記憶の上書き
2002年11月7日先週末も会社を休んだというのに、今日もまた会社を休む。
今日は相棒と劇団四季のCATSを観に行く。
…こんなん続けてたら、いい加減会社クビなる気がするけど(^-^;
それは置いといて、どうにもこうにも熱っぽいのが治まらない。
体調の異変に気づいたのが待ち合わせの時間よりかなり前に気だったので、待たせすぎないよう連絡は入れておいた。
それでも、本当は外出するのが少し辛い。
チケットは私が持ったままだから、行かない訳にはいかない。
重い身体を無理矢理起こして、用意をして出かける。
最初の約束よりだいぶ遅れてしまったけれど、相棒も急な用事が入ったりで待ち合わせ場所で待つ時間はそう長くなかったと聞いてひと安心。
劇場に入る前に食事をしようと、街を歩く。
「久しぶりにパスタが食べたい」という相棒のお言葉に従って、パスタ屋さんへ行く。
丁度昼前だったので、待ち時間も殆どなく店に入る。
「毎度毎度ここに来ると悩むんだよね〜」
変わったパスタメニューを単品で取るか、2倍楽しめるセットを取るか。
2人とも毎回迷う。
結局今日もまたお得感に引きずられてしまった私と相棒。
それにサラダを取って、ランチタイム。
相棒との話は近況報告から宝塚歌劇の話、果ては料理の話にまで発展。
私と相棒のペースに第三者を放り込むと、放り込まれた人がきっと訳がわからなくなるくらいに話題はぼんぼん流れていく。
この店にご飯を食べに来たのか、喋りに来たのかどっちやねん!?というような状態。
そろそろ移動しなきゃならない状態になって、慌てて店を出る。
電車に乗ってごとごとごとごと。
大阪城公園なんて来たの何年ぶりだろう?
記憶を掘り起こす暇がないほどに、相変わらず相棒はマシンガントークかましてくれる。
それがCATSって演目の底にある、思い起こすと気持ちが重くなるような記憶を引きずり起こさずに済んでるのかもしれない…
今回の観劇は、CATSの大阪公演は来年の1月で最終になるので是非観たいのだという相棒の意志に沿って決まったもの。
私は10年程前に一度観てしまってたのでどうしようか迷ったのだけど、舞台を観る分にはいいかと思った。
相棒となら10年前に観劇した時のメンバーのことなど思い出さずに済むかもしれないと思ったから。
CATS専用の劇場は10年前に難波の球場跡のハコとはちょっと違った印象。
「このハコ、ちっさい気がする」
ハコが小さいということは、臨場感は以前のものよりあるのかも知れない。
舞台が始まる前からちょっと楽しみにしてみたり。
うろ覚えの記憶を辿りながら相棒と話し込んでるうちに、開演時間が迫ってくる。
会場内の灯りが落ち、舞台が始まる。
1年に一度、猫たちの中から再生を許される猫が選ばれ、選ばれた猫は天上に上り新たな命を得られる。
自分が選ばれればいいのにと、どきどきしながら待つ猫。
今の生き様と思い出を語る猫。
そんな猫たちがところ狭しと走り回り歌い踊る光景は10年前と多分変わらない。
ただあの時は1階で見ていたせいもあって、ちょっと感じが違う。
張りの通路からふっと消えたかと思うと2階席まで上がってきて走り回る猫たちの姿はあの当時の記憶にはない。
猫たちのエピソードにも「こんなのあったっけ?」と思うところが何箇所かある。
ストーリー展開はほぼ記憶どおり。
細部がぽろぽろ抜けてる分、一人新鮮な気分で見ていた。
記憶と目の前を走る現実とを行き来してるうちに、前半が終わった。
「インターミッションの間、役者さんが舞台に残ってお客さんにサインしたりしててんよ。
今はどなんやろ?」
舞台が始まる前、そんな話をしていたのだけど、10年前と変わることなくオールドデュトロミー(猫たちの長老)役の人が一人舞台の上に残ってる。
そこへお客さんが列をなしている。
「あー、やっぱりあのファンサービスは残っててんやー」
「私、あの速水奨さんばりの声の猫さんやったら貰いに行ってんけどなぁ(*^-^*)」
相棒はちょっとマニアックなことを口走ってる。
休憩時間中、行列には参加せず2人で会場内をお散歩。
サインを求める人の列は階段付近まで延びている。
「これは今から並んでも後半始まるまでに終わらないだろうね」
「前もこんなやった?」
「前は舞台に残る人が3人くらいおったからなぁ…」
プログラムを買い、席に戻ってから後半が始まるまで、ずっと舞台の話ばかりしていた。
後半が始まって、また薄れかけてる記憶を新しい場面で補っていく。
話の流れは多分違わないだろうけど、10年前と何が違うのだろうか?
それを確認できる人は傍にいない。
…いや、彼女が傍にいない方が今の私にはいいのだろう。
ぼんやりとまた舞台を眺めている。
CATSでかかるナンバーは宝塚でも他所の舞台でも結構歌われることが多くて、タイトルこそうろ覚えでも聞き覚えのあるものが殆ど。
「あ、これはマミちゃんのショーでも歌われてたヤツだ」
10年前の舞台ではなく、他所の舞台の記憶ばかりが掠める。
それは半ば自己防衛のひとつなのかもしれないけれど…
今目の前にあるCATSは記憶や心にセロハンが1枚挟まれたような感じに見える。
複雑な感じに心捕らわれそうになると、舞台は転調する。
舞台で飛び回る猫さんの跳躍力に驚いたり、ちょっとした仕掛けがどうやってなされてるのかを考えたり。
張りを抜けて2階席までやってくる猫さんたちに笑顔を貰い、いつのまにか心捕らわれるものは完全に押しのけられる。
そうして、舞台は幕を下ろす。
何回も続くアンコールとカーテンコールを繰り返し、笑顔で外に出る。
「…キャスト表は欲しいよね?」
「そうそう、どの人がどの猫やったのか知りたいもんなぁ」
「四季フリークやないと、判らへんもんなぁ…」
「やっぱり音はオケの音がいいよね」
「最近シンセ系の音が多いから、管楽器の生演聞きたいって思うねん」
そんな風に今日の舞台のあれこれを話してるうちに、最近の宝塚や他の劇団の話に及ぶ。
ともすると、熱狂的なファンに刺されかねないなぁとびくびくする場面もあったけれど、終始舞台一色な会話を堪能。
それもまた、10年前にはなかった姿かもしれない。
その後また電車に揺られ、お茶する店を捜し歩いてひと息ついて。
落ち着いたかと思うと、会話は留まるところを知らず。
身体はしんどいはずなのに、いつまでも笑いつづけていた。
思い出したくない記憶やそれに結びつきそうな場所や出来事。
それを封印したり別の記憶で上書きしたりは出来ないって思ってる。
いい出来事も忘れてしまいたいような出来事も、自分を作り上げてるもののかけらには違いないから。
嫌な出来事を新たな出来事で上書きする必要はないと思ってる。
それでも…
嫌な出来事の記憶に辿り着きそうなものに敢えて寄り付こうとは思わない。
それが新たな悲しみや憤りを齎すのなら、二度とは触れたくないとも思う。
だから、未だに誰とでも行きたくないと思う場所はある。
たとえそれが竜樹さんであっても、したくないことや行きたくないと思うことはある。
けれど、「もう一度CATSを観よう」と言われてももう心が曇ることはない。
そういう意味では、相棒は私の記憶をきれいに上書きしてしまったのかもしれない。
悪しき記憶が楽しい記憶で上書きされるなら、それもいいのかなと思う。
記憶の上書きは逃げの証しかもしれないけれど、そうすることで大切な人に無用の傷を与えないのなら。
それはそれでいいのだと思う。
今日は相棒と劇団四季のCATSを観に行く。
…こんなん続けてたら、いい加減会社クビなる気がするけど(^-^;
それは置いといて、どうにもこうにも熱っぽいのが治まらない。
体調の異変に気づいたのが待ち合わせの時間よりかなり前に気だったので、待たせすぎないよう連絡は入れておいた。
それでも、本当は外出するのが少し辛い。
チケットは私が持ったままだから、行かない訳にはいかない。
重い身体を無理矢理起こして、用意をして出かける。
最初の約束よりだいぶ遅れてしまったけれど、相棒も急な用事が入ったりで待ち合わせ場所で待つ時間はそう長くなかったと聞いてひと安心。
劇場に入る前に食事をしようと、街を歩く。
「久しぶりにパスタが食べたい」という相棒のお言葉に従って、パスタ屋さんへ行く。
丁度昼前だったので、待ち時間も殆どなく店に入る。
「毎度毎度ここに来ると悩むんだよね〜」
変わったパスタメニューを単品で取るか、2倍楽しめるセットを取るか。
2人とも毎回迷う。
結局今日もまたお得感に引きずられてしまった私と相棒。
それにサラダを取って、ランチタイム。
相棒との話は近況報告から宝塚歌劇の話、果ては料理の話にまで発展。
私と相棒のペースに第三者を放り込むと、放り込まれた人がきっと訳がわからなくなるくらいに話題はぼんぼん流れていく。
この店にご飯を食べに来たのか、喋りに来たのかどっちやねん!?というような状態。
そろそろ移動しなきゃならない状態になって、慌てて店を出る。
電車に乗ってごとごとごとごと。
大阪城公園なんて来たの何年ぶりだろう?
記憶を掘り起こす暇がないほどに、相変わらず相棒はマシンガントークかましてくれる。
それがCATSって演目の底にある、思い起こすと気持ちが重くなるような記憶を引きずり起こさずに済んでるのかもしれない…
今回の観劇は、CATSの大阪公演は来年の1月で最終になるので是非観たいのだという相棒の意志に沿って決まったもの。
私は10年程前に一度観てしまってたのでどうしようか迷ったのだけど、舞台を観る分にはいいかと思った。
相棒となら10年前に観劇した時のメンバーのことなど思い出さずに済むかもしれないと思ったから。
CATS専用の劇場は10年前に難波の球場跡のハコとはちょっと違った印象。
「このハコ、ちっさい気がする」
ハコが小さいということは、臨場感は以前のものよりあるのかも知れない。
舞台が始まる前からちょっと楽しみにしてみたり。
うろ覚えの記憶を辿りながら相棒と話し込んでるうちに、開演時間が迫ってくる。
会場内の灯りが落ち、舞台が始まる。
1年に一度、猫たちの中から再生を許される猫が選ばれ、選ばれた猫は天上に上り新たな命を得られる。
自分が選ばれればいいのにと、どきどきしながら待つ猫。
今の生き様と思い出を語る猫。
そんな猫たちがところ狭しと走り回り歌い踊る光景は10年前と多分変わらない。
ただあの時は1階で見ていたせいもあって、ちょっと感じが違う。
張りの通路からふっと消えたかと思うと2階席まで上がってきて走り回る猫たちの姿はあの当時の記憶にはない。
猫たちのエピソードにも「こんなのあったっけ?」と思うところが何箇所かある。
ストーリー展開はほぼ記憶どおり。
細部がぽろぽろ抜けてる分、一人新鮮な気分で見ていた。
記憶と目の前を走る現実とを行き来してるうちに、前半が終わった。
「インターミッションの間、役者さんが舞台に残ってお客さんにサインしたりしててんよ。
今はどなんやろ?」
舞台が始まる前、そんな話をしていたのだけど、10年前と変わることなくオールドデュトロミー(猫たちの長老)役の人が一人舞台の上に残ってる。
そこへお客さんが列をなしている。
「あー、やっぱりあのファンサービスは残っててんやー」
「私、あの速水奨さんばりの声の猫さんやったら貰いに行ってんけどなぁ(*^-^*)」
相棒はちょっとマニアックなことを口走ってる。
休憩時間中、行列には参加せず2人で会場内をお散歩。
サインを求める人の列は階段付近まで延びている。
「これは今から並んでも後半始まるまでに終わらないだろうね」
「前もこんなやった?」
「前は舞台に残る人が3人くらいおったからなぁ…」
プログラムを買い、席に戻ってから後半が始まるまで、ずっと舞台の話ばかりしていた。
後半が始まって、また薄れかけてる記憶を新しい場面で補っていく。
話の流れは多分違わないだろうけど、10年前と何が違うのだろうか?
それを確認できる人は傍にいない。
…いや、彼女が傍にいない方が今の私にはいいのだろう。
ぼんやりとまた舞台を眺めている。
CATSでかかるナンバーは宝塚でも他所の舞台でも結構歌われることが多くて、タイトルこそうろ覚えでも聞き覚えのあるものが殆ど。
「あ、これはマミちゃんのショーでも歌われてたヤツだ」
10年前の舞台ではなく、他所の舞台の記憶ばかりが掠める。
それは半ば自己防衛のひとつなのかもしれないけれど…
今目の前にあるCATSは記憶や心にセロハンが1枚挟まれたような感じに見える。
複雑な感じに心捕らわれそうになると、舞台は転調する。
舞台で飛び回る猫さんの跳躍力に驚いたり、ちょっとした仕掛けがどうやってなされてるのかを考えたり。
張りを抜けて2階席までやってくる猫さんたちに笑顔を貰い、いつのまにか心捕らわれるものは完全に押しのけられる。
そうして、舞台は幕を下ろす。
何回も続くアンコールとカーテンコールを繰り返し、笑顔で外に出る。
「…キャスト表は欲しいよね?」
「そうそう、どの人がどの猫やったのか知りたいもんなぁ」
「四季フリークやないと、判らへんもんなぁ…」
「やっぱり音はオケの音がいいよね」
「最近シンセ系の音が多いから、管楽器の生演聞きたいって思うねん」
そんな風に今日の舞台のあれこれを話してるうちに、最近の宝塚や他の劇団の話に及ぶ。
ともすると、熱狂的なファンに刺されかねないなぁとびくびくする場面もあったけれど、終始舞台一色な会話を堪能。
それもまた、10年前にはなかった姿かもしれない。
その後また電車に揺られ、お茶する店を捜し歩いてひと息ついて。
落ち着いたかと思うと、会話は留まるところを知らず。
身体はしんどいはずなのに、いつまでも笑いつづけていた。
思い出したくない記憶やそれに結びつきそうな場所や出来事。
それを封印したり別の記憶で上書きしたりは出来ないって思ってる。
いい出来事も忘れてしまいたいような出来事も、自分を作り上げてるもののかけらには違いないから。
嫌な出来事を新たな出来事で上書きする必要はないと思ってる。
それでも…
嫌な出来事の記憶に辿り着きそうなものに敢えて寄り付こうとは思わない。
それが新たな悲しみや憤りを齎すのなら、二度とは触れたくないとも思う。
だから、未だに誰とでも行きたくないと思う場所はある。
たとえそれが竜樹さんであっても、したくないことや行きたくないと思うことはある。
けれど、「もう一度CATSを観よう」と言われてももう心が曇ることはない。
そういう意味では、相棒は私の記憶をきれいに上書きしてしまったのかもしれない。
悪しき記憶が楽しい記憶で上書きされるなら、それもいいのかなと思う。
記憶の上書きは逃げの証しかもしれないけれど、そうすることで大切な人に無用の傷を与えないのなら。
それはそれでいいのだと思う。
コメント