白と黒の狭間
2002年8月6日「死が迫って来てる時の感情って、怖いもんやでぇ。
死ぬしかないヤツの傍にいてるヤツってホンマに無力なもんやねんでぇ」
…あなたは実際に「それ」に出逢ったことがあるの?
あなた自身が差し迫って死と直面したことがあるの?
自分の身近な人が死と向き合い、その傍にいて自分の無力さを痛感したことがあるというの?
作り物で知ったような気になることを咎める気にはならないけれど。
作り物から得た知識をあなたのものとして握り締めてるのも自由だけれど。
今「そこ」にいる私の感情の形をあなたの感じたそれに押し込もうとしないで。
何をどうやったところで、あなたの感じたことが私の立ってる基盤と交差することなど、有りはしないのだから…
毎朝、先輩のいるフロアまで1日最初の仕事を取りに行かなければならない。
その時先輩が面白いと感じたことがあると、話し掛けられては足止めを食らう。
彼の話題は、漫画の話やゲームの話、アニメの話。
昔ならついていけたかもしれない話も、縮小傾向にある今では訳のわからない話と化しているけれど、彼は自分が暇なら延々と話し続ける。
こちらがどれほど立てこんでいようが、事務所に人がいなくて早く戻らなければならなかろうが関係なく、だらだらと話が続く。
「今日は立てこんでるので…」と予め牽制しても、全く意味がない。
他の社員さんが先輩に仕事の用があってやってきても、後回しにして一人話しつづけてる。
殆ど毎回お付き合いせざるを得ない状態でいてるけれど。
…最近、我慢ならなくなってきている。
ここ数週間、先輩はギャルゲーの移植版のゲームにご執心で、人の顔を見ればその話ばかりしておられる。
どうもそのゲームのテーマが人の死について取り扱ってるらしく、話の展開や台詞回しが彼にとってはリアルで気に入ってるらしい。
…正直今の私は、人の生き死にの話をエンターテイメントとして楽しめる心境にはない。
正確には、竜樹さんがその生き死にの境界線を歩く場面に出会ってからずっと、それを娯楽の延長のようになど見ることなど出来なくなっているのだけど。
今回の手術は、前回のものと比べればはるかに生命を脅かす危険性はないものの、難しい手術であるには変わりはない。
これから私にとって一番大切な人の生命の問題と再び向き合っていく中で、その生命纏わる影の部分の話に面白おかしく触れられたくない。
それが竜樹さんと直結したことでないからこそ、余計にそんなものの話をしたくはないのかもしれない。
創作物から感銘を受けることや共鳴することを否定する気はない。
それはごくごく自然な心の動きだと思うから。
けれど、自分が感じたことをすべての事実のように語るだけでは飽き足らず、ただ話題を共有してたら面白いからと言うだけの理由でお仕着せられたんじゃ堪らない。
竜樹さんや私は、再び「そこ」へ向かおうとしてるんだから。
嬉々として語り続ける先輩を他所に、壁にかかってる時計を見上げて時間を気にする私。
私がどういう聞き方をしてようが、お構いなしに思うことだけを捲し立てる先輩。
ふと、問いかけ口調で話が飛んできた。
「死が迫って来てる時の感情って、怖いもんやでぇ。
死ぬしかないヤツの傍にいてるヤツってホンマに無力なもんやねんでぇ。
姉やん、そんなん知らへんやろぉ?」
…誰に向かって、言ってんですか?
死と隣り合わせにある怖さを竜樹さんを通してどれだけ眺めてきたか。
竜樹さんはそんなものじゃ足りないくらいの怖さを見てきたんだよ。
尤も、生きていても死んでいてもその向こうに絶望は待っていたけどね。
私自身も、身体の痛みに苦しむ竜樹さんの傍で何をすることも出来ず、ただ立ち尽くすしかない屈辱にも似たやるせなさの中をずっと歩いてきたんだよ。
多分、今も、これからもずっと。
理解を求める必要のない人になど、説明を施す必要はない。
だから私は彼にそれを伝えようとは思わない。
どういうつもりでそんな話を延々聞かせるのか、よく判らないけれど。
自分の見た疑似体験的な話を共有する誰かが欲しくてただ捲くし立てるのなら、悪いけど他所でやってくんないかなぁ?
今の私はそれにお付き合いするだけの余裕なんて持ち合わせちゃあいないんだから。
時間だけがぼんぼん過ぎていって、いい加減苛立たしさを覚え始めた時、
「俺らも人生の折り返し点に差し掛かったけれど、そんな怖さを見るのはまだ先なんやろうなぁ」
へらへら笑って話し掛けてくる先輩に、時計を見上げてた視線をぐっと落とす。
「そりゃ、生きてりゃいずれは出会うでしょうよ?
けれど別に遠い話やのうて、突然やってくるものなんじゃないですかね?」
踵を返し、書類を抱えてフロアを後にした。
心をぶつけたような感覚が抜けないまま、自分の仕事を始める。
自分に合わない人や物について、簡単に合わないと切り捨てるのは努力が足りない気がして、なるべくその安直さに気安く乗らないようにはしているけれど。
どうやら、私にとって本当に先輩は合わない人らしい。
今までも人の気持ちにずかずか踏み込んできては癇に障ることをほたえ、それにカチンときて低く吼えて噛み付くなんてことは何度となくあったこと。
だから、今更それについてどうこう思うこともないのだけれど。
娯楽として生命の影の部分に踏み込まれて、すっかり気分が滅入ってしまった。
気分の悪いまま、仕事を片付けていく。
勝手気侭な喋りに時間を取られてしまったのもあって午前中に仕事は片付かず、昼休みに入っても暫く仕事を続けていた。
ようやっと片付き、昼食を取ろうとして鞄を覗くとメールがひとつ。
…先日生まれた友達の赤ちゃんの写真だった。
白い産着に包まれた、華奢でかわいい赤ちゃん。
姪御が生まれた時あまりに大きかったという印象があるため、余計に友達の赤ちゃんが華奢に感じられるのだけれど。
真っ白な生命の強さと伸びやかさを、小さなディスプレイから垣間見ることが出来て、俄然元気が出た。
物事に表裏があるように、生命に纏わることにも光と影の部分がある。
今までその影の部分に触れる面ばかりを眺めてきたので、なかなか気がつかなかったのだけれど。
生命はとても力強いのだということ。
確かにその傍に影があるのだけれど、その影の存在を一瞬忘れていられるほどの強さを持ち合わせているということ。
…確かに手術後、絶望は待っていた。
生きることと死ぬことのどちらが幸せなのかを考えあぐねるほどの影を見つめたことがある。
けれど、生命はまたその影をひっくり返すだけの力を持ち合わせてるのだと。
傲慢でもそれを信じて、来る手術に臨むしかないのだろうと。
生命の光と影の部分を同時に眺めることで、自分の指針を得た気がする。
白と黒の狭間を迷いながらでも歩きつづけて、いつかはよりよい場所に竜樹さんと2人で辿り着きたいと思う。
死ぬしかないヤツの傍にいてるヤツってホンマに無力なもんやねんでぇ」
…あなたは実際に「それ」に出逢ったことがあるの?
あなた自身が差し迫って死と直面したことがあるの?
自分の身近な人が死と向き合い、その傍にいて自分の無力さを痛感したことがあるというの?
作り物で知ったような気になることを咎める気にはならないけれど。
作り物から得た知識をあなたのものとして握り締めてるのも自由だけれど。
今「そこ」にいる私の感情の形をあなたの感じたそれに押し込もうとしないで。
何をどうやったところで、あなたの感じたことが私の立ってる基盤と交差することなど、有りはしないのだから…
毎朝、先輩のいるフロアまで1日最初の仕事を取りに行かなければならない。
その時先輩が面白いと感じたことがあると、話し掛けられては足止めを食らう。
彼の話題は、漫画の話やゲームの話、アニメの話。
昔ならついていけたかもしれない話も、縮小傾向にある今では訳のわからない話と化しているけれど、彼は自分が暇なら延々と話し続ける。
こちらがどれほど立てこんでいようが、事務所に人がいなくて早く戻らなければならなかろうが関係なく、だらだらと話が続く。
「今日は立てこんでるので…」と予め牽制しても、全く意味がない。
他の社員さんが先輩に仕事の用があってやってきても、後回しにして一人話しつづけてる。
殆ど毎回お付き合いせざるを得ない状態でいてるけれど。
…最近、我慢ならなくなってきている。
ここ数週間、先輩はギャルゲーの移植版のゲームにご執心で、人の顔を見ればその話ばかりしておられる。
どうもそのゲームのテーマが人の死について取り扱ってるらしく、話の展開や台詞回しが彼にとってはリアルで気に入ってるらしい。
…正直今の私は、人の生き死にの話をエンターテイメントとして楽しめる心境にはない。
正確には、竜樹さんがその生き死にの境界線を歩く場面に出会ってからずっと、それを娯楽の延長のようになど見ることなど出来なくなっているのだけど。
今回の手術は、前回のものと比べればはるかに生命を脅かす危険性はないものの、難しい手術であるには変わりはない。
これから私にとって一番大切な人の生命の問題と再び向き合っていく中で、その生命纏わる影の部分の話に面白おかしく触れられたくない。
それが竜樹さんと直結したことでないからこそ、余計にそんなものの話をしたくはないのかもしれない。
創作物から感銘を受けることや共鳴することを否定する気はない。
それはごくごく自然な心の動きだと思うから。
けれど、自分が感じたことをすべての事実のように語るだけでは飽き足らず、ただ話題を共有してたら面白いからと言うだけの理由でお仕着せられたんじゃ堪らない。
竜樹さんや私は、再び「そこ」へ向かおうとしてるんだから。
嬉々として語り続ける先輩を他所に、壁にかかってる時計を見上げて時間を気にする私。
私がどういう聞き方をしてようが、お構いなしに思うことだけを捲し立てる先輩。
ふと、問いかけ口調で話が飛んできた。
「死が迫って来てる時の感情って、怖いもんやでぇ。
死ぬしかないヤツの傍にいてるヤツってホンマに無力なもんやねんでぇ。
姉やん、そんなん知らへんやろぉ?」
…誰に向かって、言ってんですか?
死と隣り合わせにある怖さを竜樹さんを通してどれだけ眺めてきたか。
竜樹さんはそんなものじゃ足りないくらいの怖さを見てきたんだよ。
尤も、生きていても死んでいてもその向こうに絶望は待っていたけどね。
私自身も、身体の痛みに苦しむ竜樹さんの傍で何をすることも出来ず、ただ立ち尽くすしかない屈辱にも似たやるせなさの中をずっと歩いてきたんだよ。
多分、今も、これからもずっと。
理解を求める必要のない人になど、説明を施す必要はない。
だから私は彼にそれを伝えようとは思わない。
どういうつもりでそんな話を延々聞かせるのか、よく判らないけれど。
自分の見た疑似体験的な話を共有する誰かが欲しくてただ捲くし立てるのなら、悪いけど他所でやってくんないかなぁ?
今の私はそれにお付き合いするだけの余裕なんて持ち合わせちゃあいないんだから。
時間だけがぼんぼん過ぎていって、いい加減苛立たしさを覚え始めた時、
「俺らも人生の折り返し点に差し掛かったけれど、そんな怖さを見るのはまだ先なんやろうなぁ」
へらへら笑って話し掛けてくる先輩に、時計を見上げてた視線をぐっと落とす。
「そりゃ、生きてりゃいずれは出会うでしょうよ?
けれど別に遠い話やのうて、突然やってくるものなんじゃないですかね?」
踵を返し、書類を抱えてフロアを後にした。
心をぶつけたような感覚が抜けないまま、自分の仕事を始める。
自分に合わない人や物について、簡単に合わないと切り捨てるのは努力が足りない気がして、なるべくその安直さに気安く乗らないようにはしているけれど。
どうやら、私にとって本当に先輩は合わない人らしい。
今までも人の気持ちにずかずか踏み込んできては癇に障ることをほたえ、それにカチンときて低く吼えて噛み付くなんてことは何度となくあったこと。
だから、今更それについてどうこう思うこともないのだけれど。
娯楽として生命の影の部分に踏み込まれて、すっかり気分が滅入ってしまった。
気分の悪いまま、仕事を片付けていく。
勝手気侭な喋りに時間を取られてしまったのもあって午前中に仕事は片付かず、昼休みに入っても暫く仕事を続けていた。
ようやっと片付き、昼食を取ろうとして鞄を覗くとメールがひとつ。
…先日生まれた友達の赤ちゃんの写真だった。
白い産着に包まれた、華奢でかわいい赤ちゃん。
姪御が生まれた時あまりに大きかったという印象があるため、余計に友達の赤ちゃんが華奢に感じられるのだけれど。
真っ白な生命の強さと伸びやかさを、小さなディスプレイから垣間見ることが出来て、俄然元気が出た。
物事に表裏があるように、生命に纏わることにも光と影の部分がある。
今までその影の部分に触れる面ばかりを眺めてきたので、なかなか気がつかなかったのだけれど。
生命はとても力強いのだということ。
確かにその傍に影があるのだけれど、その影の存在を一瞬忘れていられるほどの強さを持ち合わせているということ。
…確かに手術後、絶望は待っていた。
生きることと死ぬことのどちらが幸せなのかを考えあぐねるほどの影を見つめたことがある。
けれど、生命はまたその影をひっくり返すだけの力を持ち合わせてるのだと。
傲慢でもそれを信じて、来る手術に臨むしかないのだろうと。
生命の光と影の部分を同時に眺めることで、自分の指針を得た気がする。
白と黒の狭間を迷いながらでも歩きつづけて、いつかはよりよい場所に竜樹さんと2人で辿り着きたいと思う。
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