恋人距離
2002年8月12日あと2日でお盆休み。
あと2回会社に行けばいいだけなんだけど、その2回が非常に煩わしかったりする。
今日、明日と休めば夢の9連休だったけれど、9連休にしたところで何か予定があるわけでなし。
竜樹さんが手術後元気になって戻ってきてから、会社を休んで遊びに行く方がいい。
そうなることを願いながら、重い身体を起こして出かける用意をする。
電車はいつもよりもまして空いている。
これに慣れてしまうと、9月に入ると大変恐ろしいことになるのだけれど、空いた電車の中でぼんにゃりと過ごす時間が今の私にはありがたいものだったりする。
暫しぼんにゃりした後、自転車をかっとばして社屋を目指す。
親会社は明日から休み。
だから今日は仕事が立て込むと踏んでいたけれど、午前中はさして立て込む様子がない。喜んでいいのか悪いのかはわからないけれど。
別のフロアの人に仕事の依頼を出す書類を纏めた後、朝定例の書類取りに走る。
今日もだーーーっと書類棚に向かい、書類をひったくってだーーーっと戻る。
先輩に構われないことが仕事をスムーズに進めていく。
休みたいなぁと思ってる時に、比較的ストレスが小さくて済む状況で仕事が進められることはありがたい。
人に構われるのがありがた迷惑のように言うのはどうかと思うけれど、それまでのことを考えるとこのまま構われない方がいろんな意味でうまくいくような気がするのも事実。
…憑き物を落とすのも、時にはいいこと?
少々自分に都合のよいように解釈しながら仕事を進め、何食わぬ顔して定時に退社する。
朝に比べると少しばかり人が増えている電車の中で、ふと思い返す。
私が大好きな作家さんの本の中に出てきた、「恋人距離」。
それはアメリカの人類学者が唱えた説で、人間関係の距離感を実際の距離で計るというものらしい。
相手と自分がストレスなく近づける物理的距離というのは、 その相手が自分とどんな関係かで決まるらしく、 「恋人距離」「友達距離」「他人距離」という3つのレベルがあるそう。
その中で、「恋人距離」というのが最も近い距離で、数値的には30cmから45?くらいの範囲だとか。
他のソースも調べてみたけれど、「心理学の話」と書かれているところや実際の距離はよく判らないと書かれているものもあって、「これが正しい」という説にはまだ辿りつけてはないのだけれど…
これまで歩いてきた人生の中で、「恋人距離」の範疇にいて何の違和感もなかった人は極めて少なかった。
性別、血縁の有無を問わず、触れられることが極度に苦手だったために、友達ですら無意識のうちに近づいてこられると引いてしまうことがある。
今は多少改善されたとはいえ、急に腕とかに触れられそうになると、さっと引いては「へ?」って顔をされることがある。
女の人ですらこんな反応を見せる私は、男の人ではもっと露骨に出るらしい。
先輩に至っては、近づいてこられると近づいてこられただけ引いてしまう。
何をされたとかいうことがなくても、近づいてこられるとさっさか引いてしまう。
多分、話し掛けられたくないなぁと思ってる時に進路を塞がれたりするのは、相手は何らかの話をしたくてしてるんだろうとは思うけれど、それがとても嫌でならないと気がついたのはごくごく最近。
…結局、その場笑いながら話をしてるつもりでも、全然気持ちなんて許しちゃいなかったんだなぁ
なんだか今更なことを、適度に混み混みな電車の中で実感する。
途中下車して、昨日面白い催物場で頼んだ商品を受け取り、少しばかりお店の人と話して、また電車に乗る。
人と話す様子はあまり警戒心がないように受け止められるらしく、「人見知りしないよな」と言われることも多いけれど、実際の距離を縮めてこられるとずるりずるりと引いていく。
それは竜樹さんとて、かつては例外ではなかった。
触れようとすると、するりするり。
キスしようとしても、するりするり。
どことなく、ぎこちなく下がっていく私に、竜樹さんは容赦がなかった。
するりするりと下がると、捕まえられる。
それでもじりじりと下がろうとすると、抱きしめられる。
延々それの繰り返し。
人の熱にどきどきしながら、それが心地いいものに変わるまでそれほどの時間はかからなかった。
「好きな女の子に毎回毎回逃げられるの、嫌やもん。
霄ちゃんは俺のこと、嫌いなん?」
竜樹さんのことが大好きなのに、それがじりじりと下がっていく癖で疑われるのがたまらなくて。
てか、本人が直そうとする前に「矯正プログラム」を発動させたのは竜樹さんだけれど(^^ゞ
頑固者な私をよくぞ、逢えばべったり霄ちゃんに変えたものだと感心しきり。
それは年月によるものなのか、想いによるものなのか。
その正体は薄らぼんやりしてるけれど…
いずれにしても、私の恋人距離に入って大丈夫な人はほんの一握り。
その中で、恋人距離にあって心地いい男の人はたった一人。
そう竜樹さんだけ。
ふとしたことで、竜樹さんが自分にとって安心できる人なのだとつくづく実感した、そんな一日。
そして、常に自分の恋人距離の中に竜樹さんがいてたらいいのになぁと、少しばかり熱をもった想いはいつも心の中にあり続けているんだと、改めて思い知った、そんな一日。
あと2回会社に行けばいいだけなんだけど、その2回が非常に煩わしかったりする。
今日、明日と休めば夢の9連休だったけれど、9連休にしたところで何か予定があるわけでなし。
竜樹さんが手術後元気になって戻ってきてから、会社を休んで遊びに行く方がいい。
そうなることを願いながら、重い身体を起こして出かける用意をする。
電車はいつもよりもまして空いている。
これに慣れてしまうと、9月に入ると大変恐ろしいことになるのだけれど、空いた電車の中でぼんにゃりと過ごす時間が今の私にはありがたいものだったりする。
暫しぼんにゃりした後、自転車をかっとばして社屋を目指す。
親会社は明日から休み。
だから今日は仕事が立て込むと踏んでいたけれど、午前中はさして立て込む様子がない。喜んでいいのか悪いのかはわからないけれど。
別のフロアの人に仕事の依頼を出す書類を纏めた後、朝定例の書類取りに走る。
今日もだーーーっと書類棚に向かい、書類をひったくってだーーーっと戻る。
先輩に構われないことが仕事をスムーズに進めていく。
休みたいなぁと思ってる時に、比較的ストレスが小さくて済む状況で仕事が進められることはありがたい。
人に構われるのがありがた迷惑のように言うのはどうかと思うけれど、それまでのことを考えるとこのまま構われない方がいろんな意味でうまくいくような気がするのも事実。
…憑き物を落とすのも、時にはいいこと?
少々自分に都合のよいように解釈しながら仕事を進め、何食わぬ顔して定時に退社する。
朝に比べると少しばかり人が増えている電車の中で、ふと思い返す。
私が大好きな作家さんの本の中に出てきた、「恋人距離」。
それはアメリカの人類学者が唱えた説で、人間関係の距離感を実際の距離で計るというものらしい。
相手と自分がストレスなく近づける物理的距離というのは、 その相手が自分とどんな関係かで決まるらしく、 「恋人距離」「友達距離」「他人距離」という3つのレベルがあるそう。
その中で、「恋人距離」というのが最も近い距離で、数値的には30cmから45?くらいの範囲だとか。
他のソースも調べてみたけれど、「心理学の話」と書かれているところや実際の距離はよく判らないと書かれているものもあって、「これが正しい」という説にはまだ辿りつけてはないのだけれど…
これまで歩いてきた人生の中で、「恋人距離」の範疇にいて何の違和感もなかった人は極めて少なかった。
性別、血縁の有無を問わず、触れられることが極度に苦手だったために、友達ですら無意識のうちに近づいてこられると引いてしまうことがある。
今は多少改善されたとはいえ、急に腕とかに触れられそうになると、さっと引いては「へ?」って顔をされることがある。
女の人ですらこんな反応を見せる私は、男の人ではもっと露骨に出るらしい。
先輩に至っては、近づいてこられると近づいてこられただけ引いてしまう。
何をされたとかいうことがなくても、近づいてこられるとさっさか引いてしまう。
多分、話し掛けられたくないなぁと思ってる時に進路を塞がれたりするのは、相手は何らかの話をしたくてしてるんだろうとは思うけれど、それがとても嫌でならないと気がついたのはごくごく最近。
…結局、その場笑いながら話をしてるつもりでも、全然気持ちなんて許しちゃいなかったんだなぁ
なんだか今更なことを、適度に混み混みな電車の中で実感する。
途中下車して、昨日面白い催物場で頼んだ商品を受け取り、少しばかりお店の人と話して、また電車に乗る。
人と話す様子はあまり警戒心がないように受け止められるらしく、「人見知りしないよな」と言われることも多いけれど、実際の距離を縮めてこられるとずるりずるりと引いていく。
それは竜樹さんとて、かつては例外ではなかった。
触れようとすると、するりするり。
キスしようとしても、するりするり。
どことなく、ぎこちなく下がっていく私に、竜樹さんは容赦がなかった。
するりするりと下がると、捕まえられる。
それでもじりじりと下がろうとすると、抱きしめられる。
延々それの繰り返し。
人の熱にどきどきしながら、それが心地いいものに変わるまでそれほどの時間はかからなかった。
「好きな女の子に毎回毎回逃げられるの、嫌やもん。
霄ちゃんは俺のこと、嫌いなん?」
竜樹さんのことが大好きなのに、それがじりじりと下がっていく癖で疑われるのがたまらなくて。
てか、本人が直そうとする前に「矯正プログラム」を発動させたのは竜樹さんだけれど(^^ゞ
頑固者な私をよくぞ、逢えばべったり霄ちゃんに変えたものだと感心しきり。
それは年月によるものなのか、想いによるものなのか。
その正体は薄らぼんやりしてるけれど…
いずれにしても、私の恋人距離に入って大丈夫な人はほんの一握り。
その中で、恋人距離にあって心地いい男の人はたった一人。
そう竜樹さんだけ。
ふとしたことで、竜樹さんが自分にとって安心できる人なのだとつくづく実感した、そんな一日。
そして、常に自分の恋人距離の中に竜樹さんがいてたらいいのになぁと、少しばかり熱をもった想いはいつも心の中にあり続けているんだと、改めて思い知った、そんな一日。
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