大丈夫
2002年8月26日何をするでもなくじっとしてるのが勿体無い気がして、ごそごそと日記を書く。
2日分の追っかけ更新が済んだ段階で、出勤まであと2時間。
そのまま起き続けても良かったんだろうけど、仕事に支障が出ても困るので無理やり眠った。
あっという間に朝が来て、重い身体を無理やり起こす。
…不眠も慣れるとやがてはしんどくなくなるのだろうかと、ぼんにゃり考えながら家を出た。
友達にメールを打ちながら、振り返る。
竜樹さんにとって、あのセカンドバックはずっと探してたもの。
それにつけてくれた財布は、彼自身が大事にしまっていたもの。
前倒しのクリスマスプレゼントにしては早すぎるし、ましてや誕生日はもっと先。
一番近い記念日にしても、2ヶ月以上先。
…何でこの時期なんだろう?
お魚のことにしても、随分先のことまで見越して決断したんだってことはよく判ってる。
彼の見据えている風景はどんな風景なんだろう?
その風景がどんなものなのか、そのかけらを拾いたくていろんなことを一緒くたにして考えると、どんどんどんどん建設的でない思考に陥っていく。
…考えたくなくても「もしかして…」って思ってしまう。
竜樹さんが聞いたら「勝手に解釈するな」と怒ってくれるかも知れない。
でも、手術を控えてる人に私の不安を除いてくださいなんて言える筈もないし、言いたくもない。
思考を立て直したくて、友達によろよろと思うことの概要を話してしまっているけれど、本当にそれでいいのかどうかも判らない。
そんな思考がただの睡眠不足からくる思考能力の低下から来るものなのか、それとも明らかに3年前よりも弱ってるのか。
判らないことだらけのまま、自分で糸口を見つけ出すことの出来ないまま会社について仕事を始める羽目になる。
適度に余裕のある程度の忙しさ。
それはいらないことに思考がはまり込まないで済む分、今の私にはありがたいものかもしれない。
書類を取りに行く作業は相変わらずストレスフルだけど、先輩に話し掛けられずに済んでるので今日はもうそれでよしにしよう。
事務所に戻れば、相変わらずボスと社長は明るい。
心からその明るさに乗る気にはなれないけれど、その明るさを蹴散らす必要なんて何処にもないから。
相変わらず少しでも面白いかな?と思ったことがあれば笑い、極力普段どおりに接するようには努力してみた。
…昼休みになったら、どかっと疲れたけれど(-_-;)
昼からはそれに睡魔がおまけについてくる。
注意を払わなければならない仕事が入ってくる時間帯ほど、眠くなったり集中力が欠けたりするのはどういう訳か。
いつもよりはるかに濃い目のコーヒーを流し込んで、ようよう意識を繋ぐ。
それを何度か繰り返して、定時によろよろと会社を出た。
自転車をかっ飛ばして駅に着き、ホームで電車を待つ間に携帯に届いたメールに目を通す。
姉さまからのメールはなかったけれど、大好きなお友達からメールが届いていた。
いつもいつも私のくだらない話に付き合わされる、ある意味気の毒だけど私にとってはありがたいお友達。
人に自分がどう不安なのかを伝えなれてないせいか、もしかしたら必要以上に強く伝わりすぎたんじゃなかろうかと気になって仕方なかったけれど、ただそのままそっと受け止めてもらった感じがする。
メールを読み進めるうちに、心にふっと飛び込んできた。
…それは「大丈夫ですよ」という言葉
根拠レスになことを言葉にしない方がいいというのは、言うまでもないことかもしれないけれど。
それでも伝えたい感情があることがある。
結果としてそれが大丈夫かどうかは誰にも見えなかったとしても、「大丈夫だよ」という言葉をくれる人の想いがそこに詰まってるのが受け取れたなら。
少なくとも、私にはそれで十分なんだと思う。
竜樹さんの健康問題について根拠を明確にした上で言えるのは、きっと執刀医の先生だけ。
他の誰も、きっと竜樹さんもその根拠を明確にしてなんて言えっこないんだと思う。
けれど、友達の「大丈夫ですよ」という言葉の中に、暖かな気持ちがうんとつまってるのは、ちゃんと感じ取れてる。
ただ、そう言って心の傍にいてくれてることを素直に嬉しいと思う自分がいる。
…だから、それで十分なんだ。
3年前のように不安を完全に払拭しきれるほどの希望は、私の中にはないのかもしれない。
それは前回の結果がどうなったのかという記憶が脳裏にあるから。
それを振り切れるだけの「根拠」とやらは私の中から捻り出すことは出来ない。
だから、手術が終わるまで、もしかしたら手術が終わっても暫くはその不安に苛まれる日々は続くのかもしれない。
昔の自分に今の自分は負けているのかもしれない。
けれど、大切な人たちの暖かな気持ちをただありがたいと思って受け止められてるうちは、それに応えたいと思う気持ちが死んでないうちは、まだひっくり返せる余地はあるのかもしれない。
「大丈夫」
その言葉の底にある想いを、かつて自分もまた誰かにそんな想いを伝えたくて乗せた言葉にただ嬉しさと安心を得た気がした。
ありがとう。
2日分の追っかけ更新が済んだ段階で、出勤まであと2時間。
そのまま起き続けても良かったんだろうけど、仕事に支障が出ても困るので無理やり眠った。
あっという間に朝が来て、重い身体を無理やり起こす。
…不眠も慣れるとやがてはしんどくなくなるのだろうかと、ぼんにゃり考えながら家を出た。
友達にメールを打ちながら、振り返る。
竜樹さんにとって、あのセカンドバックはずっと探してたもの。
それにつけてくれた財布は、彼自身が大事にしまっていたもの。
前倒しのクリスマスプレゼントにしては早すぎるし、ましてや誕生日はもっと先。
一番近い記念日にしても、2ヶ月以上先。
…何でこの時期なんだろう?
お魚のことにしても、随分先のことまで見越して決断したんだってことはよく判ってる。
彼の見据えている風景はどんな風景なんだろう?
その風景がどんなものなのか、そのかけらを拾いたくていろんなことを一緒くたにして考えると、どんどんどんどん建設的でない思考に陥っていく。
…考えたくなくても「もしかして…」って思ってしまう。
竜樹さんが聞いたら「勝手に解釈するな」と怒ってくれるかも知れない。
でも、手術を控えてる人に私の不安を除いてくださいなんて言える筈もないし、言いたくもない。
思考を立て直したくて、友達によろよろと思うことの概要を話してしまっているけれど、本当にそれでいいのかどうかも判らない。
そんな思考がただの睡眠不足からくる思考能力の低下から来るものなのか、それとも明らかに3年前よりも弱ってるのか。
判らないことだらけのまま、自分で糸口を見つけ出すことの出来ないまま会社について仕事を始める羽目になる。
適度に余裕のある程度の忙しさ。
それはいらないことに思考がはまり込まないで済む分、今の私にはありがたいものかもしれない。
書類を取りに行く作業は相変わらずストレスフルだけど、先輩に話し掛けられずに済んでるので今日はもうそれでよしにしよう。
事務所に戻れば、相変わらずボスと社長は明るい。
心からその明るさに乗る気にはなれないけれど、その明るさを蹴散らす必要なんて何処にもないから。
相変わらず少しでも面白いかな?と思ったことがあれば笑い、極力普段どおりに接するようには努力してみた。
…昼休みになったら、どかっと疲れたけれど(-_-;)
昼からはそれに睡魔がおまけについてくる。
注意を払わなければならない仕事が入ってくる時間帯ほど、眠くなったり集中力が欠けたりするのはどういう訳か。
いつもよりはるかに濃い目のコーヒーを流し込んで、ようよう意識を繋ぐ。
それを何度か繰り返して、定時によろよろと会社を出た。
自転車をかっ飛ばして駅に着き、ホームで電車を待つ間に携帯に届いたメールに目を通す。
姉さまからのメールはなかったけれど、大好きなお友達からメールが届いていた。
いつもいつも私のくだらない話に付き合わされる、ある意味気の毒だけど私にとってはありがたいお友達。
人に自分がどう不安なのかを伝えなれてないせいか、もしかしたら必要以上に強く伝わりすぎたんじゃなかろうかと気になって仕方なかったけれど、ただそのままそっと受け止めてもらった感じがする。
メールを読み進めるうちに、心にふっと飛び込んできた。
…それは「大丈夫ですよ」という言葉
根拠レスになことを言葉にしない方がいいというのは、言うまでもないことかもしれないけれど。
それでも伝えたい感情があることがある。
結果としてそれが大丈夫かどうかは誰にも見えなかったとしても、「大丈夫だよ」という言葉をくれる人の想いがそこに詰まってるのが受け取れたなら。
少なくとも、私にはそれで十分なんだと思う。
竜樹さんの健康問題について根拠を明確にした上で言えるのは、きっと執刀医の先生だけ。
他の誰も、きっと竜樹さんもその根拠を明確にしてなんて言えっこないんだと思う。
けれど、友達の「大丈夫ですよ」という言葉の中に、暖かな気持ちがうんとつまってるのは、ちゃんと感じ取れてる。
ただ、そう言って心の傍にいてくれてることを素直に嬉しいと思う自分がいる。
…だから、それで十分なんだ。
3年前のように不安を完全に払拭しきれるほどの希望は、私の中にはないのかもしれない。
それは前回の結果がどうなったのかという記憶が脳裏にあるから。
それを振り切れるだけの「根拠」とやらは私の中から捻り出すことは出来ない。
だから、手術が終わるまで、もしかしたら手術が終わっても暫くはその不安に苛まれる日々は続くのかもしれない。
昔の自分に今の自分は負けているのかもしれない。
けれど、大切な人たちの暖かな気持ちをただありがたいと思って受け止められてるうちは、それに応えたいと思う気持ちが死んでないうちは、まだひっくり返せる余地はあるのかもしれない。
「大丈夫」
その言葉の底にある想いを、かつて自分もまた誰かにそんな想いを伝えたくて乗せた言葉にただ嬉しさと安心を得た気がした。
ありがとう。
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