのもあるけれど、さりとて「何となく帰りたくないので、今日は家には帰りません」と連絡を入れることも躊躇われた。

ひとまず体調が落ち着いたら、家に帰ればいいやとそのまま連絡をせずに横になる。

気がかりを残したまま横になっているので、眠りが浅くて何度も目を覚ます。
その度に時計を見て、ますます帰りにくい時間になってることが気持ちを重くする。

そうしてまたその事実に目を背けるようにして眠るを繰り返す。


時折、竜樹さんが触れる手で目を覚ます。
竜樹さんの身体の不調も尋常ではなくて、私に触れることでしんどさを忘れたかったみたい。

とっくの昔に自宅に帰るべき時間など過ぎているにもかかわらず、思考のどこかで時間が気になって仕方がない部分がある。
少しばかりの気のそぞろが竜樹さんに伝わるのか、少し困った表情を見せられてはっとする。

そうして竜樹さんの痛みが薄れるようにと願いながら、ただ竜樹さんを抱き締め続けて朝を迎えた。


目を覚ますと、朝とお昼の中間くらいの時間。
竜樹さんの方が先に起きて何かごとごとされているのは知っていたけれど、頭痛が取れないので暫くじっとしていた。
ようやく頭痛も治まってきたので、竜樹さんと2人で簡単な朝食を作る。

金岡の家のことを何も考えずにいてると、気分的に随分落ち着くのだけれど、ちょっとしたことで思い返すとまた気持ちは沈んでいく気がする。

「結局、無断外泊してしまったのだから悩んだってしょうがないじゃないか」と居直る気にもなれず、されども自宅に跳んで帰る気にもなれず。
ぼんにゃりとご飯を食べて、後片付けをする。


「なぁ、霄。連絡入れなくてええんか」とは竜樹さんからも聞かれてはいたけれど、今の時点で電話したところで却って火の勢いが強まるような気がしてならなくてやめてしまった。
口論の矛先がどう動いていくかも目に見えていたから…


ちょっと鬱々しさが見えてきたのか。
「体調の加減で外には連れ出せないけれど…」と2階で遊ぼうと竜樹さん。
録画してあった「RIKA」というかんなり怖いドラマを竜樹さんにくっついて見ていた。


「作りもんの話やねんから、そこまで怖がらんでもええやろ?」
「…だって、かんなりありえそうな話でしょお(>_<)」
「そらちゃん、甘えたやなぁ(*^-^*)」


三角座りで竜樹さんの布団にしがみつくようにしてる私を抱きかかえてくれてる竜樹さん。
ようやっと怖いドラマが終わったら、今度はミニ射的(笑)


「こうしたら、ええねんで♪(*^-^*)」


打ち方を教えてくれるときもまたずっと抱きかかえるようにしてくれる竜樹さんの温度がとても優しくて、離れがたい。
「ずっと傍にいられたらいいなぁ」と思う気持ちの隅の方で、帰宅後の光景が目に浮かんでまた沈む。
ミニ射的やネット遊びを2人でくっついてした後、またしても簡単な夕飯を2人で作る。
そうしてまた暫くゆっくりして、時計を見ると本当に帰らなければ具合の悪い時間になった。


竜樹邸を出てから、なるべく自宅に着くのが遅ければいいのにと思っているのに、信号はずっと青。
竜樹邸から自宅までの通常の所要時間より早く着いてしまった。
竜樹さんとの別れが辛いけれど、一緒にいられて嬉しかった気持ちの方が強いから、笑顔を交わして車を降りる。


…自宅に戻ると、予想通り凄惨なバトルを展開する羽目になった。


最初はただひたすら謝っていたけれど、過去に触れられるとどうしても海衣がいたの時のことが頭を掠める。
そのままじっと耐えれば互いの傷口は広がらずに済むだろうと思っていたけれど、彼らの非難の矛先が私から竜樹さんに移行したのが自制心をブチ切った。

この家にいてるうちは、この家のルールに従うのは当たり前だと思う。
この家に給料の半分近くのお金を入れてるということがあろうがなかろうが、それはここにいてる間は飲まざるを得ないことかもしれない。
それでも、もういい加減放っておいて欲しいと思う部分もある。


「海衣の時は何をやっても結局は許しつづけたのに、私の時は何やっても締めりゃいいって思ってるわけ?」


そう口を突きかけて、言葉を飲んだ。
ただ竜樹さんに過度に向かっていく尖った言葉に対しては、冷たく制したけれど。
冷徹に制する言葉に対する返事は、「別れるか、出て行くか、どちらか選べ」
答は簡単、即答できるけれど、それを今口にするべきではないだろうという気もした。
思った通り答えるべきかどうか迷いながら、二人の様子を冷えた目で眺めている。
金岡母の言葉と金岡父の言葉の中の感情の温度が微妙に食い違ってるのをどこか複雑な感情で眺めながら、心の底に冷えた言葉が浮かんでくる。


「もうこの辺が潮時なのかもね」


距離が近すぎるが故に、私も彼らも無遠慮になりすぎてる部分があるのは間違いない。

この家にいてる間はこの家のルールに従えは間違いない正論だけど、その中に流れてるものを見つめる時、明らかに海衣の時の対応の差に対する理不尽さを思い返すことになる。

決して、金岡両親も海衣のことも嫌いではないけれど、このままだと本当に嫌いを通り越して暖かな感情など微塵も流れない状態になるかもしれない。


大嫌いになる前に一度距離を置きたい。


竜樹さんとのこともあれば金岡家の事情を私なりに考えて決断した結果、ここに長くいすぎる羽目になったのだけれど。


そろそろそれを終える日が来るのかもしれない。
両極にありながらも、私にとって両者共に大切な人にあるには違いないのだから、そのどちらかに対する暖かな感情が完全に失せてしまうのは私が嫌だから。


暖かな感情が消え失せてしまう前に、一度離れた方がいいのだろうと思う。



1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索