持ってるもののすべてで…
2002年9月4日昨日竜樹さんに会えたからか、いつもよりは心持ち楽に起き上がることが出来た。
決して元気ではない、むしろいろんなことに対して心を砕いていたり、不安を抱えていたりすることが見え隠れして気にかかることは多かったのだけど。
それでも、竜樹さんがそこにいてくれることが嬉しかった。
私が大切に想うものを竜樹さんもまた大切に想っていてくれることが嬉しかった。
それひとつが今の私を支えているのかもしれない。
今日は、竜樹さんの手術の最終の打ち合わせ。
竜樹さんのご両親と竜樹さん、担当医の先生とおそらく執刀医の先生。
一堂に会して具体的なことを話し合うのだと思う。
本当はその場所に私もいたいと思っていた。
けれど、決定的な「形」を持たないが故に医者の側からは「部外者」としてしか扱われないことは先の手術の時に否応なく味わったから。
今回も「形」を持たない私はまた蚊帳の外。
そんな扱いを受けることを承服できよう筈などないけれど、それが暗黙のルールとして今目の前に横たわるなら仕方がないのかもしれない。
心の中で渦巻いてることが吹き上がらないように気をつけながら、用意をして家を出る。
事務所に入って仕事を始めるけれど、今日は仕事の進みが気持ち悪いくらいすっきりしている。
ややこしい仕事が入ってくると確かにいらっとはするのだけど、考え事よりも先に仕事の方に意識が向かうのでどこかで思考の渦は途切れるけれど。
仕事が一段楽すると、竜樹さんの手術のことが頭を擡げる。
部外者呼ばわりされることも気にはなっていたけれど、それと同じくらい気になることがある。
…それは念書。
そんなに大掛かりな手術じゃなくても、取られる念書。
それに大した意味などなくて、形式だけのものだと言った人もいるけれど。
身近な人がそれを書く機会に何度出くわしても、心は鈍色に変わる。
私が念書の存在を知ったのは、竜樹さんとはじめて出逢った年の冬。
ちょうど金岡父が大掛かりな手術を受けることになって、金岡母と仕事で打ち合わせに行くことの出来なかった私の代わりに行ってくれた海衣から「そういうものを書かされた」と聞いたのが初めてだった。
それよりもはるか昔に金岡方の祖父が手術を受けた時もきっと何度となく書かされたものなんだろうと思うけれど、その時は一切のことは孫たちにはシークレットだったので、そんな年齢まで念書という存在を知ることはなかった。
有体に言えば、「手術の際に何が起こっても、(執刀される側は)一切文句を言いません」ということのお約束書きみたいなものだと聞く。
尤も、医療ミスで裁判が幾つも起こってることを見聞きすると、その念書がどれほどの効力があるのかは疑問だけど。
予め「何が起こっても文句言いません」なんて、誓約取らされる側にはあまり気分のいいもんじゃない。
その誓約を取らなければ落ち着いて執刀できない事情があるだろうことは、何となくだけど判る気はする。
執刀する人たちが最初っから不誠実な手術をするなんて思わない。
手術が上手くいかなかったとしても、そのすべてが不誠実な対応の結果だなんて思わない。
けれど、決して気分のいいものじゃない。
念書がなければオッケーという訳じゃないけれど、何となくすっきりしないんだ。
大人気ない見方かもしれない。
極端に穿った見方かもしれない。
今まで生きてきた中で医者と聞いていい目に遭った試しがないからという、つまらない経験則から一方的に判断してるだけに過ぎないってことも、誰にどうこう言われなくても判ってる。
けれど、もしも手術が上手くいかなくて、竜樹さんの身体のどこかが一生動かなくなったら?
もしも、二度と意識が戻らなかったら?
それでも念書書けば文句も言わずに立ち去れと?
その紙切れが問答無用の根拠になるわけ?
嫌な思考は出口を失い、螺旋を描く。
しかもどんどん加速していく気すらする。
籍という「形」がなければ、どんな繋がりを築こうとも容赦なく「部外者」で、「念書」とやらを書けばどんな結末迎えてもどうすることも出来ずに「ごきげんよう」?
…そんなん、ありかよ?
「それが現実てぇもんだよ」と毒づく自分もいる。
どんどん心の中に生まれた闇は大きくなる。
「おーい、かなちゃーん。お茶煎れてくれぇぃ♪■D(^-^o)o(^-^)o ■D ( ^-^)o」
私のデスク横に立てかけたボードとボスのデスクの液晶ディスプレイがちょうど互いの顔を隠してしまうせいか、マグカップを掲げてにこにこしながら左右に揺れながら叫ぶボス。
…ホンマに、この方は(^-^;
私がぶつっと長時間黙ってると必ずちゃちゃを入れてくる。
そこに社長が加わると、事務所中が瞬時に雑談系おなごみモードに早変わり。
そんなんやから業績が悪いのか、業績が悪くてどことなく沈みがちだからトップ2人が元気に振舞うのか。
「熱いお茶ですね?」
「そうそう♪熱いのが美味いんや♪(*^-^*)」
ボスからマグカップを受け取り、台所でお茶を煎れる。
ボスに煎れ立てのお茶を渡すとなんだか嬉しそう。
その笑顔を眺めているうちは思考の迷路にいたことすら、一瞬忘れてしまえるからなんだか不思議だ。
「…明るいですね、ボス(^-^;」
「暗い顔してたってなんも変わらんやろ?明るく行こうぜぇ♪(o^−^o)」
…あぁ、そっか。
先の手術から3年。
その間に医師から部外者呼ばわりされないだけの「形」にできなかったことに思いを巡らせたって仕方がない。
念書を取らされることだって仕方がない。
付き纏う感情がどうであれ、自分たちが持っているカードで挑むしかない。
執刀医や再手術のためのチームが無事に竜樹さんを連れて帰ってきてくれることだけを信じて、私は私が持てるものすべてでフォローするしかないんだ。
私の持ってるものなど、たかが知れてる。
竜樹さんにダイレクトに出来ることなど本当に限られている。
それなら、だからこそ。
自分の持ってるもののすべてで対処するより他はないんだと。
随分冷静さを欠いてた自分を少し情けなく思いながらも、自分の持ってるもので何を生み出せるかを考える。
自分の中の風向きが少しだけ変わったのを感じながら、仕事を終えて家に戻る。
今日の打ち合わせについて、竜樹さんからどんな話が飛び出すかは判らないけれど。
ただ自分の持ってるもののすべてで竜樹さんのことを受け止めたいと思う。
決して元気ではない、むしろいろんなことに対して心を砕いていたり、不安を抱えていたりすることが見え隠れして気にかかることは多かったのだけど。
それでも、竜樹さんがそこにいてくれることが嬉しかった。
私が大切に想うものを竜樹さんもまた大切に想っていてくれることが嬉しかった。
それひとつが今の私を支えているのかもしれない。
今日は、竜樹さんの手術の最終の打ち合わせ。
竜樹さんのご両親と竜樹さん、担当医の先生とおそらく執刀医の先生。
一堂に会して具体的なことを話し合うのだと思う。
本当はその場所に私もいたいと思っていた。
けれど、決定的な「形」を持たないが故に医者の側からは「部外者」としてしか扱われないことは先の手術の時に否応なく味わったから。
今回も「形」を持たない私はまた蚊帳の外。
そんな扱いを受けることを承服できよう筈などないけれど、それが暗黙のルールとして今目の前に横たわるなら仕方がないのかもしれない。
心の中で渦巻いてることが吹き上がらないように気をつけながら、用意をして家を出る。
事務所に入って仕事を始めるけれど、今日は仕事の進みが気持ち悪いくらいすっきりしている。
ややこしい仕事が入ってくると確かにいらっとはするのだけど、考え事よりも先に仕事の方に意識が向かうのでどこかで思考の渦は途切れるけれど。
仕事が一段楽すると、竜樹さんの手術のことが頭を擡げる。
部外者呼ばわりされることも気にはなっていたけれど、それと同じくらい気になることがある。
…それは念書。
そんなに大掛かりな手術じゃなくても、取られる念書。
それに大した意味などなくて、形式だけのものだと言った人もいるけれど。
身近な人がそれを書く機会に何度出くわしても、心は鈍色に変わる。
私が念書の存在を知ったのは、竜樹さんとはじめて出逢った年の冬。
ちょうど金岡父が大掛かりな手術を受けることになって、金岡母と仕事で打ち合わせに行くことの出来なかった私の代わりに行ってくれた海衣から「そういうものを書かされた」と聞いたのが初めてだった。
それよりもはるか昔に金岡方の祖父が手術を受けた時もきっと何度となく書かされたものなんだろうと思うけれど、その時は一切のことは孫たちにはシークレットだったので、そんな年齢まで念書という存在を知ることはなかった。
有体に言えば、「手術の際に何が起こっても、(執刀される側は)一切文句を言いません」ということのお約束書きみたいなものだと聞く。
尤も、医療ミスで裁判が幾つも起こってることを見聞きすると、その念書がどれほどの効力があるのかは疑問だけど。
予め「何が起こっても文句言いません」なんて、誓約取らされる側にはあまり気分のいいもんじゃない。
その誓約を取らなければ落ち着いて執刀できない事情があるだろうことは、何となくだけど判る気はする。
執刀する人たちが最初っから不誠実な手術をするなんて思わない。
手術が上手くいかなかったとしても、そのすべてが不誠実な対応の結果だなんて思わない。
けれど、決して気分のいいものじゃない。
念書がなければオッケーという訳じゃないけれど、何となくすっきりしないんだ。
大人気ない見方かもしれない。
極端に穿った見方かもしれない。
今まで生きてきた中で医者と聞いていい目に遭った試しがないからという、つまらない経験則から一方的に判断してるだけに過ぎないってことも、誰にどうこう言われなくても判ってる。
けれど、もしも手術が上手くいかなくて、竜樹さんの身体のどこかが一生動かなくなったら?
もしも、二度と意識が戻らなかったら?
それでも念書書けば文句も言わずに立ち去れと?
その紙切れが問答無用の根拠になるわけ?
嫌な思考は出口を失い、螺旋を描く。
しかもどんどん加速していく気すらする。
籍という「形」がなければ、どんな繋がりを築こうとも容赦なく「部外者」で、「念書」とやらを書けばどんな結末迎えてもどうすることも出来ずに「ごきげんよう」?
…そんなん、ありかよ?
「それが現実てぇもんだよ」と毒づく自分もいる。
どんどん心の中に生まれた闇は大きくなる。
「おーい、かなちゃーん。お茶煎れてくれぇぃ♪■D(^-^o)o(^-^)o ■D ( ^-^)o」
私のデスク横に立てかけたボードとボスのデスクの液晶ディスプレイがちょうど互いの顔を隠してしまうせいか、マグカップを掲げてにこにこしながら左右に揺れながら叫ぶボス。
…ホンマに、この方は(^-^;
私がぶつっと長時間黙ってると必ずちゃちゃを入れてくる。
そこに社長が加わると、事務所中が瞬時に雑談系おなごみモードに早変わり。
そんなんやから業績が悪いのか、業績が悪くてどことなく沈みがちだからトップ2人が元気に振舞うのか。
「熱いお茶ですね?」
「そうそう♪熱いのが美味いんや♪(*^-^*)」
ボスからマグカップを受け取り、台所でお茶を煎れる。
ボスに煎れ立てのお茶を渡すとなんだか嬉しそう。
その笑顔を眺めているうちは思考の迷路にいたことすら、一瞬忘れてしまえるからなんだか不思議だ。
「…明るいですね、ボス(^-^;」
「暗い顔してたってなんも変わらんやろ?明るく行こうぜぇ♪(o^−^o)」
…あぁ、そっか。
先の手術から3年。
その間に医師から部外者呼ばわりされないだけの「形」にできなかったことに思いを巡らせたって仕方がない。
念書を取らされることだって仕方がない。
付き纏う感情がどうであれ、自分たちが持っているカードで挑むしかない。
執刀医や再手術のためのチームが無事に竜樹さんを連れて帰ってきてくれることだけを信じて、私は私が持てるものすべてでフォローするしかないんだ。
私の持ってるものなど、たかが知れてる。
竜樹さんにダイレクトに出来ることなど本当に限られている。
それなら、だからこそ。
自分の持ってるもののすべてで対処するより他はないんだと。
随分冷静さを欠いてた自分を少し情けなく思いながらも、自分の持ってるもので何を生み出せるかを考える。
自分の中の風向きが少しだけ変わったのを感じながら、仕事を終えて家に戻る。
今日の打ち合わせについて、竜樹さんからどんな話が飛び出すかは判らないけれど。
ただ自分の持ってるもののすべてで竜樹さんのことを受け止めたいと思う。
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