最後の贈り物
2002年11月24日ばたばたとした1日が終わり、浅い眠りを繰り返しながら朝を迎えた。
今日はお通夜の日。
海衣が今日通夜に出るためお江戸から戻り、いろんな事情からここに留まり私は明日の告別式に参列するということになる。
私は喪服を持っていなかったので、これから不足してるものを買い足すために出かける金岡母と共に出かける。
坂道を降りながら、金岡母といろんな話をする。
祖母の死に目には誰も会えなかったこと。
祖母が亡くなるまでの間、本家サイドでどんなことがあったのか。
昨日本家でみんなが集合した時の話をしながら、移動を繰り返す。
週末の午前中はどこもかしこも人でいっぱい。
相変わらず人ごみには弱いけれど、今日は時間がおしているのでつまらないことでもたもたしてもいられない。
瑣末なことがいろいろと心にひっかかるけれど、一切無視して目的地に向かう。
喪服。
この年齢まで持っていなかったということが不思議でならない。
それほどまでに私の外側の世界では生き死ににかけて無縁の生活だったということの証なのだろう。
竜樹さんという、一生共に歩こうと思った人がその境界線を歩いていて、自分にとっては生き死にというのはすぐそこにあるものだと思っていたけれど。
ぼんやりと吊るされてる喪服を見つめ、そのひとつを手にとって試着させてもらい、部分直してもらうことにした。
待ち時間の間、金岡母が今日持っていくもので足りないものを買い足すののお手伝い。
金岡父が出かける時間に間に合わなくなるからということで一旦金岡母と別れ、私はそのまま百貨店に残って、すっかり切らしてしまってた化粧品を買いに行くことにした。
…化粧品って、どうして買うのにこれほどまでに時間がかかるんだろう?
化粧品を買うという行為自体は割と好きな方だけれど。
時間がかかるのがどうも好きではない。
ただこのところストレスで肌の調子が悪かったから、いろいろな話を聞けたのはよかったのかもしれない。
化粧品のコーナーを出る頃には、喪服の部分直しは終わっていた。
試着して確認して、喪服を受け取り家路を急ぐ。
昨日姉さまからメールが来てたのに放りっぱなしにしてたから、ひとまず現状の報告メールをひとつ。
その後、竜樹さんにも報告のメールをひとつ。
なるべくしけっぽくならないように気を遣いながら言葉に置き換え、そっと飛ばす。
昨日もちゃんと休めてなかったからか、どこか疲れが残っていてそれが頭痛を誘発する。
重たい荷物と痛む頭を抱えながら、移動を繰り返す。
ようやっと最後の移動になった時、竜樹さんからメールが返る。
「喪服はシンプルで、高くても生地のいいのが長く着れるよ。
どんなのを選んだのかな?」
いろんなアドバイスの結びは、どこかやさしい言葉だった。
それに応えたくて、すぐにメールをこちこち…
うまく表現できたかどうかは判らないけれど、喪服の説明メールをそっと飛ばす。
自宅に帰り着き、箱に入った喪服を出して吊るしてると、携帯にメールがひとつ。
思わず笑いたくなるような、メールが届いた。
随分気を遣わせてしまって申し訳ないなぁと思いながら、その心遣いが嬉しかった。
そっと携帯を身に付け、お通夜のために出かける金岡母の手伝いをして送り出す。
一人になって家のことをしながら、時々本家や先に出た金岡父、海衣たちと連絡をとりながら、連絡中継班みたいな役割をこなす。
連絡がひと段落し、家でしなければならない仕事もひと段落すると、脱力感に襲われる。
気を紛らしたくて遅れてる日記の下書きや何かをしようと思うけれど、自室のパソコンに向かうと異常なる寂しがりやのプードルさんが悲しそうに吠え続ける。
仕方なくリビングでぼけっとプードルさんの相手をしながら、時々金岡父のパソコンで下書きを書くというような状態で過ごした。
ふと、告別式に参列するために会社を休むことをボスに連絡しないといけないことを思い出した。
けれど、住所録は会社に置きっぱなし。
年賀状を探し出しても、連絡先がわからない。
仕方ないので、いつも持ち歩いておられる会社の携帯にメールをひとつ飛ばし、連絡先の判明した課長に事情を説明しに連絡を入れ、了承を貰う。
またどっと、疲れる。
不意に自室に戻って目の見えない猫とぼけっとしてるうちに転寝してしまった。
部屋の電話の呼び出し音で目が覚めた。
「…はい」
「あ、霄ぁ?元気にしてた?」
…たかからだった。
「どうしてたん?11月初めの地震、大丈夫やったん?」
「うん、大丈夫よぉ。こっち地震多いねん」
何でもたかの家の電話が開通してなくて、旦那さんのお義母さんの電話を借りてかけてきてるらしい。
「あまり長く話せないな」と思っていたけれど、そんなことは何処吹く風。
たかはいろんなことを話してくれる。
イタリアに来てからどんな風に過ごしていたのか。
今住んでる場所がどんなところなのか、これからどうすることになりそうなのか。
「今までね、実家以外どっこも連絡できなくてね。霄のとこが初めてなのよ、連絡したん」
一番最初に連絡してくれる人として、今でもたかの中に私があることがとても嬉しくて。
でも饒舌には話せなくて、ずっとたかの話を聞いていた。
暫くすると、たかのとこにお客さんが来られたらしく、「また連絡するね」と言って会話は終了。
ぼんやりした気持ちに変わりはないけれど、ただ心に暖かさを取り戻してまたリビングに下りる。
台所で下拵えしておいた晩御飯の最後の準備をし、お米を磨いでてふと思う。
…何で、今日なんだろう。
昨日、金岡母が本家に行く時、自分の数珠を海衣に渡してそのまま返して貰ってないということで、急遽私の数珠を貸すことになった。
その数珠はアメジストで、たかが日本にいた時最後に貰った誕生日プレゼントだった。
「どうして、たかさん、数珠なんてくれはったのかな?」
「誕生石の数珠はお守りになるからって」
そんな話を交わしたばかりだった。
…もしかしたら。
これは祖母からのの最後の贈り物かも知れない。
そう思ったこと自体、後になったら笑ってしまうような瑣末なことかもしれないけれど。
ふと、元気だった頃の祖母の言葉を思い出す。
「たかさんは元気にしてるの?」
もう10年近く前のことだ。
まだ病気が長期化すると本人も含めて誰もが予測せず、意識もはっきりしてた頃の話。
私が中学生の頃、たかは祖母が作った手毬を見ていたく気に入ってくれて、いつか祖母に会いたいと話していたことがあった。
私もそれを叶えたくて祖母に話していたのだけれど、いろんな事情からそれは叶わないまま長い時間が過ぎた。
その時は何で会ったこともないたかのことを聞くのかな?と不思議に思っていたけれど。
彼女は知っていたんだ。
私にとってたかはとても大事な友達だということ。
そして、今までたかと連絡がとれず随分気をもんでいたこと。
誰が笑おうがそう思ったんだ。
たかからの電話は祖母からの贈り物なのかなと。
明日、私も本家に戻る。
もしかしたらそれが最後になるかもしれないけれど。
祖母から貰った最後の贈り物を心の内に抱きしめて、ただ一言伝えようと思う。
「ずっと大事に想い続けてくれて、ありがとう」
今日はお通夜の日。
海衣が今日通夜に出るためお江戸から戻り、いろんな事情からここに留まり私は明日の告別式に参列するということになる。
私は喪服を持っていなかったので、これから不足してるものを買い足すために出かける金岡母と共に出かける。
坂道を降りながら、金岡母といろんな話をする。
祖母の死に目には誰も会えなかったこと。
祖母が亡くなるまでの間、本家サイドでどんなことがあったのか。
昨日本家でみんなが集合した時の話をしながら、移動を繰り返す。
週末の午前中はどこもかしこも人でいっぱい。
相変わらず人ごみには弱いけれど、今日は時間がおしているのでつまらないことでもたもたしてもいられない。
瑣末なことがいろいろと心にひっかかるけれど、一切無視して目的地に向かう。
喪服。
この年齢まで持っていなかったということが不思議でならない。
それほどまでに私の外側の世界では生き死ににかけて無縁の生活だったということの証なのだろう。
竜樹さんという、一生共に歩こうと思った人がその境界線を歩いていて、自分にとっては生き死にというのはすぐそこにあるものだと思っていたけれど。
ぼんやりと吊るされてる喪服を見つめ、そのひとつを手にとって試着させてもらい、部分直してもらうことにした。
待ち時間の間、金岡母が今日持っていくもので足りないものを買い足すののお手伝い。
金岡父が出かける時間に間に合わなくなるからということで一旦金岡母と別れ、私はそのまま百貨店に残って、すっかり切らしてしまってた化粧品を買いに行くことにした。
…化粧品って、どうして買うのにこれほどまでに時間がかかるんだろう?
化粧品を買うという行為自体は割と好きな方だけれど。
時間がかかるのがどうも好きではない。
ただこのところストレスで肌の調子が悪かったから、いろいろな話を聞けたのはよかったのかもしれない。
化粧品のコーナーを出る頃には、喪服の部分直しは終わっていた。
試着して確認して、喪服を受け取り家路を急ぐ。
昨日姉さまからメールが来てたのに放りっぱなしにしてたから、ひとまず現状の報告メールをひとつ。
その後、竜樹さんにも報告のメールをひとつ。
なるべくしけっぽくならないように気を遣いながら言葉に置き換え、そっと飛ばす。
昨日もちゃんと休めてなかったからか、どこか疲れが残っていてそれが頭痛を誘発する。
重たい荷物と痛む頭を抱えながら、移動を繰り返す。
ようやっと最後の移動になった時、竜樹さんからメールが返る。
「喪服はシンプルで、高くても生地のいいのが長く着れるよ。
どんなのを選んだのかな?」
いろんなアドバイスの結びは、どこかやさしい言葉だった。
それに応えたくて、すぐにメールをこちこち…
うまく表現できたかどうかは判らないけれど、喪服の説明メールをそっと飛ばす。
自宅に帰り着き、箱に入った喪服を出して吊るしてると、携帯にメールがひとつ。
思わず笑いたくなるような、メールが届いた。
随分気を遣わせてしまって申し訳ないなぁと思いながら、その心遣いが嬉しかった。
そっと携帯を身に付け、お通夜のために出かける金岡母の手伝いをして送り出す。
一人になって家のことをしながら、時々本家や先に出た金岡父、海衣たちと連絡をとりながら、連絡中継班みたいな役割をこなす。
連絡がひと段落し、家でしなければならない仕事もひと段落すると、脱力感に襲われる。
気を紛らしたくて遅れてる日記の下書きや何かをしようと思うけれど、自室のパソコンに向かうと異常なる寂しがりやのプードルさんが悲しそうに吠え続ける。
仕方なくリビングでぼけっとプードルさんの相手をしながら、時々金岡父のパソコンで下書きを書くというような状態で過ごした。
ふと、告別式に参列するために会社を休むことをボスに連絡しないといけないことを思い出した。
けれど、住所録は会社に置きっぱなし。
年賀状を探し出しても、連絡先がわからない。
仕方ないので、いつも持ち歩いておられる会社の携帯にメールをひとつ飛ばし、連絡先の判明した課長に事情を説明しに連絡を入れ、了承を貰う。
またどっと、疲れる。
不意に自室に戻って目の見えない猫とぼけっとしてるうちに転寝してしまった。
部屋の電話の呼び出し音で目が覚めた。
「…はい」
「あ、霄ぁ?元気にしてた?」
…たかからだった。
「どうしてたん?11月初めの地震、大丈夫やったん?」
「うん、大丈夫よぉ。こっち地震多いねん」
何でもたかの家の電話が開通してなくて、旦那さんのお義母さんの電話を借りてかけてきてるらしい。
「あまり長く話せないな」と思っていたけれど、そんなことは何処吹く風。
たかはいろんなことを話してくれる。
イタリアに来てからどんな風に過ごしていたのか。
今住んでる場所がどんなところなのか、これからどうすることになりそうなのか。
「今までね、実家以外どっこも連絡できなくてね。霄のとこが初めてなのよ、連絡したん」
一番最初に連絡してくれる人として、今でもたかの中に私があることがとても嬉しくて。
でも饒舌には話せなくて、ずっとたかの話を聞いていた。
暫くすると、たかのとこにお客さんが来られたらしく、「また連絡するね」と言って会話は終了。
ぼんやりした気持ちに変わりはないけれど、ただ心に暖かさを取り戻してまたリビングに下りる。
台所で下拵えしておいた晩御飯の最後の準備をし、お米を磨いでてふと思う。
…何で、今日なんだろう。
昨日、金岡母が本家に行く時、自分の数珠を海衣に渡してそのまま返して貰ってないということで、急遽私の数珠を貸すことになった。
その数珠はアメジストで、たかが日本にいた時最後に貰った誕生日プレゼントだった。
「どうして、たかさん、数珠なんてくれはったのかな?」
「誕生石の数珠はお守りになるからって」
そんな話を交わしたばかりだった。
…もしかしたら。
これは祖母からのの最後の贈り物かも知れない。
そう思ったこと自体、後になったら笑ってしまうような瑣末なことかもしれないけれど。
ふと、元気だった頃の祖母の言葉を思い出す。
「たかさんは元気にしてるの?」
もう10年近く前のことだ。
まだ病気が長期化すると本人も含めて誰もが予測せず、意識もはっきりしてた頃の話。
私が中学生の頃、たかは祖母が作った手毬を見ていたく気に入ってくれて、いつか祖母に会いたいと話していたことがあった。
私もそれを叶えたくて祖母に話していたのだけれど、いろんな事情からそれは叶わないまま長い時間が過ぎた。
その時は何で会ったこともないたかのことを聞くのかな?と不思議に思っていたけれど。
彼女は知っていたんだ。
私にとってたかはとても大事な友達だということ。
そして、今までたかと連絡がとれず随分気をもんでいたこと。
誰が笑おうがそう思ったんだ。
たかからの電話は祖母からの贈り物なのかなと。
明日、私も本家に戻る。
もしかしたらそれが最後になるかもしれないけれど。
祖母から貰った最後の贈り物を心の内に抱きしめて、ただ一言伝えようと思う。
「ずっと大事に想い続けてくれて、ありがとう」
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