雨だけじゃない。
2003年4月29日朝、雨音で目を覚ます。
手を伸ばしても当たるのは、温度を感じさせない読みかけの本や組み立て前のキットの箱。
…あぁ、ここ竜樹さんちじゃないんだぁ
そんな感覚でここが自分の部屋であって竜樹邸じゃないことを思い知る。
竜樹邸なら同じたらりんとした状態であっても、「ごはんしなきゃ」とか「片付けしなきゃ」とかって何かやることを見つけて動くのだけど、自分ひとりだと食べることも片付けることもよほど感覚の部分に障らなければ放り投げてしまう。
それでも、金岡両親やらプードルさんがいるので、そうそう自堕落しきった状態でいられる訳でもなく、昼食を作ったりプードルさんの子守りをしたりするのだけど。
雨がひどいからか、それとも他の要素があるのか。
ちょっと気を抜くと、頭痛が勢力を増してくる。
こうなってくるといよいよ何もすることができず、起きてても寝ていても気持ち悪いような状態が続く。
金岡両親が買い物に出る間、プードルさんの子守りをするためにリビングに降りる。
携帯片手に時々メールを飛ばしたり、頭痛に耐えかねてプードルさんとくっついて横になってみたり。
ずっと頭痛がひどい訳でもないから、借りてるビデオを見たりして過ごす。
雨が降る前後は竜樹さんも具合を悪くされる。
それでも昨日お散歩には出られたのだから、極めてマシな状態だったのだろうとは思う。
ただ、今日もそのマシな状態なままだとは思えない。
私が竜樹邸にいてる時に具合が悪くなっても、病院に連れて行ったりという直接的な手伝いは出来なくても出来る範疇でなら手伝いは出来る。
その場に居合わせてても無力感に苛まれることは避けられないけれど、それでも相手のいないところでどんな状況にあるのかも判らないまま気を揉むよりかはマシだろうと思うと、頭痛圧しても竜樹邸に行くべきだと思うけれど、身体は思うようにならない。
気持ちも身体も鈍い重さを抱えた状態のまま、じっと痛みと気持ち悪さと格闘しつづける。
そんな感じのまま夕方までぐずぐずと過ごしてしまった。
ふと手の中の携帯が鳴って驚く。
思わぬことがあってどうしていいのか判らなくなってる友達からの電話にどう答えたらいいのか迷うけれど、その事態が早く打開できますようにと祈りながら、私自身が似たような状況に陥った時どうだったかを振り返りながら、言葉に置き換え話し掛ける。
友達は幾分落ち着きを取り戻して、また先を急ぐ。
電話を切ってから、話してる間は吐き気がするほどの頭痛が幾分治まってたことを不思議に思う。
…雨だけじゃないのかも
吐き気付の頭痛によって何かをする気力も物理的な力も削がれるのは事実だけど、何か変化があればそれを忘れていられる時間があるのも確か。
そもそもこの吐き気付の頭痛が本当に雨が降るからという自然現象だけが原因だとは考えにくい部分もあって、その他の理由を知りたいなとは思っていた。
ただそれを知ろうとすると、却って心に痛みが走ることもまた事実なのだけど。
雨の降る前後、竜樹邸に身を置いていない週末。
それがどんな風に自分の心と身体に作用してるのか、本当はもうずっと前に気づいてはいたんだろうけど、それを力だけを以って封じようとすればそれに見合うだけの何かが自分に切っ先向けて跳ね返ってくるってことも承知してる。
その痛みの質がどんなものなのかが漠然とでも判っているからこそ、未だに着手できずにいる。
大きな変化が加わるだろう時まで、あと数ヶ月。
その間に自分が身を置く環境が劇的に変わるわけでも、劇的に変えられるわけでもないこともよく判ってる。
それでも、可能な限り自分が納得できる結果を引きずり寄せたいとは思ってる。
吐き気を伴う頭痛に苛まれながら思考はループを描きつづける。
少なくても今の自分の状態からベストの結論なんて導き出せる訳ではないけれど、いつまでも吐き気付の頭痛に苛まれてうめいてる訳にもいかない。
原因は雨だけじゃない。
雨降りが齎す症状を回避できないのは仕方なくても、それ以外の原因があるのなら。
そこは取っ払うか折り合いつけるかして、解決するしかないのだろう。
今更だけど、やっぱりそれは確かなんだろう。
それが確かではあっても、すべてをクリアにするだけの力はまだ十分でない。
想いが足りないというよりも、きっと覚悟が足りない。
吐き気付の頭痛と上手に付き合うことと足りないものを諦めることなく手に入れる努力は続けよう。
雨降りだけが原因じゃないのなら。
自然現象がすべての原因でないのなら、まだ軽減する余地はあるのだろうから。
手を伸ばしても当たるのは、温度を感じさせない読みかけの本や組み立て前のキットの箱。
…あぁ、ここ竜樹さんちじゃないんだぁ
そんな感覚でここが自分の部屋であって竜樹邸じゃないことを思い知る。
竜樹邸なら同じたらりんとした状態であっても、「ごはんしなきゃ」とか「片付けしなきゃ」とかって何かやることを見つけて動くのだけど、自分ひとりだと食べることも片付けることもよほど感覚の部分に障らなければ放り投げてしまう。
それでも、金岡両親やらプードルさんがいるので、そうそう自堕落しきった状態でいられる訳でもなく、昼食を作ったりプードルさんの子守りをしたりするのだけど。
雨がひどいからか、それとも他の要素があるのか。
ちょっと気を抜くと、頭痛が勢力を増してくる。
こうなってくるといよいよ何もすることができず、起きてても寝ていても気持ち悪いような状態が続く。
金岡両親が買い物に出る間、プードルさんの子守りをするためにリビングに降りる。
携帯片手に時々メールを飛ばしたり、頭痛に耐えかねてプードルさんとくっついて横になってみたり。
ずっと頭痛がひどい訳でもないから、借りてるビデオを見たりして過ごす。
雨が降る前後は竜樹さんも具合を悪くされる。
それでも昨日お散歩には出られたのだから、極めてマシな状態だったのだろうとは思う。
ただ、今日もそのマシな状態なままだとは思えない。
私が竜樹邸にいてる時に具合が悪くなっても、病院に連れて行ったりという直接的な手伝いは出来なくても出来る範疇でなら手伝いは出来る。
その場に居合わせてても無力感に苛まれることは避けられないけれど、それでも相手のいないところでどんな状況にあるのかも判らないまま気を揉むよりかはマシだろうと思うと、頭痛圧しても竜樹邸に行くべきだと思うけれど、身体は思うようにならない。
気持ちも身体も鈍い重さを抱えた状態のまま、じっと痛みと気持ち悪さと格闘しつづける。
そんな感じのまま夕方までぐずぐずと過ごしてしまった。
ふと手の中の携帯が鳴って驚く。
思わぬことがあってどうしていいのか判らなくなってる友達からの電話にどう答えたらいいのか迷うけれど、その事態が早く打開できますようにと祈りながら、私自身が似たような状況に陥った時どうだったかを振り返りながら、言葉に置き換え話し掛ける。
友達は幾分落ち着きを取り戻して、また先を急ぐ。
電話を切ってから、話してる間は吐き気がするほどの頭痛が幾分治まってたことを不思議に思う。
…雨だけじゃないのかも
吐き気付の頭痛によって何かをする気力も物理的な力も削がれるのは事実だけど、何か変化があればそれを忘れていられる時間があるのも確か。
そもそもこの吐き気付の頭痛が本当に雨が降るからという自然現象だけが原因だとは考えにくい部分もあって、その他の理由を知りたいなとは思っていた。
ただそれを知ろうとすると、却って心に痛みが走ることもまた事実なのだけど。
雨の降る前後、竜樹邸に身を置いていない週末。
それがどんな風に自分の心と身体に作用してるのか、本当はもうずっと前に気づいてはいたんだろうけど、それを力だけを以って封じようとすればそれに見合うだけの何かが自分に切っ先向けて跳ね返ってくるってことも承知してる。
その痛みの質がどんなものなのかが漠然とでも判っているからこそ、未だに着手できずにいる。
大きな変化が加わるだろう時まで、あと数ヶ月。
その間に自分が身を置く環境が劇的に変わるわけでも、劇的に変えられるわけでもないこともよく判ってる。
それでも、可能な限り自分が納得できる結果を引きずり寄せたいとは思ってる。
吐き気を伴う頭痛に苛まれながら思考はループを描きつづける。
少なくても今の自分の状態からベストの結論なんて導き出せる訳ではないけれど、いつまでも吐き気付の頭痛に苛まれてうめいてる訳にもいかない。
原因は雨だけじゃない。
雨降りが齎す症状を回避できないのは仕方なくても、それ以外の原因があるのなら。
そこは取っ払うか折り合いつけるかして、解決するしかないのだろう。
今更だけど、やっぱりそれは確かなんだろう。
それが確かではあっても、すべてをクリアにするだけの力はまだ十分でない。
想いが足りないというよりも、きっと覚悟が足りない。
吐き気付の頭痛と上手に付き合うことと足りないものを諦めることなく手に入れる努力は続けよう。
雨降りだけが原因じゃないのなら。
自然現象がすべての原因でないのなら、まだ軽減する余地はあるのだろうから。
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