小さな翼

2002年5月21日
昨日はお薬を立て続けに飲んだせいか、家に帰って夕飯をとったあと、殆ど何もせずに眠りこけてしまった。
朝起きると、5時前。
慌てて起き上がり日記の字数を削り、お友達へのお返事大会を繰り広げる。
予定より早く終えられたので、昨夜読めなかったお友達の日記を読み進める。


…ちょっとだけ答に詰まる質問を頂いた。


正確に言うと、自分の中での結論は出てる。
私自身にとっては、至ってシンプルな答。
だけど、それをきちんと納得してもらえるように伝える表現が見つからない。


…表現の仕方じゃなくて、大事なのは「想い」だよ?

そう思う自分は確かにいるんだけど。
想いの質は変わらなくても、人の心に伝わりやすい言葉もあれば伝わりにくい言葉もある。
どんな言い回しにせよ、伝わらない人には伝わらないと知りながら。
それでも自分を認めてくれた人には、出来る限りちゃんと想いを届けたいと思うから。
ひとまずお返事を待ってもらう形を取って、家を出た。


そうして、延々と考えつづける。


自分と同じ立場の人なんて、基本的にいる訳がないと思っている。
それは人の顔がみな違うのと同じレベルの話だと。
だから、自分の心の中で「いくらなんでもこれは受け入れられないだろう」と思うことや大切に想う誰かや自分の中にある不可侵の部分に障るものでない限りは認めたいと思う。


…否定するというのは、いろんなものの繋がりを一刀両断にするものだって思うから。


かつて物事を推し進めていく過程で切り捨ててきた人の想いや、自分が認めてもらえなくてそこで絶たれてしまった関係性や想いを思い返して判ったこと。
その絶たれてしまう物事や想いの中に、痛みがあることを知っているから。
だから、余程のことがなければ認めたいと思う。

そして、そんななけなしの想いを後押ししてくれてる人がいたから、その想いを貫き通すことができたのを知っている。


その後押しをしたのは、竜樹さん。


かつて私が彼の間接的な部下でいた頃。
仕事上でチームを組んでた専任の先生と軽いトラブルを起こすことがあった。
組んでる先生は、みんな公的な教育機関で教鞭を取られたことのある人ばかりで、教えることに関しては自分の雛型もポリシーも持っておられる。
そこへ雛型も何も、ましてや教鞭をとったことがない私が自分なりのやり方で生徒さんと向き合う。
その過程で、私のやり方が専任の先生の雛型にそぐわないことがある。
そうして揉める。

先生方の雛形通りにしてれば、それなりの対応は出来る。
でも個別に対処するには、その雛型では不足することもある。
だから試行錯誤しては、雛形とは違うやり方で対処しては詰られる。
自分に自信はないくせに、肝が据わるとはっきり言い過ぎるきらいがあって承服できない点だけは言い返す。
そして、またどかん。

どうしたらいいものか悩みながら最初の1年が終わり、2年目に入ったとき。
丁度、竜樹さんと一緒に歩き始めた年の初夏の頃だっただろうか。
彼の管轄の外でとても嫌な否定のされ方をして、教えること自体にげんなりしてることを溢した。
本気で彼の部下でいつづけることも教えること自体も辞めるつもりでいてた。

「確かに、俺の管轄のところじゃないところでのフォローはしてやれへんし、(専任の)先生や俺らは霄よりも多くの経験則を持ち合わせてるから、絶対的に負ける部分は出てくるよ。
けど、お前でないとできへんことがあるんや。
子供らが楽しく勉強して、帰っていくこと。
ここへ来ることを楽しみにできるような空気を作ってやること。
それは彼女や俺らでは、間違いなくできへんことやねん。
俺のおるところであることは俺がすべて認めてやるから、霄は霄にしかできへんことをしてくれたらええ。
それが子供らにも俺にも大切なことやねん」

そう言ってくれた。
室長である彼が認めたことで問題が起これば、それはすべて彼の責任になる。
下手を打てば、私の行動が彼の首をしめることになるかもしれない。
躊躇する私に、「それでもええから、やってくれ」と言ってくれた。

手足を縮めて仕事をしてた私に、竜樹さんは小さな翼をくれた。
それは小さな翼だけれど、とても嬉しかった。
認めてもらえるってことがどれほど、心を楽にするのか。
どれほどたくさんの歩く力を生み出すのか、それを自分自身が知ったから。
一番大切に想う竜樹さんがくれた大きな贈り物だから。


だから、私も「認めたい」と思うんだ。
こんな私を認めてくれた人の持っているものを認めることで、機嫌よく歩いてくれるなら。
それがただとても嬉しいと思うんだ。

ただそれだけのこと。


そうやって私から生まれる想い偽りなんてないんだ。いつでも。
だから認めたいと願うことは、なるべく素直に伝えてきた。


だけど、みんながみんな、それを額面どおり信じてくれる訳でないのも厳然たる事実で。
私の気持ちをまるで試すような問いかけをしてくる人もいる。
「綺麗事抜かしやがって」と痛めつけたがる人もいる。


「そこまで信じられへんねやったら、信じへんかったらええやん」


人を理解したいと願う私がいるすぐ傍に、必要以上に理解を求めようとしない自分もいるから。
心の中でぱちんとスイッチが入れ替わると、ぽぉんと投げ捨ててしまう面もある。
「綺麗事抜かしやがって…」の口の人は、そういう私を見たら「それ見たことか」って思うんだとは思うけれど。
それはそれで瑣末なことなので、そこまで意識を割かないようにはしてるけれど。


…ちゃんと信じてもらえるんやろか?


最近、どことなく人のことを信じられない自分が突出しつつある状態でもあるだけに、自分の想いをどう説明したらいいのかが余計に判らなくなった。
思考は迷走し続ける。


ちょうどよく(?)仕事も立て込まず、いらぬストレスもためず。
日記の下書きもしながら、想いを確かめていく。
言葉を選び出していく。


…自分の想いだけをそのまま伝えたら、ええやん。
信じるか、信じないかはもう、相手の方に委ねよう?


自分の中から出た結論はやっぱりシンプルな形でしかなくて。
定時に会社を出て家に帰ってから、その答を纏めてみた。


もしかしたら、想いをただ伝えようとする私の言葉はまどろっこしいだけかもしれない。
もしかしたら、言葉が足りなすぎてただの暴論になってしまってるかもしれない。
それでも、私の想いの真偽を試すためでなく、ただ私の想いを知りたいと願っていてくれたなら。
その拙い言葉の底に眠る想いを受け取って貰えたなら。


ただそれだけで嬉しい。


大切な人から貰った、心の後押しをするという名の贈り物を誰かに渡せるということが。
それが受け取ってくれた人の心に小さな翼を齎すかもしれないということが。


…大切な人から受け取った小さな翼を、あなたにお渡ししましょう。
こんな弱い私の心から救い出した小さな翼でよければ…


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