自分の中に嬉しい気持ちや辛い想いが生まれた時、自分の中でそれらを完結させるのが至極当然のことなんだと思ってた。
自分が嬉しいと思ったことを誰かに伝えてみたところで伝えられた人がそれを嬉しいものとして受け止めるかどうか判らないし、辛い想いを話してみたところで語られた相手の許容量によってはそれはただ煩わしいことでしかないかもしれない。

起こることのすべてを自分の中で完結させることは、ごく当然のことなんだと思ってた。
今でもまだ、そう思うことはある。

最近、よっぽどのことがない限り身体の傍から携帯を離さない。
いつ引くともしれない痛みの中で、得体の知れない不安に苛まれる竜樹さんが私の声を必要とすることがあるから、いつかけてもらってもすぐに出られるように、常に携帯を見えるところに置くようにしてる。

私の声なんかでその出口が見えてくるのなら、何時にかかってこようが少しも迷惑じゃない。
むしろ一番辛い時に私を思い出してくれることが嬉しいと思う。

けれど、昨夜はちょっとうっかりしてた。

「さっきあんたの携帯、鳴ってたわよ」

リビングに携帯を置いたままにして別の部屋での作業に夢中になってた。
母に言われて慌てて携帯を手にとり、履歴を見ても誰からかかってきたか判らない。
履歴の様子から判断して多分竜樹さんだろうと思ってかけ直したけれど、竜樹さんは出ない。

…もし、何かあったんやったらどうしよう。

携帯を体から離したことをひどく後悔する。

数時間後、竜樹さんから電話があって外から電話したかどうか確認してみたけれど、「いや、してないよ?間違い電話かいたずら電話違うか?」と言われてちょっと安心したものの、根本的に疑問が解消された訳ではない。
電話を切ってからぼんやりしてるうちに、「もしかしたら」と感じることがあったのだけど、それを確かめるには少し時間が遅かったので確かめることなく眠ってしまった。

朝が来て、身支度整え魔境に向かう。
週明けの魔境は仕事量云々より何故か作業の繋がりが悪くて気分がどんどん滅入ってくる中で、時折昨夜の疑問が心を掠めていく。
時間が経つにつれ「もしかして」は「多分そうじゃないか」という確信めいたものに変わっていくのがはっきり判った。

昼休みを迎え、食事と定例の後片付け&ボスティの作業を済ませ、これまたいつものように携帯を持ってこっそり屋上に上がる。
いつもはそこから竜樹さんに電話する。
機械越しの声がしんどそうな色を帯びていても、元気そうな色を放っていても、竜樹さんの声を聞くのは魔境における私の唯一の癒し。
仕事の加減でその時間すら取れない時はへろんへろんのまま後半戦に挑まなきゃならない。
根性なしの私は耐え切れずに、短い時間でも竜樹さんに電話してしまうのだけど…

それでも「多分そうじゃないか」を確かめてみたかった。
私の確信が間違ってたら、こんな時間に電話されても迷惑かもしれない。
けどそれが的中してたなら、昨夜の電話で話したかったこと、聞いておきたいって思うから。
それを聞かずに流してしまうには、確信が強すぎた。

だから、いつも飛ばすよりももっと遠くへ、携帯の電波を飛ばしてみた。

私の「もしかして」は当たっていた。

話を聞いているうちに、何故電話をくれたのかなんとなく判る気がした。
話を聞けば、たちどころに事態を変えられる訳じゃない。
話を聞いたところで、何をしてあげられる訳でもない。
それでもふっと何かしらの感情が生まれた時に、近くにいる訳でもない私を思い出してくれたことがとても嬉しいと思うから、話したいと思うこと、時間の許す限り聞きたいって思った。

嬉しい気持ちが生まれた時、辛い想いが生まれた時。
そのすべてを共有できる訳はなくても、誰かに伝えたいと思った先に私がいること。
それがとても嬉しい。
笑顔であってもなくてもその人がその人であるには違いないけれど、会話をすることで幾許かの笑顔を呼び戻せたら、それはとても嬉しい。
そんなさまざまな瞬間を嬉しいと感じられることが嬉しい。

風が強く、様々な轟音が巻き起こる青い空の下での会話を終えて。
誰にとはなく「ありがとう」と口にする。

嬉しいと思えることが素直に嬉しい。
大切に思う人の心の傍にいられることが嬉しい。

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