想いの行き先

2002年6月20日
深夜にかかってきた竜樹さんの電話は、すこぶる私の気持ちを冷えさせた。
精神的に追い詰められてるにせよ、「自分の言葉の証しを立てられなければ、信じられない」などと言われて、涙のひとつくらい落ちるかと思ったけれど。
身体が震えそうなほどの怒りを内に秘めた、冷たく感情のない言葉をいくつか投げ捨てて、電話を切った。

その後、なかなか眠れなかった。
それは目の前にある問題が大きいからではなく、彼の放った言葉に悲しみを覚えたわけでもなく。
ただただ虚脱感に苛まれ、「困難」というものが齎すものもうひとつの面を認識することを忘れていたことを思い知っただけだった。

身体を起こしていられるほどの元気はもう残ってなどいないのに、眠れそうにない。
意識が繋がったり途切れたりを繰り返し、朝は程なくしてやってきた。


外は雨が降っている。
体調がすこぶる悪くて、立ち上がると吐き気がひどくて仕方がないので、半休を貰った。


会社に行くという作業自体が、もう既に私の中で煩わしいというのを通り越して、それを履行することの意味を感じられないものとなってしまっているけれど。
だからといって全てを放棄することなどできよう筈もなく、しょうことなしに家を出る。

定例のメールですら、飛ばすのが煩わしくてお休み。
けれど、明らかに心配を掛けてそうな友達には「取り敢えず動いてはいるよ」という報告だけしておく。
それ以上のことは、もう何も語りたくはなかった。


人外魔境に入ってからも、やってくる仕事をこなしながら。
考えるのは、これからどうするべきなのかということ。


竜樹さんの口から尖った言葉が飛び出すのは決まって、精神的に追い詰められた時か体調がすこぶる悪い時だということくらいは判りきってる。
体調が悪くても精神状態が比較的安定していれば、尖った言葉も出ては来ないし、相手を慮ることのできる余力は残してることを知っているから。

けれど、正直最近の竜樹さんの言動は少々目に余るものがあって、自尊心に障るだけでなく、どことなく常に欠乏感に苛まれてるような感覚すら受けるような状態。
私が折れつづければ全てが丸く収まるなら、それはそれでよかった。
竜樹さんの体調がよくなりさえしたら、終わることだと思うから。
けれど、今の私の精神状態は、竜樹さんの方向を向くと下向き下限になる。
こんなんでいい筈はない。


いい加減、きちんと話をしないといけないんだろうなと思う。


自分のすることを額面通りでなくてもいいから、認めて欲しいと願うこと。
それは竜樹さんが元気だった頃には考えなくても良かったものだった。
私の中の最終ラインにはいつも竜樹さんがいて、そこから自分自身を認めてくれていたのだから。
けれど、今はもうその時と同じ状態ではない。


竜樹さんにとっての私は、長い苦しみの中で「想う人」から「自分の手足のように扱えるようであるべき人」に形を変えてしまったのだろうこと。

いろんな意味での「困難」の中で、大切にしていた想いが負けてしまったり、その形を変えてしまうことなどあって然るべきことだから、別にそれをどうこう思わない。

私が竜樹さんの傍でこの何年かを歩いてきて、自分の中でよりいっそう竜樹さんが大切な人だと強く想い続けられたのは、竜樹さんの関わらない部分において殆ど変化が生じていないから。
竜樹さんのように、身体が不調極まりなかったわけでも、生活環境が劇的に変化したわけでもない。

だから、身体の痛みに耐え、首を締め上げてくるような現実の前で、それでも想いの本質を守りつづけられなかったとしても、それを誰も責めることなど出来ないけれど。


…それでも。


自分の気持ちがぼろぼろになっていくのをよしとするつもりなんてない。
彼の中で、私が「想う人」から「自分の手足のように使える人」に変わったというのなら。
自分が壊れない範疇で、彼の要望に応えるだけ。


…ならば、出来る限りの「自己都合」とやらを排除するわさ。


それは、私自身にとってはある種の犠牲を伴うものだけど、それと引き換えに頭を擡げる欠乏感を取り去ってくれるというのなら、喜んで放棄しよう。

その代わり、もう二度と傍にいながら欠乏感に苛まれるようなことなんてしないで…

次に竜樹邸に行った時なされるだろう、話し合いの場でそう提案しようかと思った。


ほとんどその方向で進もうと決めて一日を終え、会社を出た後寄り道して帰る。
自室に戻っても、ゾンビっちを開けて散歩することも、しなければならないことも全て放棄して、もう一度昨日今日と考えたことに思いを巡らせた。


そして、気がついてしまった。


…彼の中で死にかけてる愛情は、私の中でもまた死にかけてるのかもしれない。


自己都合を減らし、いろんな意味で竜樹さんの心配を排除する代わりに、私が要求してるものをよこせと言ってるのに過ぎない。
その思考には愛情なんてかけらもない。
竜樹さんのことをどうこう言えるような状態に、私もなかったのだと。


思考が迷走した果てに辿り着いた場所は、ひどく冷えた想いが横たわっていた。
想いが変質した場所は異なっても、結局は2人ともども愛情が死にかけてる状態には違いがないってことだけがはっきりしたのかもしれない。


…やっぱり、暫く時間を置くか


竜樹さんからそう提案された時は、それは嫌だと食い下がったけれど。
今度はそれを自ら提示してみようと思う。
互いが互いに近づきすぎて、そこにいるのが当たり前になって。
互いが互いにとって機嫌のいい状態を提示できるべきものだと思い込んで。

…そんな風に思って行動してたつもりなんて、かけらもなかったけれど。


それでも、追い詰められた心の果てに愛情のかけらすら見つけられないような気がしたのなら。
そんな風に取られても、ある意味仕方ないんだろう。
それは想いの真実ではないにせよ、置かれてる状況の中ではっきりしてる事実だろうから。
だからと言って、誰にどうこう言われる筋合いなんてないけれど。


ひとしきり自分の中で嵐のように駆けずり回った感情が凪を迎えて。
ようやく涙が落ちた。
本当に切ないことは、もしかしたら自分の中で大事にしてきたものが実は死にかけているという状態であること。
枝葉に纏わる問題はいろんな方向を向いてて、一見どれもこれも関連性のないもののようにも見えるけれど。


…想いが死んでしまったら、すべて終わるんだよ。


竜樹邸で逢うまであと2日。
土曜日の2人がどんな道を選ぶかは判らないけれど、一定期間連絡も接触も絶った状態で、利害関係も何もない状態で互いが互いのことをどう思うのか。
それを確かめるための時間を貰おう。


そうして、想いは死ぬのか、蘇るのか。


残された時間は、想いの行き先を確かめる術を見据える時間に充てよう。
心の底でそっと、互いの想いが本当に死んでしまいませんようにと願いながら…



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