最後のカード
2002年5月25日昨晩もなかなか眠りにつけずにいた。
明日は早い時間に待ち合わせしているのに、どこか落ち着かなくてメッセに上がり、友達に捕獲されて話しているうちに空が明るくなってきた。
ずっと起きてるつもりが、油断して横になってしまった。
…携帯の音で目が覚めた。
慌てて飛び起きると、竜樹さん。
「今、どこにおるん?」
「……まだ、家なんですけど」
「約束の時間まで、あと3分しかないのにどうするつもりやねん?」
「自力で現地まで向かいましょうか?」
「俺は昼に家に帰らんなんから、疲れてんねやったら休んで好きにしたら?」
怒りとも呆れともつかない口調で電話を切る。
一気に血の気が引いた。
昨晩の電話でも、段取りの悪さについては指摘されたところだというのに。
竜樹さんの指摘する部分を改善するチャンスはすぐ目の前にあったのに。
…また、やらかしてしまった。
低血圧がひどくなってきてることや、お薬を飲んで寝たことなどは彼にとっては正当性に足るだけの理由には程遠い。
逢いに行ったところで、険悪な空気が収まるはずはないだろうけど。
…ひとまず、約束した竜樹邸掃除大会だけは履行しよう。
そう思って、慌てて用意をする。
外はよく晴れて暖かい。
それが余計に気持ちを滅入らせていくよな気がする。
このあとに起こることの打撃を減らしてくれるかは判らないけれど、お薬の力を少しばかり借りることにした。
晴れやかで暖かな外をてくてくと歩く。
移動中ずっと気持ちは晴れることはなかった。
バスを降りて、駐車場を覗くと竜樹カーはない。
…戻ってはらへんねやったら、ご実家に頼んで鍵を開けてもらわないとあかんなぁ
そう思って竜樹邸の前に着くと、門が開いている。
入ってみると、竜樹母さんがいた。
あがって暫く話してるうちに、竜樹さんが帰宅。
そのまま暫く3人で話し、そのうち竜樹母さんがお帰りになられる。
取り残された2人に気まずい雰囲気が流れるけれど、2階で話そうということになる。
2階に上がって暫くは、竜樹さんのおじいさんのお墓参りに行った時の様子や外の話を聞いたりしてたけれど。
竜樹さんの体調が俄かに悪くなってきて、横になられてから飛び出した話に身体が凍りついた。
「霄にとっていろんな意味で無理してんのも、不満があるのも見てて判るねん。
会社のことでも俺のことでも評価欠乏を感じてる部分、あるからやろうし。
お前が俺のために一生懸命やってくれてても俺がそれを評価せぇへんのは、俺の要求してる方向の努力とお前の努力の方向性とがおおてへんからや」
別にいつでも自分のやることを額面通り認めて欲しいと思ってしてる訳ではないから、それ自体を苦にしたことはないけれど。
確かに、何をやってもあまり彼の役に立ってるようには思えなかったというのは厳然たる事実ではある。
彼の思ってることの具体例を聞いてるうちに、「認めてもらえなくて悲しい」というよりはどんどん感情がなくなっていくような感覚に囚われはじめる。
一体、どれくらいの時間が過ぎただろう?
彼はぽつりと、こう言った。
「俺と一緒にいてても、お前は俺の要求することをぱっと読んでできへんやろし、評価欠乏を抱えながら俺と一緒にいてても、ええことないやろ?
ずっと関係を切るとかではなくて、一度時間をおいて互いを見つめ直してみてもええんちゃうかって思うねん。
俺の今の時間が戻ってこぉへんのと同じように、お前の時間も戻ってはけぇへん。
そしたら、互いが互いのためだけに時間を使うってことの方が大事と違うか?
今のお前を見てると、もう限界にはとっくに達してるんやと思う。
別に俺を養うために働いてる訳やないねんから、今の会社にしがみつくこともないと思う。」
先日、竜樹さんが書類の整理をしていて、何年か前に私が描いた絵が出てきたらしい。
それを見ていて思ったんだそうだ。
…こうやって絵を描くことに十分な時間が割けてた頃は、もっとこの子らしい、きらきらしたものがあったのになぁ。
今の私にはそれがもう感じられないらしい。
いろいろ力が抜けていくようなことは沢山言われ、「私は一体何をしてたんやろ」って気持ちになった。
ちょっと竜樹さんが席を外した時、涙が出てきたけれど、彼が戻るまでに綺麗に拭い去った。
そうして、悲しむべき、だけど厳然たる事実が胸元を抉っていく。
彼の今後について、現状希望の見える展望などなくて、近いうちに首が絞まるやろって感じがすること。
それに加えて、私自身を取り巻く状況が決してそれを覆すに足りるだけのものでもないこと。
それなら、互いが互いを意識しないで歩く方が建設的でいいのだということ。
もしも私が必要とするのなら、いつでも「引導」は渡すということ。
「私の努力をあなたが認めようと認めまいと、それは自由やと思います。
認めてもらえればそれに越したことはないけれど、認めてもらいたくてやってきた訳じゃありませんから。
それと、私の幸せの価値は私が決めるものやから。
それに対してどうこういうのは、大きなお世話です。
私があなたから離れたくなれば自らの意思でそうするし、あなたからの引導が必要となるなら、自らお願いに上がります」
こう答えた時、私がどんな顔をしてたかは判らないけれど。
割と落ち着き払って言えたような気がする。
それに対して、竜樹さんがどんな表情で受け取ったのかは覚えていない。
正確には必要以上に彼の顔を見ようとはしていなかったから。
それを見ることで、自分の中に浮かぶ表情をつぶさに捉えられるのが嫌だったから。
「俺はお前に対して何の責任も取ってやれへんし、お前が『いたい』って言ったって、俺の方から『いらん』って言うかも知れへんで」
そう返ってきた。
「それは状況がよかろうが悪かろうが、起こり得ることでしょ?」
淡々と返す私。
それからどれくらい話しただろう。
彼が自分の手札の中の一番嫌なカードを提示した後、彼の本当の苦しみが見えた気がした。
「たとえばな。霄がうちに来てくれて、しんどいのに送っていかんなんってなった時、
『こんな状態になってんねんから、自力で帰れや』って思う以上に、『何で、この子を家に送っていくことくらいも出来へんねん、俺は』って思うんや。
出来るはずのことがどんどんできへんようになってるってことがすごい辛いんや。
お前に何かしてやろうと思うたびに、してやれへん現実があって。
それがどんどん負い目みたいになっていくねや」
彼の中に渦巻くものは、私の出来の悪さに対する不満よりも、私に対する自責の念。
だとしたら、いよいよ私はいない方がいいんじゃないか?
「私は自分に出来ることをします。
あなたが必要だと思うことは言わなければ伝わらないから、都度必要なら言ってください。
その範疇においては、自分の意志が続く限りやりますから」
「…俺はもう二度とお前に『傍にいてくれ』とは言わへん」
自分の中にある何かに言い聞かせるように、言葉を搾り出す竜樹さん。
どこか辛そうな横顔をちらりと見たけれど、それを見据える勇気はなかった。
「ちょっと横になっても、かまへんか?」
そう言って、竜樹さんは横になる。
私は心が痛みつづけるのを抑えたくて、階下に降りる。
再手術に伴って起こる可能性のあることや竜樹さんを待ち受ける未来。
その最後のカードを提示された今、私に何が出来るのか判らない。
ただ託された最後のカードにどう答えるのかを考えなければならないことだけは確かなのかもしれない。
明日は早い時間に待ち合わせしているのに、どこか落ち着かなくてメッセに上がり、友達に捕獲されて話しているうちに空が明るくなってきた。
ずっと起きてるつもりが、油断して横になってしまった。
…携帯の音で目が覚めた。
慌てて飛び起きると、竜樹さん。
「今、どこにおるん?」
「……まだ、家なんですけど」
「約束の時間まで、あと3分しかないのにどうするつもりやねん?」
「自力で現地まで向かいましょうか?」
「俺は昼に家に帰らんなんから、疲れてんねやったら休んで好きにしたら?」
怒りとも呆れともつかない口調で電話を切る。
一気に血の気が引いた。
昨晩の電話でも、段取りの悪さについては指摘されたところだというのに。
竜樹さんの指摘する部分を改善するチャンスはすぐ目の前にあったのに。
…また、やらかしてしまった。
低血圧がひどくなってきてることや、お薬を飲んで寝たことなどは彼にとっては正当性に足るだけの理由には程遠い。
逢いに行ったところで、険悪な空気が収まるはずはないだろうけど。
…ひとまず、約束した竜樹邸掃除大会だけは履行しよう。
そう思って、慌てて用意をする。
外はよく晴れて暖かい。
それが余計に気持ちを滅入らせていくよな気がする。
このあとに起こることの打撃を減らしてくれるかは判らないけれど、お薬の力を少しばかり借りることにした。
晴れやかで暖かな外をてくてくと歩く。
移動中ずっと気持ちは晴れることはなかった。
バスを降りて、駐車場を覗くと竜樹カーはない。
…戻ってはらへんねやったら、ご実家に頼んで鍵を開けてもらわないとあかんなぁ
そう思って竜樹邸の前に着くと、門が開いている。
入ってみると、竜樹母さんがいた。
あがって暫く話してるうちに、竜樹さんが帰宅。
そのまま暫く3人で話し、そのうち竜樹母さんがお帰りになられる。
取り残された2人に気まずい雰囲気が流れるけれど、2階で話そうということになる。
2階に上がって暫くは、竜樹さんのおじいさんのお墓参りに行った時の様子や外の話を聞いたりしてたけれど。
竜樹さんの体調が俄かに悪くなってきて、横になられてから飛び出した話に身体が凍りついた。
「霄にとっていろんな意味で無理してんのも、不満があるのも見てて判るねん。
会社のことでも俺のことでも評価欠乏を感じてる部分、あるからやろうし。
お前が俺のために一生懸命やってくれてても俺がそれを評価せぇへんのは、俺の要求してる方向の努力とお前の努力の方向性とがおおてへんからや」
別にいつでも自分のやることを額面通り認めて欲しいと思ってしてる訳ではないから、それ自体を苦にしたことはないけれど。
確かに、何をやってもあまり彼の役に立ってるようには思えなかったというのは厳然たる事実ではある。
彼の思ってることの具体例を聞いてるうちに、「認めてもらえなくて悲しい」というよりはどんどん感情がなくなっていくような感覚に囚われはじめる。
一体、どれくらいの時間が過ぎただろう?
彼はぽつりと、こう言った。
「俺と一緒にいてても、お前は俺の要求することをぱっと読んでできへんやろし、評価欠乏を抱えながら俺と一緒にいてても、ええことないやろ?
ずっと関係を切るとかではなくて、一度時間をおいて互いを見つめ直してみてもええんちゃうかって思うねん。
俺の今の時間が戻ってこぉへんのと同じように、お前の時間も戻ってはけぇへん。
そしたら、互いが互いのためだけに時間を使うってことの方が大事と違うか?
今のお前を見てると、もう限界にはとっくに達してるんやと思う。
別に俺を養うために働いてる訳やないねんから、今の会社にしがみつくこともないと思う。」
先日、竜樹さんが書類の整理をしていて、何年か前に私が描いた絵が出てきたらしい。
それを見ていて思ったんだそうだ。
…こうやって絵を描くことに十分な時間が割けてた頃は、もっとこの子らしい、きらきらしたものがあったのになぁ。
今の私にはそれがもう感じられないらしい。
いろいろ力が抜けていくようなことは沢山言われ、「私は一体何をしてたんやろ」って気持ちになった。
ちょっと竜樹さんが席を外した時、涙が出てきたけれど、彼が戻るまでに綺麗に拭い去った。
そうして、悲しむべき、だけど厳然たる事実が胸元を抉っていく。
彼の今後について、現状希望の見える展望などなくて、近いうちに首が絞まるやろって感じがすること。
それに加えて、私自身を取り巻く状況が決してそれを覆すに足りるだけのものでもないこと。
それなら、互いが互いを意識しないで歩く方が建設的でいいのだということ。
もしも私が必要とするのなら、いつでも「引導」は渡すということ。
「私の努力をあなたが認めようと認めまいと、それは自由やと思います。
認めてもらえればそれに越したことはないけれど、認めてもらいたくてやってきた訳じゃありませんから。
それと、私の幸せの価値は私が決めるものやから。
それに対してどうこういうのは、大きなお世話です。
私があなたから離れたくなれば自らの意思でそうするし、あなたからの引導が必要となるなら、自らお願いに上がります」
こう答えた時、私がどんな顔をしてたかは判らないけれど。
割と落ち着き払って言えたような気がする。
それに対して、竜樹さんがどんな表情で受け取ったのかは覚えていない。
正確には必要以上に彼の顔を見ようとはしていなかったから。
それを見ることで、自分の中に浮かぶ表情をつぶさに捉えられるのが嫌だったから。
「俺はお前に対して何の責任も取ってやれへんし、お前が『いたい』って言ったって、俺の方から『いらん』って言うかも知れへんで」
そう返ってきた。
「それは状況がよかろうが悪かろうが、起こり得ることでしょ?」
淡々と返す私。
それからどれくらい話しただろう。
彼が自分の手札の中の一番嫌なカードを提示した後、彼の本当の苦しみが見えた気がした。
「たとえばな。霄がうちに来てくれて、しんどいのに送っていかんなんってなった時、
『こんな状態になってんねんから、自力で帰れや』って思う以上に、『何で、この子を家に送っていくことくらいも出来へんねん、俺は』って思うんや。
出来るはずのことがどんどんできへんようになってるってことがすごい辛いんや。
お前に何かしてやろうと思うたびに、してやれへん現実があって。
それがどんどん負い目みたいになっていくねや」
彼の中に渦巻くものは、私の出来の悪さに対する不満よりも、私に対する自責の念。
だとしたら、いよいよ私はいない方がいいんじゃないか?
「私は自分に出来ることをします。
あなたが必要だと思うことは言わなければ伝わらないから、都度必要なら言ってください。
その範疇においては、自分の意志が続く限りやりますから」
「…俺はもう二度とお前に『傍にいてくれ』とは言わへん」
自分の中にある何かに言い聞かせるように、言葉を搾り出す竜樹さん。
どこか辛そうな横顔をちらりと見たけれど、それを見据える勇気はなかった。
「ちょっと横になっても、かまへんか?」
そう言って、竜樹さんは横になる。
私は心が痛みつづけるのを抑えたくて、階下に降りる。
再手術に伴って起こる可能性のあることや竜樹さんを待ち受ける未来。
その最後のカードを提示された今、私に何が出来るのか判らない。
ただ託された最後のカードにどう答えるのかを考えなければならないことだけは確かなのかもしれない。
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