心の位置取りすら…
2002年11月26日火葬場から本邸に戻り、本当はこのあと初七日の行事と食事の席が控えていたのだけど。
私は先に自宅に戻ることになっていたので、帰り支度を始める。
その後の行事に残る親戚の人々に個別にお礼を告げて玄関で靴を履いていると、私が返ることを知らなかった本家の伯父が声をかける。
「なんや、帰るんかいな。食事もあるのに…」
「いえ、どうしても戻らないといけないらしいので…」
ちょっとした話になったのだけど、「食事はまたの機会に」ということで、本邸を後にする。
…多分、私がここを訪れることはもうないだろうけれど。
外は未だに雨降りやまず。
うっかりコートを持って出るのを忘れた私の身体に寒さがこたえる。
足早に家路を急ぐ。
電車を何回か乗り継いだところで、メールをひとつ。
「滞りなく終わりました。
告別式の時は挨拶が忙しくて、泣く余裕なし。
お別れの時涙は出かかったけど、お花を配る手伝いして余裕なし。
火葬されて、骨壺に骨を入れる時、やっと涙が出そうになりました。
今、みんなより先に帰宅途中です。
独りになったら、ちゃんと泣けるかも知れません。
暖かい言葉をありがとうね。
嬉しかったよ。
そら」
車内の暖かさに身体の中から緊張が取れたのか、少しばかりうつらうつらしかかったけれど。
意識が落ちそうになるたびにドアが開き、冷気がひゅーっと入ってくる。
帰宅までの最短ルートを模索しながら、移動を繰り返した。
次の乗換えを控えてる時に、携帯が揺れる。
「お疲れ様でした。お祖母さんも孫の活躍に安堵されていると思います。
人生は喜怒哀楽の繰り返し、終焉を迎えたとき、ご苦労様でしたと言ってくれる人がいたら、生きたことの証ではないでしょうか。
人生は喜怒哀楽、悲しいあとは楽しく振る舞うことが、故人に対しての感謝の意を表わせるのではないでしょうか。
なぜなら、子孫の楽しい姿を見て気を悪くする祖先はいないから・・・」
竜樹さんの言葉が心の中で穏かに溶け出していく。
まだ出先だったから、さすがに泣きはしなかったけれど…
冷たい雨が降り注ぐ街を眺めながら、自宅へ戻った。
連日人が殆どいなかった金岡邸でプードルさんはぐったり気味。
プードルさんは全員が留守にしてると休むことなく起き続けているので、誰かひとりでも戻ってくると安心して休めるらしい。
台所で夕飯の支度をしたり、眠るプードルさんの傍にいて文章を纏めたりしながら金岡両親の帰宅を待った。
金岡両親が戻ってきて用意したご飯を出そうとしたら、本家から沢山お土産を持たされたらしい。
本家土産を食べ、お風呂に入って休むことにした。
何となく眠れず布団の中でぼんやりしていると、携帯にメールが届く。
海衣からのメールだった。
労いの言葉と海衣が通夜に参列して思ったことが綴られていた。
通夜の席で姪御ちゃんが動き回ってはともすると悲しくなりがちな場を何とか繋いでくれたということ。
その様をみた分家筋の伯母が「初めて会った気がしない」と言ってたこと。
それを聞いた海衣は伯母がかつての私の姿に姪御を重ねてみたんじゃないかと思ったこと。
「あぁ、お姉ちゃんはこんな感じだったのね」と喜んでる言葉で結ばれていた。
すぐさまメールを打ち返した。
遠方より駆けつけてくれたことへの労いと自分自身が今回の告別式で感じたこと。
姪御ちゃんが愛される子に育ったのは本人の素養と努力もあるだろうけど、海衣や旦那さんが頑張ったからなんだよと。
またお返事が届く。
棺の中の最後に会った祖母のイメージとあまりにかけ離れた感じがしたこと。
彼女がちゃんと介護してくれた人と本家の伯母にきちんとお礼が言えたこと。
今まで労いの言葉すらかけられることのなかった人にちゃんと伝えられたことがよかったのだと。
そんなやり取りを互いに幾度となく繰り返し、思う。
海衣と私との間には微妙に軋轢があって、姉妹でありながらかなり慎重に言葉を選んで話し続けてるところがあったけれど。
それが永続性のないものであったとしても、一瞬でも互いが感じたことを素直に語り合える時間を持つことが出来ること。
それもまた祖母が齎してくれた贈り物なんじゃないかって気がする。
やっと気持ちが少し落ち着いて寝入りかけた頃、携帯が鳴る。
竜樹さんからだった。
彼には今度の件ではいろんな意味で助けて貰ったから、きちんとお礼を言いたかったけれど夜遅かったから手控えてしまった。
どうかしたのかな?と思いながら、話を聞いていると俄かに雲行きは怪しくなってきた。
今度の件とはまったく違う問題で、派手にけんかする羽目になった。
いつものように、ある程度のことは聞き流せばよかったのだと思う。
竜樹さんが自ら電話してくる時は精神的に相当まいるようなことがあったからだってことは、ちょっと考えたら判ることだから。
それでも、今夜言われたくないことだった。
たとえそれが急を要する話であったとしても、今夜は聞きたくなかった。
心の中に今まで一度たりとも感じたことのない冷たいものが流れた。
「理解して欲しい」とか「理解してもらうために努力しよう」とかいうのとは、まったく違う感情。
涙も出ないまま、疲れが累積するのを身体で感じながら、冷えた心を眺めながら朝を迎えた。
ボタンの掛け違えやタイミングの悪さは、互いが互いの意志を詰めようとしたらその大多数は解決できるもの。
だけど、ボタンの掛け違えやタイミングの悪さもまた、間違いなく物事を終わらせる理由になりえるもの。
…これが大きな崩落のきっかけになるかもしれないね
それでも、今までのように胸を締め上げるような悲しさは不思議となかった。
竜樹さんと歩けなくなることを何よりも恐れているはずの私の中に、「終わってもすべてが悪くなるわけじゃない」と冷静に眺めている自分は間違いなくいる。
劫火で焼き尽くしたのはいろんなものに対する後悔の念ではなく、それまでの想いを守ろうとする自分自身だったのかもしれない。
…私を取り巻くものがどうあれ、1日は始まるし終わってくんだよ
どことなく投げやりな気持ちのままで会社に向かう。
ボスに昨日のことを報告し、忌引を取らせてもらったお礼を言ってから仕事を始める。
あまりに仕事が多すぎて、昼休みになっても仕事のキリがつかない。
祖母の葬儀の絡みでバタバタしすぎてお弁当を作り損ねてしまった。
外へ食料を買いに出るのも煩わしくて、机の引き出しにある備蓄のお菓子をかじりながら昼休みはすべて仕事に費やした。
結局、1日中大量にあるわけのわからない仕事と格闘して終わってしまった。
定例の朝メールの返事が携帯に届いているのを読み返して、そっと気を吐く。
傍からはすぐに結論を出したがってるように見えるらしい。
そんなに結論急がなくてもいんじゃない?と励ましてくれる人もいるけれど。
相手が私の言葉で気分を害したのと同じように、私も彼の言葉には相当気分を害したから。
いつもは一旦折れて時間を置いてから話を詰めるだけの余裕みたいなものがあったのだけど、今回は折れる気がしない。
その感情の流れ方が既にいつもとは全然違うのだけど…
「冷却期間を置いて考えてから結論出すわぁさぁヾ(*^-^*)」とコメント返しておいたけれど、そうすることが正しいかどうか本人的に疑問。
いろんな出来事が起こるタイミングが自分自身の位置取りを変えていく。
心の位置取りすら変えていくのかもしれない…
私は先に自宅に戻ることになっていたので、帰り支度を始める。
その後の行事に残る親戚の人々に個別にお礼を告げて玄関で靴を履いていると、私が返ることを知らなかった本家の伯父が声をかける。
「なんや、帰るんかいな。食事もあるのに…」
「いえ、どうしても戻らないといけないらしいので…」
ちょっとした話になったのだけど、「食事はまたの機会に」ということで、本邸を後にする。
…多分、私がここを訪れることはもうないだろうけれど。
外は未だに雨降りやまず。
うっかりコートを持って出るのを忘れた私の身体に寒さがこたえる。
足早に家路を急ぐ。
電車を何回か乗り継いだところで、メールをひとつ。
「滞りなく終わりました。
告別式の時は挨拶が忙しくて、泣く余裕なし。
お別れの時涙は出かかったけど、お花を配る手伝いして余裕なし。
火葬されて、骨壺に骨を入れる時、やっと涙が出そうになりました。
今、みんなより先に帰宅途中です。
独りになったら、ちゃんと泣けるかも知れません。
暖かい言葉をありがとうね。
嬉しかったよ。
そら」
車内の暖かさに身体の中から緊張が取れたのか、少しばかりうつらうつらしかかったけれど。
意識が落ちそうになるたびにドアが開き、冷気がひゅーっと入ってくる。
帰宅までの最短ルートを模索しながら、移動を繰り返した。
次の乗換えを控えてる時に、携帯が揺れる。
「お疲れ様でした。お祖母さんも孫の活躍に安堵されていると思います。
人生は喜怒哀楽の繰り返し、終焉を迎えたとき、ご苦労様でしたと言ってくれる人がいたら、生きたことの証ではないでしょうか。
人生は喜怒哀楽、悲しいあとは楽しく振る舞うことが、故人に対しての感謝の意を表わせるのではないでしょうか。
なぜなら、子孫の楽しい姿を見て気を悪くする祖先はいないから・・・」
竜樹さんの言葉が心の中で穏かに溶け出していく。
まだ出先だったから、さすがに泣きはしなかったけれど…
冷たい雨が降り注ぐ街を眺めながら、自宅へ戻った。
連日人が殆どいなかった金岡邸でプードルさんはぐったり気味。
プードルさんは全員が留守にしてると休むことなく起き続けているので、誰かひとりでも戻ってくると安心して休めるらしい。
台所で夕飯の支度をしたり、眠るプードルさんの傍にいて文章を纏めたりしながら金岡両親の帰宅を待った。
金岡両親が戻ってきて用意したご飯を出そうとしたら、本家から沢山お土産を持たされたらしい。
本家土産を食べ、お風呂に入って休むことにした。
何となく眠れず布団の中でぼんやりしていると、携帯にメールが届く。
海衣からのメールだった。
労いの言葉と海衣が通夜に参列して思ったことが綴られていた。
通夜の席で姪御ちゃんが動き回ってはともすると悲しくなりがちな場を何とか繋いでくれたということ。
その様をみた分家筋の伯母が「初めて会った気がしない」と言ってたこと。
それを聞いた海衣は伯母がかつての私の姿に姪御を重ねてみたんじゃないかと思ったこと。
「あぁ、お姉ちゃんはこんな感じだったのね」と喜んでる言葉で結ばれていた。
すぐさまメールを打ち返した。
遠方より駆けつけてくれたことへの労いと自分自身が今回の告別式で感じたこと。
姪御ちゃんが愛される子に育ったのは本人の素養と努力もあるだろうけど、海衣や旦那さんが頑張ったからなんだよと。
またお返事が届く。
棺の中の最後に会った祖母のイメージとあまりにかけ離れた感じがしたこと。
彼女がちゃんと介護してくれた人と本家の伯母にきちんとお礼が言えたこと。
今まで労いの言葉すらかけられることのなかった人にちゃんと伝えられたことがよかったのだと。
そんなやり取りを互いに幾度となく繰り返し、思う。
海衣と私との間には微妙に軋轢があって、姉妹でありながらかなり慎重に言葉を選んで話し続けてるところがあったけれど。
それが永続性のないものであったとしても、一瞬でも互いが感じたことを素直に語り合える時間を持つことが出来ること。
それもまた祖母が齎してくれた贈り物なんじゃないかって気がする。
やっと気持ちが少し落ち着いて寝入りかけた頃、携帯が鳴る。
竜樹さんからだった。
彼には今度の件ではいろんな意味で助けて貰ったから、きちんとお礼を言いたかったけれど夜遅かったから手控えてしまった。
どうかしたのかな?と思いながら、話を聞いていると俄かに雲行きは怪しくなってきた。
今度の件とはまったく違う問題で、派手にけんかする羽目になった。
いつものように、ある程度のことは聞き流せばよかったのだと思う。
竜樹さんが自ら電話してくる時は精神的に相当まいるようなことがあったからだってことは、ちょっと考えたら判ることだから。
それでも、今夜言われたくないことだった。
たとえそれが急を要する話であったとしても、今夜は聞きたくなかった。
心の中に今まで一度たりとも感じたことのない冷たいものが流れた。
「理解して欲しい」とか「理解してもらうために努力しよう」とかいうのとは、まったく違う感情。
涙も出ないまま、疲れが累積するのを身体で感じながら、冷えた心を眺めながら朝を迎えた。
ボタンの掛け違えやタイミングの悪さは、互いが互いの意志を詰めようとしたらその大多数は解決できるもの。
だけど、ボタンの掛け違えやタイミングの悪さもまた、間違いなく物事を終わらせる理由になりえるもの。
…これが大きな崩落のきっかけになるかもしれないね
それでも、今までのように胸を締め上げるような悲しさは不思議となかった。
竜樹さんと歩けなくなることを何よりも恐れているはずの私の中に、「終わってもすべてが悪くなるわけじゃない」と冷静に眺めている自分は間違いなくいる。
劫火で焼き尽くしたのはいろんなものに対する後悔の念ではなく、それまでの想いを守ろうとする自分自身だったのかもしれない。
…私を取り巻くものがどうあれ、1日は始まるし終わってくんだよ
どことなく投げやりな気持ちのままで会社に向かう。
ボスに昨日のことを報告し、忌引を取らせてもらったお礼を言ってから仕事を始める。
あまりに仕事が多すぎて、昼休みになっても仕事のキリがつかない。
祖母の葬儀の絡みでバタバタしすぎてお弁当を作り損ねてしまった。
外へ食料を買いに出るのも煩わしくて、机の引き出しにある備蓄のお菓子をかじりながら昼休みはすべて仕事に費やした。
結局、1日中大量にあるわけのわからない仕事と格闘して終わってしまった。
定例の朝メールの返事が携帯に届いているのを読み返して、そっと気を吐く。
傍からはすぐに結論を出したがってるように見えるらしい。
そんなに結論急がなくてもいんじゃない?と励ましてくれる人もいるけれど。
相手が私の言葉で気分を害したのと同じように、私も彼の言葉には相当気分を害したから。
いつもは一旦折れて時間を置いてから話を詰めるだけの余裕みたいなものがあったのだけど、今回は折れる気がしない。
その感情の流れ方が既にいつもとは全然違うのだけど…
「冷却期間を置いて考えてから結論出すわぁさぁヾ(*^-^*)」とコメント返しておいたけれど、そうすることが正しいかどうか本人的に疑問。
いろんな出来事が起こるタイミングが自分自身の位置取りを変えていく。
心の位置取りすら変えていくのかもしれない…
コメント