自分自身に宛てた手紙
2002年11月14日昨日は帰宅後、猫と戯れ夕飯食べた後、ゾンビっちを開けることなく朝まで眠った。
朝シャワーを浴びようとして、ふと気づく。
…もしかして、風邪悪化してる?
夜更かしもせずただただ眠りつづけたというのに、体調悪くなるなんて一体どうなってるんだろう?
いい加減嫌になってきそうだけど、よく眠ったおかげで頭はすっきりしているみたい。
思考がクリアなら、ひとまず何とかなるだろうと思いながら、出勤する。
外気は痛いほど冷えている。
ただ頭がすっきりしてる分、縮こまる感じがないのは嬉しい。
そう思っていられたのは、ほんの少しの間だったけれど…
思考がクリアであっても、思うことのすべてが上手く表現できる訳じゃないということに気づいたのは、朝メールを打ってた時。
心痛める友達に伝えたいと思ったことがあるのだけれど、携帯のキーを触る指がなかなか動かない。
伝えたいと思う気持ちがあれば、何を言っても許される訳ではないし、その想いを伝えられるとも限らない。
そもそもその言葉自体が相手に必要かどうかすらも判らない。
よかれと思うことのすべてが額面どおりに受け取られる訳でもなければ、それだけの作用を確実になす訳でもない。
心の中で想いと迷いが暫く綱引きをしていたけれど、思い切って想いを言葉に置き換えてみた。
ただ出会う物事を自分なりに受け止めて吸収できるだけの柔らかな心をなくして欲しくないなという想いだけを寒空に飛ばした。
尤も、その柔らかな心は私もなくしてはならないものなのだと思うけれど…
今日は洗濯当番。
電話機と書類と洗濯機の相手をしながら午前中を過ごす。
気持ちが仕事モードにかちんとはまった途端に洗濯の作業に戻らなければならないのが煩わしいけれど、事務所からは見ることの出来ない高い空を眺めることはいい気分転換になる。
高く澄んだ冷たい空に少しだけ背筋を伸ばしてもらって、事務所に戻る。
洗濯が終わってからはただただきりきりと仕事を片して昼休み。
昼休みも別の友達に送るメールの文面を考えながら、黙々とご飯を食べる。
携帯やパソコンを触りだすと、ボスのちゃちゃ入れが始まるから、ボスから隠れるようにして思考を巡らす。
友達の話は、ともすると私自身のことにも置き換わるような要素があって。
暫く友達の案件としてではなく、自分自身を見つめつづけていた。
それをそのまま言葉にしていいかどうかは判らなかったけれど、私から生まれた想いを私の言葉で置き換えたかったから。
大切な人を想う気持ちがありさえすれば、大切な人に想われる気持ちがありさえすれば。
すべてが結果や形として実を結ぶ訳じゃない。
それを知りながら、それでも想いの証として形をなせなければその想いが死んでしまうような気がしてならなくて、ずっとずっと必死になって走りつづけた。
大切な人への想いを守り、大切な人からの想いを守り。
それを形にすることですべてを得られるような気がしてた。
自分が欲しいと希う、たったひとつの暖かな場所を手に入れられると思ってた。
けれど、互いが形をなせなくても想いがあればいいのだと思えるのなら、別に結果や形をなさなくてもいいかという気もし始めてる。
それは決して想いの果てに結果がなくてもいいという意味ではない。
大切に想う人とずっと一緒に、やがては誰もが認めるような場所や関係を築きたいと願っていることには変わりはないけれど。
形をなせなくても、息づく想いは確かにあるのだから。
形々とがならないやり方もありかもしれない。
形をなせないから、想いは無駄なものなどと思わなくてもいいのだと。
誰にどうこう言われる筋合いすらないのだと。
…誰もに認めさせられる形にできないから、その関係そのものが違ってるなんて思わなくてもいんだよ?
相手にというよりも、自分にそれを言い聞かせるような言葉を綴って、窓越しの小さな空に向かってそっと飛ばした。
メールを送り終えた途端、ボスのちゃちゃ入れが激化し始めた。
風邪気らしく、ちょっと崩れた美声で一生懸命お話してこられる。
邪険にするにはあまりに申し訳ない気がして、昼からの仕事が始まるまでずっとボスのお話を聞いていた。
昼からの仕事は幾分緩やかな立ち上がりで、ボスがデスクのパソコンで操作難民状態に陥ってても、デスクの傍まで行って対処するだけの余裕はあった。
けれど、それが仇になったらしい。
…ボスの美声を崩す風邪をまるまんま頂いたらしい(>_<)
鼻水はひどくなるし、喉も頭も痛い。
私の悪声はさらなる悪声になっていく。
早く業務から開放されることを祈りながら、鼻をかみかみ仕事を続けた。
いつもなら定時に会社を出ると、どこへ寄って帰ろうかって一瞬でも考えるのだけれど、珍しくただただ家に帰りたいなと思った。
家に帰る道すがら、今日友達に送ったメールを何気なく読み返す。
確かに相手に宛てて言葉を選び、相手に送り届けたかった想いにほかならないのだけれど、そのメールの文面は自分自身にも宛てられてるもののようにも思える。
他人の状況と自分の状況を重ね合わせられるほど、精神的にも時間的にも余裕などあるはないのだけれど、自分自身に必要な言葉でもあるような気がしてならない。
誰かのことで思考を巡らし、言葉を紡ぐことですら、自分に返る何かがあるのかも知れない。
大切な人に宛てて綴る言葉は自分自身に宛てた手紙みたい。
なぜだか強くそう思った。
朝シャワーを浴びようとして、ふと気づく。
…もしかして、風邪悪化してる?
夜更かしもせずただただ眠りつづけたというのに、体調悪くなるなんて一体どうなってるんだろう?
いい加減嫌になってきそうだけど、よく眠ったおかげで頭はすっきりしているみたい。
思考がクリアなら、ひとまず何とかなるだろうと思いながら、出勤する。
外気は痛いほど冷えている。
ただ頭がすっきりしてる分、縮こまる感じがないのは嬉しい。
そう思っていられたのは、ほんの少しの間だったけれど…
思考がクリアであっても、思うことのすべてが上手く表現できる訳じゃないということに気づいたのは、朝メールを打ってた時。
心痛める友達に伝えたいと思ったことがあるのだけれど、携帯のキーを触る指がなかなか動かない。
伝えたいと思う気持ちがあれば、何を言っても許される訳ではないし、その想いを伝えられるとも限らない。
そもそもその言葉自体が相手に必要かどうかすらも判らない。
よかれと思うことのすべてが額面どおりに受け取られる訳でもなければ、それだけの作用を確実になす訳でもない。
心の中で想いと迷いが暫く綱引きをしていたけれど、思い切って想いを言葉に置き換えてみた。
ただ出会う物事を自分なりに受け止めて吸収できるだけの柔らかな心をなくして欲しくないなという想いだけを寒空に飛ばした。
尤も、その柔らかな心は私もなくしてはならないものなのだと思うけれど…
今日は洗濯当番。
電話機と書類と洗濯機の相手をしながら午前中を過ごす。
気持ちが仕事モードにかちんとはまった途端に洗濯の作業に戻らなければならないのが煩わしいけれど、事務所からは見ることの出来ない高い空を眺めることはいい気分転換になる。
高く澄んだ冷たい空に少しだけ背筋を伸ばしてもらって、事務所に戻る。
洗濯が終わってからはただただきりきりと仕事を片して昼休み。
昼休みも別の友達に送るメールの文面を考えながら、黙々とご飯を食べる。
携帯やパソコンを触りだすと、ボスのちゃちゃ入れが始まるから、ボスから隠れるようにして思考を巡らす。
友達の話は、ともすると私自身のことにも置き換わるような要素があって。
暫く友達の案件としてではなく、自分自身を見つめつづけていた。
それをそのまま言葉にしていいかどうかは判らなかったけれど、私から生まれた想いを私の言葉で置き換えたかったから。
大切な人を想う気持ちがありさえすれば、大切な人に想われる気持ちがありさえすれば。
すべてが結果や形として実を結ぶ訳じゃない。
それを知りながら、それでも想いの証として形をなせなければその想いが死んでしまうような気がしてならなくて、ずっとずっと必死になって走りつづけた。
大切な人への想いを守り、大切な人からの想いを守り。
それを形にすることですべてを得られるような気がしてた。
自分が欲しいと希う、たったひとつの暖かな場所を手に入れられると思ってた。
けれど、互いが形をなせなくても想いがあればいいのだと思えるのなら、別に結果や形をなさなくてもいいかという気もし始めてる。
それは決して想いの果てに結果がなくてもいいという意味ではない。
大切に想う人とずっと一緒に、やがては誰もが認めるような場所や関係を築きたいと願っていることには変わりはないけれど。
形をなせなくても、息づく想いは確かにあるのだから。
形々とがならないやり方もありかもしれない。
形をなせないから、想いは無駄なものなどと思わなくてもいいのだと。
誰にどうこう言われる筋合いすらないのだと。
…誰もに認めさせられる形にできないから、その関係そのものが違ってるなんて思わなくてもいんだよ?
相手にというよりも、自分にそれを言い聞かせるような言葉を綴って、窓越しの小さな空に向かってそっと飛ばした。
メールを送り終えた途端、ボスのちゃちゃ入れが激化し始めた。
風邪気らしく、ちょっと崩れた美声で一生懸命お話してこられる。
邪険にするにはあまりに申し訳ない気がして、昼からの仕事が始まるまでずっとボスのお話を聞いていた。
昼からの仕事は幾分緩やかな立ち上がりで、ボスがデスクのパソコンで操作難民状態に陥ってても、デスクの傍まで行って対処するだけの余裕はあった。
けれど、それが仇になったらしい。
…ボスの美声を崩す風邪をまるまんま頂いたらしい(>_<)
鼻水はひどくなるし、喉も頭も痛い。
私の悪声はさらなる悪声になっていく。
早く業務から開放されることを祈りながら、鼻をかみかみ仕事を続けた。
いつもなら定時に会社を出ると、どこへ寄って帰ろうかって一瞬でも考えるのだけれど、珍しくただただ家に帰りたいなと思った。
家に帰る道すがら、今日友達に送ったメールを何気なく読み返す。
確かに相手に宛てて言葉を選び、相手に送り届けたかった想いにほかならないのだけれど、そのメールの文面は自分自身にも宛てられてるもののようにも思える。
他人の状況と自分の状況を重ね合わせられるほど、精神的にも時間的にも余裕などあるはないのだけれど、自分自身に必要な言葉でもあるような気がしてならない。
誰かのことで思考を巡らし、言葉を紡ぐことですら、自分に返る何かがあるのかも知れない。
大切な人に宛てて綴る言葉は自分自身に宛てた手紙みたい。
なぜだか強くそう思った。
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