Colorless

2003年10月2日

朝から事務所に入ってすぐ殺気立つほどの量の仕事にげんなりしつつも、余計な用事を極力寄せ付けない程度に殺気立って仕事を片していた。
頭の中でぱーんと何かが弾けたよな感覚を覚えた後、仕事の段取りがパズルのピースが填まるみたいにちゃんちゃんと片付き、「あー、どっかの番組でも似たような場面があったよなぁ」なんて程度に脇道にそれる思考回路を残しつつ、多分傍目にはずっと殺気立ってるような状態で仕事に取り組んでいた。

片付きそうになったらまたどかんとやってくる仕事にげんなりするを通り越して理不尽な怒りを覚えながらも、ただ目の前にある仕事をどうしたら片付けられるかだけに意識を割いてるつもりだった。


…ふと、殺気立ってる思考に妙な感情が流れる。
何故そんなことを思ったのか、今となってはもう思い出すことも出来ないけれど、
不意に人の持つ色について思いを廻らしてしまった。


人は人それぞれに色を持っていて。
その色はひとつとして同じ色なんてなくて、なんて書くとどこか使いまわされすぎた表現だなぁとも思うけれど。
その人が持つ色に惹かれて違う誰かがその人の傍にやってきて、
その人の持つ色を好きになって、その想いが重なって、幸せな何かに結びつくのだと。
そんな日常のひとつの場面を思い起こしてた。


…「自分の色ってどんなんだろう?」と考えた時、頭の中に「Colorless」という単語が過ぎった。


強い色を放てば、それなりに強くも見えるしどこかよさげにも見える。
その部分に寄りかかって自分を守ってた時期もあったから、強い色の与える影響がどんなものであるかもそれに寄りかかる楽さ加減も判ってはいる。

ただ強い色を放つことで他の誰かの持つ色を殺すなら、強い色の持つ良さなんてたかだか知れてるだろうと感じる部分があって、人の持つ色をなるべく尊重できる形で自分の色を微妙に変えたり合わせたりするようになって。
別段それを間違ってるとも思わないけれど、ふと本当にこれでいいのかなと思う部分もある。

それは色がないように見えることをいいことにその上に胡座をかいて好き放題のたまう人に出会いすぎたからという訳でもないのだろうけど…


どんなに殺気立ちながら仕事に取り組んでいても、「Colorless」という言葉が頭の中から抜け落ちることはなかった。

殺気立ちモードのおかげで無事に仕事も片付いたというのに、気持ちはどこかすっきりしなくて。
色をもたぬ自分の周囲にあるものに目を向け、少し冷めた気分になる。


寄り道して帰りたい気もしたけれど、身体は疲れてならない。
身体は疲れているけれど、そのまままっすぐ帰りたいわけでもない。

目の前に広がる空の色が微妙に変わるのを眺めながら、友達とメールを交わしていた。
友達の言葉に沿うつもりはなかったけれど、結果的に電車とバスをそれぞれ1台ずつ遅らせてみた。
それぞれの待ち時間の間、色を変えていく空を眺め、肌を通り過ぎる涼やかな風をただじっと感じていた。


自分が選び取ったそれが間違ってるわけでないと知っていても。
その根拠が自分の中に確固たる物として存在していたとしても。
時々「これでいいのかな?」と思う瞬間はある。
ましてや色味の強さに寄りかからずにいてれば、色を持たぬことの持つ別の弱さを垣間見て考えてしまうこともある。


「色を持たない私の何がいいんでしょう?」


不意に竜樹さんに聞いてみたくはなったけれど、そんな馬鹿げたことを聞くのもどうかと思うし、聞かれた方だって迷惑ってもんだろう。
一瞬、冷めた思考が勝手に提示した答を反芻すると悲しくなってもくるけれど。


「そんなもん、どっちでもいいやんか。
色を持たぬなら持たぬなりのよさも強さもあるでしょうよ」


交通機関のダイアグラムに振り回されることなく、ただぼんやりと涼やかな風と微妙に色を変える空に触れてるうちにまた少しずつ居直りの色を挿した元気が戻ってくる。
そこへ携帯メールが飛び込む。


「空気も水も色がないけれど、反射率で青くなりますよね」


その後に続いた言葉がなんだかとても嬉しくて、ようやく重い腰をあげてまた家路につく。
何故人の持つ色について考えたりしたのか、どうして気持ちが沈んでいったのか。
そのはじまりも終わりもはっきりしないけれど、それはそれでいいやって気がした。
ただ迷走した思考がどうにかおとなしくなってくれただけでいいやって気がした。


Colorlessな自分が人からどう見えるかは知らない。
無理やり知りたいとももう思わない。

ただ、強い色の像を掲げて自分の色が一番美しいのだとがならなくても。
そんな風に他人に思い込ませようと躍起にならなくても。
私の傍にいる大切な誰かの色をそっと反映して、その色の持つ暖かさなり優しさなり強さなりをそっと映し返して、大切な誰かのよさをそっと認めて支えられるなら。
そうする過程そのものにそっと自分らしさを添えてそこにいることが出来るのなら。

Colorlessであることもきっと悪くはないんだろうと思う。


今はそう思う。



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