遠くて近いあなたに…
2002年6月7日朝、身体が重くて、遅刻街道まっしぐら。
車中では、遠足へ向かう子供さんに顔をはつかれそうになり、
人外魔境ではWCS(W杯チケットの販売サイト)の動向を知らせるメールに右往左往。
順調に日記の下書きも済ませて、定時に会社を出て。
帰りの電車の中、スウェナイ帰りのお姉さまの食事処のご質問メールにあたふた。
帰宅後は、新たなデートの約束に喜び、機嫌よく夕飯を食べて、アルゼンチン・イングランド戦を観戦。
そして、明日竜樹さんと逢うことが決まったという、何気ない1日。
そんな中で、頭を掠めることがいくつかあって。
その思考は決して連続はしてないまでも、日常の動きに埋没するほど弱い存在ではなくて。
何となく形にとどめずにはいられない、そんな想いの束。
…遠くて近いあなたに、託せる限りの想いをを届けようと思う。
「負担」になることについて問い掛けてくれたあなたに。
できることなら、誰の負担にもなりたくないなって思ってます。
絶対的に自分が誰の負担にもならないこと、関係性におけるイーブンを保てるなどと考えること自体が無茶な話と知りながら。
人に負担に思われたくないと思う自分がいます。
正確には、相手にとってお荷物にはなりたくないなって思うのです。
それはきっと、現状で彼の人の背中に私が乗っかれば支えるどころか共に沈んでいくのが目に見えてるから。
自分に負荷がかかることよりも、自分が相手の負荷として重くのしかかるのが嫌だから。
それがきっと「負担になりたくない」私を育てるのだと思います。
…それでも、きっと。
誰もが誰かの負担となり、それを請け負って生きていくのでしょうね。
それを教えてくれたあなたに、ありがとう。
私の想いに胸を痛めるあなたへ。
傍に立つものは、大切な人の体調不良による予定変更を負担に思ったり、がっかりなんてしたりしないものだと思います。
少なくとも、私はそんな風には思わないから。
あなたの大切な人もきっと同じだと思うのです。
予定が狂うことについて、相手を慮って苦しむ心の痛さは、同じだけの痛みを持ってこちらにも切っ先を向けてくるから。
大切な人を大切に想うなら、どうかご自分を責めないでいてください。
これからせねばならぬだろう予定よりも、そこにいるあなたを大切に想うから。
あなたの傍にいるのだということを。
ただそれだけを額面どおり受け取ってください。
それだけで傍にいるものは、とても喜びますから。
こんな私の胸の痛みを慮ってくれて、ありがとう。
私の心と身体を心配するあなたへ。
「心の調和が取れれれば…」と、竜樹さんが手渡したお守りのこと。
それが私にとってよくないものだと、怒ってくれてありがとう。
私自身、そんなお守り飲み込み続けさえすれば物事がうまくいくのなら、後はどうでもええわと思っていました。
だからそれを何の疑いもなく受け取り、飲み込み続けたけれど。
竜樹さんに怒りの切っ先が向くほど、私のことを想ってくれてありがとう。
今もまだ、時々お守りの手を借りたくなるけれど。
だんだんそれを借りずとも対応できる、かつての自分に戻れそうな風を受けてここにいてます。
いつもいつも、ありがとう。
遠い地で私のためだけに時間と気持ちを割いてくれたあなたに。
そこにいてくれるだけで、心はいつでも真ん丸くなります。
どんな形の心が顔を覗かせても、逃げることなくそこにいてくれることがとても嬉しいのです。
遠い場所にありながら、とても近くに思っています。
あなたの心の痛みは私の心の痛みです。
遠き地においてあなたの笑顔が増えれば、それだけで私の笑顔も増えます。
いつも心の傍にいてくれて、ありがとう。
毎朝毎朝、しょうもない号外に付き合ってくれるあなたに。
本当ならとうの昔に私の言葉など必要ではなくなってるはずだろうに。
ただ私の心から飛び出した言葉を受け止め、心を送り届けてくれてありがとう。
あなたにはご迷惑でしょうが、今の私には朝のその時間がとても楽しいのです。
私の心の目に映るもの、今、心捕らえて離さないものに意識を割こうとしてくれることも、とても嬉しいって思ってます。
どんな私を見ても変わらずにいてくれて、ありがとう。
私がお返事を書けずにぐじぐじしてる間、私に声をかけ続けてくれるあなたに。
こんな私の心を捉えてやまないものに、関心を向けてくれてありがとう。
そこにあなたの視点を交えてくれてありがとう。
あなたの視点と私の視点がそれとなく交差してるとわかるだけで、私はまだ完全に一人じゃないんだなぁって思います。
それがどん底まで自分を落とし込んでいかずに済んでたりするのです。
私に話し掛けてくれる、そんなあなたにありがとう。
私と竜樹さんの関係を不思議な面持ちで見つめるあなたに。
私たちの有様を形から理解するのは、難しいと思います。
私にも彼にも守るべきものは何もありません。
極論言うなら、互いが互いを、自分で自分を守る以外に守るべきものは、多分ありません。
誰に遠慮することも、誰に引け目を感じる必要もない2人です。
ただ目に見える形をなしていないということ以外においては。
客観的に見れば、世間的に行き遅れた男女が一組、「普通」のカテゴリーに当てはめにくい、大人気ない恋愛を展開してるに過ぎません。
どんなカテゴリーにも当てはまらない、常人では理解しがたい関係を延々と維持して現在に至ってるということだけは確かなようです。
あなたの築き上げた形とも、誰が築き上げた形とも、表面上では一致することはありません。
それは同じカテに当てはめられる恋愛においても、個々の形が違うのと同じだと思うのは、あまりにも暴論でしょうか?
こんな私では認められませんか?
こんな私でも、今までの私と何ら変わりない私です。
それでも受け入れてくれるというのなら、そんなあなたにありがとう。
…最後に、未だふらりふらりと自分を取り戻せないでいる私を、変わることなく待ちつづけてくれてる、すべての友達に。
正直、未だにつまらないことで浮いたり沈んだりを繰り返しております。
なっさけないなぁと思いながら、未だ迷いの森の出口には辿り着けていません。
いつまで経っても、話し掛けてくれる言葉に答えられへんね、ごめんなさい。
それでも諦めずに声をかけ続けてくれることが、とても嬉しいのです。
ただ、このままぐじぐじしてるつもりは、ないのです。
てか、性格的に多分無理。
そろそろ、本戦に突入するから。
否が応でも自分を起こさねばなりません。
来るべき時が来たら、ちゃんと起きます。
大丈夫。
人の手はようけ借りると思いますが、基本形は自分の道を見据えられるのは自分しかいないから。
まだ大丈夫。
きっと大丈夫やから。
もう一度元気を取り戻したとき、また昔のように声をあげて応えられるように。
想いを託せるように。
もすこしだけ、頑張ってみるから。
…そこにいてくれて、ありがとう。
車中では、遠足へ向かう子供さんに顔をはつかれそうになり、
人外魔境ではWCS(W杯チケットの販売サイト)の動向を知らせるメールに右往左往。
順調に日記の下書きも済ませて、定時に会社を出て。
帰りの電車の中、スウェナイ帰りのお姉さまの食事処のご質問メールにあたふた。
帰宅後は、新たなデートの約束に喜び、機嫌よく夕飯を食べて、アルゼンチン・イングランド戦を観戦。
そして、明日竜樹さんと逢うことが決まったという、何気ない1日。
そんな中で、頭を掠めることがいくつかあって。
その思考は決して連続はしてないまでも、日常の動きに埋没するほど弱い存在ではなくて。
何となく形にとどめずにはいられない、そんな想いの束。
…遠くて近いあなたに、託せる限りの想いをを届けようと思う。
「負担」になることについて問い掛けてくれたあなたに。
できることなら、誰の負担にもなりたくないなって思ってます。
絶対的に自分が誰の負担にもならないこと、関係性におけるイーブンを保てるなどと考えること自体が無茶な話と知りながら。
人に負担に思われたくないと思う自分がいます。
正確には、相手にとってお荷物にはなりたくないなって思うのです。
それはきっと、現状で彼の人の背中に私が乗っかれば支えるどころか共に沈んでいくのが目に見えてるから。
自分に負荷がかかることよりも、自分が相手の負荷として重くのしかかるのが嫌だから。
それがきっと「負担になりたくない」私を育てるのだと思います。
…それでも、きっと。
誰もが誰かの負担となり、それを請け負って生きていくのでしょうね。
それを教えてくれたあなたに、ありがとう。
私の想いに胸を痛めるあなたへ。
傍に立つものは、大切な人の体調不良による予定変更を負担に思ったり、がっかりなんてしたりしないものだと思います。
少なくとも、私はそんな風には思わないから。
あなたの大切な人もきっと同じだと思うのです。
予定が狂うことについて、相手を慮って苦しむ心の痛さは、同じだけの痛みを持ってこちらにも切っ先を向けてくるから。
大切な人を大切に想うなら、どうかご自分を責めないでいてください。
これからせねばならぬだろう予定よりも、そこにいるあなたを大切に想うから。
あなたの傍にいるのだということを。
ただそれだけを額面どおり受け取ってください。
それだけで傍にいるものは、とても喜びますから。
こんな私の胸の痛みを慮ってくれて、ありがとう。
私の心と身体を心配するあなたへ。
「心の調和が取れれれば…」と、竜樹さんが手渡したお守りのこと。
それが私にとってよくないものだと、怒ってくれてありがとう。
私自身、そんなお守り飲み込み続けさえすれば物事がうまくいくのなら、後はどうでもええわと思っていました。
だからそれを何の疑いもなく受け取り、飲み込み続けたけれど。
竜樹さんに怒りの切っ先が向くほど、私のことを想ってくれてありがとう。
今もまだ、時々お守りの手を借りたくなるけれど。
だんだんそれを借りずとも対応できる、かつての自分に戻れそうな風を受けてここにいてます。
いつもいつも、ありがとう。
遠い地で私のためだけに時間と気持ちを割いてくれたあなたに。
そこにいてくれるだけで、心はいつでも真ん丸くなります。
どんな形の心が顔を覗かせても、逃げることなくそこにいてくれることがとても嬉しいのです。
遠い場所にありながら、とても近くに思っています。
あなたの心の痛みは私の心の痛みです。
遠き地においてあなたの笑顔が増えれば、それだけで私の笑顔も増えます。
いつも心の傍にいてくれて、ありがとう。
毎朝毎朝、しょうもない号外に付き合ってくれるあなたに。
本当ならとうの昔に私の言葉など必要ではなくなってるはずだろうに。
ただ私の心から飛び出した言葉を受け止め、心を送り届けてくれてありがとう。
あなたにはご迷惑でしょうが、今の私には朝のその時間がとても楽しいのです。
私の心の目に映るもの、今、心捕らえて離さないものに意識を割こうとしてくれることも、とても嬉しいって思ってます。
どんな私を見ても変わらずにいてくれて、ありがとう。
私がお返事を書けずにぐじぐじしてる間、私に声をかけ続けてくれるあなたに。
こんな私の心を捉えてやまないものに、関心を向けてくれてありがとう。
そこにあなたの視点を交えてくれてありがとう。
あなたの視点と私の視点がそれとなく交差してるとわかるだけで、私はまだ完全に一人じゃないんだなぁって思います。
それがどん底まで自分を落とし込んでいかずに済んでたりするのです。
私に話し掛けてくれる、そんなあなたにありがとう。
私と竜樹さんの関係を不思議な面持ちで見つめるあなたに。
私たちの有様を形から理解するのは、難しいと思います。
私にも彼にも守るべきものは何もありません。
極論言うなら、互いが互いを、自分で自分を守る以外に守るべきものは、多分ありません。
誰に遠慮することも、誰に引け目を感じる必要もない2人です。
ただ目に見える形をなしていないということ以外においては。
客観的に見れば、世間的に行き遅れた男女が一組、「普通」のカテゴリーに当てはめにくい、大人気ない恋愛を展開してるに過ぎません。
どんなカテゴリーにも当てはまらない、常人では理解しがたい関係を延々と維持して現在に至ってるということだけは確かなようです。
あなたの築き上げた形とも、誰が築き上げた形とも、表面上では一致することはありません。
それは同じカテに当てはめられる恋愛においても、個々の形が違うのと同じだと思うのは、あまりにも暴論でしょうか?
こんな私では認められませんか?
こんな私でも、今までの私と何ら変わりない私です。
それでも受け入れてくれるというのなら、そんなあなたにありがとう。
…最後に、未だふらりふらりと自分を取り戻せないでいる私を、変わることなく待ちつづけてくれてる、すべての友達に。
正直、未だにつまらないことで浮いたり沈んだりを繰り返しております。
なっさけないなぁと思いながら、未だ迷いの森の出口には辿り着けていません。
いつまで経っても、話し掛けてくれる言葉に答えられへんね、ごめんなさい。
それでも諦めずに声をかけ続けてくれることが、とても嬉しいのです。
ただ、このままぐじぐじしてるつもりは、ないのです。
てか、性格的に多分無理。
そろそろ、本戦に突入するから。
否が応でも自分を起こさねばなりません。
来るべき時が来たら、ちゃんと起きます。
大丈夫。
人の手はようけ借りると思いますが、基本形は自分の道を見据えられるのは自分しかいないから。
まだ大丈夫。
きっと大丈夫やから。
もう一度元気を取り戻したとき、また昔のように声をあげて応えられるように。
想いを託せるように。
もすこしだけ、頑張ってみるから。
…そこにいてくれて、ありがとう。
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