暖かなことと悲しいことが一挙にやってきた2日間が終わった。
そしてやってきた次の朝の私は、まだどちらかというと心の中にある小さな悲しみが暖かな何かよりも少しばかり勝ってる状態。

「こんなことで蹴躓いてる場合じゃないんだけどなぁ」と思う自分も確かにいるのだけれど、過剰な期待が覆ったことによるダメージが大きかったのも事実。
ここにきて、自分自身の中で甘えの部分が目立ってきたので、一度そのあたりを締めなきゃならないだろう。

そのために、よき想い出にすら蓋をしなきゃならないのならそれですら仕方がないのかもしれない。

竜樹さんが何度か仰ってた「会期中に日帰りでも行こう」という言葉の根っこにある気持ちは間違いなく嬉しいものだけれど、履行しなきゃならないと竜樹さんにプレッシャーをかけるものとなるのなら、はなからないものとして取り扱った方が互いに気楽になれるんじゃなかろうか。

何年も続いてきた小さいけれど暖かな冬のイベントに自ら終止符を打つ方向でぼんやりと思考を漂わせる。


そのうち、金岡母と出かける時間になってしまい、慌てて用意をして出かける。


今日は金岡母とミュージカル観劇。
演目は、ずっと以前から「連れてって、連れてって」とせっつかれてた宮本亜門の「アイガットマーマン」。

初演からメンバーが変わってしまってるのと、正直ミュージカルを楽しめる心境じゃなかったから、出かけるということ自体が煩わしいのだけど。
約束してたのだから仕方がない。
やる気なく家を出て、愛想なく移動を繰り返す。

金岡母には申し訳ないことをしてるって思うけれど、外に出て大きな街に出かけていくと、そこここで神戸の広告を目にすることになってまたべこり。


…往生際悪いぜ、自分?


自分で自分に毒づいて、また落ち込む。
周りが賑やかになればなるほど、そこにいてること自体が嫌で仕方なかった。
ぼんやりと劇場に向かう途中で食事をとろうということになって、珍しく「ピザを食べたい」と言う金岡母のリクエストにお応えしてイタリアンの店に飛び込む。

そこで、前菜、パスタ、ピザとドリンクデザートがついて2人分4200円のコースがあったので、それを注文しようとしてがっくり。


…本日のパスタがカキのクリームソースだった。


随分昔にカキにあたって以来、どんなに煮詰まって小さくなったカキでも食べると確実にもどしまくる。

仕方なく、単品でピザとパスタを一品ずつ取る。
母が選んだのは、生ハムと野菜のピザ。
私は、地鶏のマリネハーブソースのパスタ。

やってきたピザを見てびっくり。
生地が見えないくらいにてんこ盛りの野菜と生ハムで、どこから切っていいのやらさっぱり判らない。
適当にピザカッターで切ってドレッシングをかけて食べ始めるけれど、生地がめちゃめちゃ薄くて野菜の乗ったピザを食べてるのか、サラダを食べてるのか判らない。

パスタは塩加減も丁度よかったのだけど、ハーブソースの殆どがネギでハーブソースというよりネギソースという感じ。
決して美味しくないわけじゃないけれど、思ったのと少し違った感じの料理に2人ともぼそぼそぶつぶつ…

いつか金岡父が「めちゃめちゃ美味しいという訳でない料理を食べるっていうのも、そこから会話が生まれるからそれはそれでええねんで」と話していたことを何気に思い出した。


仕切りなおしにコーヒーを飲んで、劇場へ向かう。


開場前から劇場前には列が出来ている。
ハコが小さいから、それほど沢山の人が来てると言っても知れてはいるのだろうけど、劇場前に来ると妙にどきどきするのは毎度のこと。
ここへ来るまでは「出かけなければよかった」なんて思ってたくせに、そんな思いはどこへ行ったか。
自分の席について、会場内を見回しながら金岡母と話し込んでいた。

会場には外国籍と思しき方も結構いらっしゃる。
この公演がブロードウェイで成功したのの凱旋公演だというのもあるからかもしれない。
舞台に乗り乗りになれる人たちだといいのだけれどと思いながら開演を待っていた。


開演のブザーが鳴って、始まるともう余計な思考の入り込む余地なんてなかった。
これがエセル・マーマンの一生を描いた話だとか彼女がどうとかいうことすら思考の中には入ってこない。


ただただ、楽しい。


いい演出とそれと対を張れるほどの役者さんの演技や歌の技量や想いがあれば、能書きは要らないし講釈たれる余地もない。
久しぶりにそんな感じのミュージカルを観てる。
宝塚を観に行って相棒とわいわい言ってるのは会話の一貫でもあり、一番いいと二人が想ってた時代を知ってる状態での不満だったりするのだけど。
隣に座ってる金岡母とこのミュージカルが終わってからどんな話をするのだろう?
もしかしたら、たった一言で終わってしまうかもしれないなぁと思ったのは、怒涛の勢いで駆け抜けていった前半が終わった時だった。


金岡母は中島啓江さんが出てるのを見たかったらしくて最初はがっかりしてたのだけど、ものの見事に今回の舞台に引き込まれた模様。
ただただ楽しいのだというのは、私も金岡母も一致してたらしい。
インターミッションが会話の時間になるのはいつものことだけれど、そのインターミッションが早く終わればいいのにと思ったのも随分久しぶりのような気がする。


後半になっても、舞台のテンションは下がることなく、寧ろ上がっていく一方。
観客席の通路を走り回っていったり、お客さんの膝の上にぼすんとおすわりになったり。
誰かを舞台の上に引きずり上げたり。
私は膝の上に座られたわけでも舞台の上に引きずり揚げられたりもしなかったけれど、自分もそこにいて参加してるような気分には確かになれる気がする。

幸い、外国籍のお客さんも異常に盛り上がっておられて、それがまた他のお客さんの盛り上がりを誘う。

新感線☆を3回に渡って観続けた時も「楽しいなぁ」って思ったけれど、今回はそれ以上。
あっという間に舞台は終わりを迎え、カーテンコール。


「大阪のお客さんはしつこく役者さんを引きずり出す」


相棒と劇を観に行くたびにそんな話をするのだけれど、今回のお客さんも相当にしつこかった。
結局、4回ほどカーテンコールを繰り返し、劇場の係員に殆ど無理矢理追い出される形で劇場を後にした。


「前の方にいたお客さん、リピーターだよね?
妙にいろんなリアクションの間を知ってたりしてたもんね?」
「初演から微妙に演出が変わったりしてきてるんだろうから、また次の公演があったら来てみたいね」


同じ公演をまた見たいなんて金岡母が言うこと自体が珍しいから、びっくりしたけれど。
ちょっとした意外な金岡母の言葉に出逢えたことや純粋に楽しめた演目に出逢えたこと。
来るまで鬱々といろんなことを思っていたけれど、今日はこれでよかったんだと思える。


悲しいことを忘れるのに、敢えて自分の中で底を打つまで沈んでいこうとする自分がいる。
それは底を打てば必ずあがってくる自分を知っているから。
今までそうやってきたから。
だから、そのやり方に敢えて乗ろうとするのだけど。


楽しめることがあるのなら、ただそれを楽しめばいいのかもしれない。
それが今の自分にそぐわなくても、「なんだかな?」って思っても。
楽しめることにかちんと乗っかることが出来たら儲けもの。
そんな何かに出逢えたなら、底を打つまで沈むことなくゆっくり優しく越えることが出来るのかもしれない。


そんな側面も確かにあるんだなって思う。
120分ほどの純粋な熱にそんな確信もまた得た気がした。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索