ひととき意識を沈めて
2002年12月18日昨夜もまたプラモデルを作っていた。
ニッパーで切っては組み、切っては組みを繰り返す。
夜中に作ってるせいもあるのだろうけど、音のない世界で作業をしてるような感じ。
うっかりしてると夜通しやってしまいそう。
「早くやらなきゃ、早くやらなきゃ」って思いながら何かをすることが多いのに、「早くやめなきゃ、早くやめなきゃ」って思いながら何かを続けてるってこと自体珍しい。
ようやっと自分を宥めすかして、横になって少しばかりの仮眠を取った。
窓の外に見えたのは、鈍色の空。
空の色に心を引きずられるような感じが抜けないのは、単なる寝不足なんだろうか。
重たい心を引きずって家を出る。
最近、何故か何かをするぞと心に決めれば決めるほどブレーキかかるような感じする。
その引っかかり感を引きずり倒してでも進みたいと思う気持ちばかりが空回りしてるような気がする。
その引っかかり感は12月に入ってから少しずつ感じていたことではあるけれど、今の状態のままで荒れ狂う状況が凪ぐのを待つのにすら気力がいることに対しかなりじれてる自分がいる。
じっと嵐が過ぎるのを待ちさえしたら、小さな願いはきっと叶うのに。
今まで効かせていられた待てがどうしてここまで効かないのだろう?
友達に「最近の霄さんはどこか不安定だ」という指摘は受けていたけれど、もしかしたらこんなあたりに不安定さの根っこがあるのかもしれない。
どうしたら現状を打開できるのか、どうしたらこの不安定さを宥めることが出来るのか。
何をすればいいのか、何もしなければいいのか。
それすら判らなくて、ただ目の前にやってくる仕事をひたすら片付けつづけた。
ところがひたすら片付けつづけてるうちに、気持ち悪いくらいにきれいに仕事が片付いてしまった。
ぼんやりと想いを眺めながら、ぽつぽつとやってくる仕事を片付けつづけた。
仕事が立て込もうが緩やかだろうが、私の心の中にある引っかかり感みたいなものがぽろりと落ちるわけではないけれど。
終始、すっきりしないまま仕事を終え、帰宅した。
部屋には昨日の作業の続きが待っている。
一通りしなければならないことを終え、昨晩と同じくニッパーとドライバー片手に黙々と作業をする。
作業をしてる間はつけっぱなしにしてるパソコンの放熱ファンの音が頭の中でかすかに聞こえる程度。
すっきりしない気持ちも竜樹さんとのことも。
黙々と組む作業をしてる間はどこかに形を潜めるようで、何もない世界にとぷんと身を浸していられる。
…うっかり、金岡母が呼んでるのを聞き落としてしまって怒られてしまったけれど
金岡母に怒られて、我に返ってふと友達の言葉を思い出す。
何かが自分の心につかえていてもいいのだと。
没頭できることがあるのなら、存分にすればいいのだと。
それが何になってもならなくても、大切なことだと。
互いの想いがどうあれ、取り巻く環境が決して本人たちにとっては面白くないものであって、それを甘んじて受けることも徹底的に抗うことも叶わなくて、じりじりと焦燥感と消耗感が身体を包み込むような感覚にここんとこずっと捕らわれてるような気がしてるけれど。
全然関係のないことにひととき意識を沈めて、神経を休ませることも必要なのかもしれない。
この作業に没頭しすぎると、気がついたときには竜樹さんに連絡するには遅すぎる時間になってしまってるっていうのが難だけど。
ひととき意識を現状から切り離すことで2人で歩く道を拓く力を生むのなら。
遠慮なく沈めばいいか。
沈み切ったら、もうあがるしかないのだから。
そんな風に思いながら、机の上に放りっぱなしにしてる材料を手にとって、また意識を沈める。
それが何の解決にもならなかったとしても…
ニッパーで切っては組み、切っては組みを繰り返す。
夜中に作ってるせいもあるのだろうけど、音のない世界で作業をしてるような感じ。
うっかりしてると夜通しやってしまいそう。
「早くやらなきゃ、早くやらなきゃ」って思いながら何かをすることが多いのに、「早くやめなきゃ、早くやめなきゃ」って思いながら何かを続けてるってこと自体珍しい。
ようやっと自分を宥めすかして、横になって少しばかりの仮眠を取った。
窓の外に見えたのは、鈍色の空。
空の色に心を引きずられるような感じが抜けないのは、単なる寝不足なんだろうか。
重たい心を引きずって家を出る。
最近、何故か何かをするぞと心に決めれば決めるほどブレーキかかるような感じする。
その引っかかり感を引きずり倒してでも進みたいと思う気持ちばかりが空回りしてるような気がする。
その引っかかり感は12月に入ってから少しずつ感じていたことではあるけれど、今の状態のままで荒れ狂う状況が凪ぐのを待つのにすら気力がいることに対しかなりじれてる自分がいる。
じっと嵐が過ぎるのを待ちさえしたら、小さな願いはきっと叶うのに。
今まで効かせていられた待てがどうしてここまで効かないのだろう?
友達に「最近の霄さんはどこか不安定だ」という指摘は受けていたけれど、もしかしたらこんなあたりに不安定さの根っこがあるのかもしれない。
どうしたら現状を打開できるのか、どうしたらこの不安定さを宥めることが出来るのか。
何をすればいいのか、何もしなければいいのか。
それすら判らなくて、ただ目の前にやってくる仕事をひたすら片付けつづけた。
ところがひたすら片付けつづけてるうちに、気持ち悪いくらいにきれいに仕事が片付いてしまった。
ぼんやりと想いを眺めながら、ぽつぽつとやってくる仕事を片付けつづけた。
仕事が立て込もうが緩やかだろうが、私の心の中にある引っかかり感みたいなものがぽろりと落ちるわけではないけれど。
終始、すっきりしないまま仕事を終え、帰宅した。
部屋には昨日の作業の続きが待っている。
一通りしなければならないことを終え、昨晩と同じくニッパーとドライバー片手に黙々と作業をする。
作業をしてる間はつけっぱなしにしてるパソコンの放熱ファンの音が頭の中でかすかに聞こえる程度。
すっきりしない気持ちも竜樹さんとのことも。
黙々と組む作業をしてる間はどこかに形を潜めるようで、何もない世界にとぷんと身を浸していられる。
…うっかり、金岡母が呼んでるのを聞き落としてしまって怒られてしまったけれど
金岡母に怒られて、我に返ってふと友達の言葉を思い出す。
何かが自分の心につかえていてもいいのだと。
没頭できることがあるのなら、存分にすればいいのだと。
それが何になってもならなくても、大切なことだと。
互いの想いがどうあれ、取り巻く環境が決して本人たちにとっては面白くないものであって、それを甘んじて受けることも徹底的に抗うことも叶わなくて、じりじりと焦燥感と消耗感が身体を包み込むような感覚にここんとこずっと捕らわれてるような気がしてるけれど。
全然関係のないことにひととき意識を沈めて、神経を休ませることも必要なのかもしれない。
この作業に没頭しすぎると、気がついたときには竜樹さんに連絡するには遅すぎる時間になってしまってるっていうのが難だけど。
ひととき意識を現状から切り離すことで2人で歩く道を拓く力を生むのなら。
遠慮なく沈めばいいか。
沈み切ったら、もうあがるしかないのだから。
そんな風に思いながら、机の上に放りっぱなしにしてる材料を手にとって、また意識を沈める。
それが何の解決にもならなかったとしても…
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