始まりと終わりの連続の中で…
2002年5月2日1日は追悼日記をあげてもらっているので、2日分纏めてみようと思います。
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(31日の)夜、日記の複数日更新に挑もうと思っていたけれど、何となく気持ちが塞いだままで感じていたことを言葉に置き換える作業がおっつかない。
憂鬱を掃うために、昔竜樹さんと待ち合わせした店で気持ちを鎮めてきたのに、一人になってひと息つくと、またなりを潜めていたはずの憂鬱が押し寄せてくる。
憂鬱を抱える心に駄目押しするように、激しい雨音が聞こえる。
心はさらに憂鬱さを加速させながら沈んでいく。
何をするでもなく貰ったCDを聞いたり、ただネットをふらついたりして、気持ちを置き換える作業とは全然関係のない場所をふらつき、それでも何となく落ち着かなくてメッセにあがった。
「日記の更新は〜?」と問いかけながら、友達が捕獲してくれる。
笑える話を受け取りながら、ふと引っかかってる憂鬱の根っこを何とはなしに預けてしまった。
毎度のことながら、辛抱強く付き合ってくれる友達に感謝しながら、夜明け前に眠った。
へっぽこVAIOくんに少しばかり感謝して。
…ところが。
朝起きて、いつものようにメールチェックをしてから出かけようとしてパソコンを開けると全く起動しない。
そう言えば、昨日帰ってきてから更新したときに、FDドライブが変な音を立ててたような気がするし、何度も再起動かけないと自分の日記に辿り着けなかった。
思えば、昨日からおかしかったのだろうか。
いずれにせよ、ショックなことには変わりはない。
最近日記の追いかけ更新をするとき、大概友達に送ったメールを見ながら書いていたのに、パソコンに溜めておいたメールが軒並みご臨終の形になったってことだけは確か。
友達のメールアドレスも携帯に覚えさせてるもの以外は、すべてご臨終。
不幸中の幸いと言えば、パソコンに放り込んでたソフトはすべて自分で買って持っていたということと友達に作ってもらって大切にしてた壁紙のバックアップだけは奇跡的に取れていたということだろうか。
あとは、お庭造りの準備品は何もパソコンに残していなかったのも、かな?
(作業が進んでないことが救いになるというのは、なんとも情けないとは思うけれど…(-_-;))
機嫌が悪くなるのを通り越して、全てにおいて投げやりな気分になってくる。
当然(?)会社になんてますます行きたくなくなってしまって、気分が会社モードになるまで家にいてたら、遅刻路線に入ってしまった。
昨日から降り続いてる雨も、一向にやみそうにない。
泣きたくなるような気持ちを抱えて家を出て、会社に遅れる旨を連絡して、また駅までたらたらと歩く。
電車に乗ってからも、いつものように軽快に朝メールを飛ばす気分なんてなれず。
ただへっぽこVAIOくんが逝去したってことだけを伝えるメールをいくつも飛ばす。
気持ちが言葉に置き換わらないので、最低限度の事実だけを飛ばしつづける。
遅れて会社に入ってからも、憂鬱なことは続く。
噛み付くように鳴り響く電話も理不尽さを伴う仕事も。
迫り来る仕事がひと段落した時、ふっと思った。
…あ、そっか。起動ディスクを作ればいいんだ。
会社にあるパソコンでへっぽこVAIOくんと同じOSを積んでるものを探し出して、起動ディスクを作った。
…運がよければ、これでまた生き返るかもしれない。
わずかばかりの期待を胸に仕事に勤しみ、少しサービス残業を食らった後会社を飛び出して、どこにも寄らずにまっすぐに金岡邸に帰った。
私にしては珍しく期待を抱きながら起動ディスクにすべてを賭けてみたけれど。
へっぽこVAIOくんは甦ることはなかった。
いらない期待感なんて持ってしまったために脱力感もひとしおで、暫くしてそのまま腐るように眠ってしまった。
翌朝、でんでろりと起き上がり、昨日よりも更にやる気のない状態で出勤。
同僚さんがお休みのため、通常フローの1.5倍程度の仕事が増えてのしかかる。
それを黙々とこなすけれど、だんだん嫌気が差してくる。
仕事が終わる頃にはぐったりしていた。
本当は昨日、友達の誕生日のプレゼントを買いに行くつもりだったのだけれど、起動ディスクに全てを託したい気持ちが強すぎて、そのまま直帰してしまったんだ。
大好きなお友達の誕生日は明日。
これから配送かけて明日中になんて届く訳がないと判りきっていたから、正直どうしたものかなと思った。
疲れきってて判断力が鈍ってるのもあったし、改めて感覚を起こすのもちょっとおっくうだった。
電車に乗って移動して、大きなショップを何軒もまわる。
贈りたいアイテムは決まっていたけれど、具体的にどれにしたらいいのか判らず、ただ闇雲にフロアーをぐるぐる回る。
…あ。
何気なく思いを巡らせていて気が付いた。
へっぽこVAIOくんが壊れて、なくなったものがある。
既に関係性は破綻してるのだろうけれど、良かった頃の思い出がそこにはまだ残っていた。
1st VAIOくんが壊れた時もバックアップを取り損ねてて、思い出のかけらはきれいに消えてしまったけれど。
辛うじてへっぽこVAIOくんが引き継いでいたものがあったから、時々目にするといろいろ考えることはあったのだけれど。
物事には終わりってものがあって、それは本人が予期してないところからばっさりやってくる。
そこにどんな想いがあろうが、お構いなしに終わりはやってくる。
楽しい時はそれがいつまでも続くような気がして言わないままにしておいた言葉は、その行き場を無くしたまま死んでしまうことがある。
そうして死んでしまった想いの言葉のかけらを未だ抱きしめたまま。
暖かな想いを受け渡しした事実だけが永遠に消えてなくなってしまった。
想うからこそ言えない言葉を知っている。
けれど、どうしても言わなければならない言葉かあることもまた知っている。
「まだ大丈夫」という気持ちが心の中で暖められつづけたちいさな言葉を死なせてしまった。
「心の傍にいてくれて、ありがとう」
もう届くことのない言葉。
今大切な人たちにそれを話したら、「はぁん?」って思うのかもしれない。
けれど、来年も今と同じ状況でその時間を迎えられるかどうかなんて判らないんだ。
来年も同じ気持ちのままでその時間を迎えられるかどうかなんて誰にもわからないんだ。
私の中にある竜樹さんへの想いはずっとずっと生き続けたとしても、物理的に共にあることが許されなくなるかもしれないというのと同じように。
周りを取り囲むものが永遠に同じようにありつづけることなんて、ないのかもしれない。
…ならば。
伝えたいと願う言葉があるのなら、伝えられるうちに伝えてしまおう。
来年同じ想いを分かち合えなくても。
今の私が確かにそう思ったこと。
それを今、伝えたいと思うから。
始まりと終わりの連続の中で、少しでも言葉を殺さないですむのなら。
少しでも想いを生かしておけるなら。
そう思った私から迷いは消えていた。
私の想いはどれくらい伝わるのかは判らないけれど。
ただ、始まりと終わりの連続の中にいる自分が希う言葉を。
「ありがとう」という想いを、届けたいと願う自分を見つけた。
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(31日の)夜、日記の複数日更新に挑もうと思っていたけれど、何となく気持ちが塞いだままで感じていたことを言葉に置き換える作業がおっつかない。
憂鬱を掃うために、昔竜樹さんと待ち合わせした店で気持ちを鎮めてきたのに、一人になってひと息つくと、またなりを潜めていたはずの憂鬱が押し寄せてくる。
憂鬱を抱える心に駄目押しするように、激しい雨音が聞こえる。
心はさらに憂鬱さを加速させながら沈んでいく。
何をするでもなく貰ったCDを聞いたり、ただネットをふらついたりして、気持ちを置き換える作業とは全然関係のない場所をふらつき、それでも何となく落ち着かなくてメッセにあがった。
「日記の更新は〜?」と問いかけながら、友達が捕獲してくれる。
笑える話を受け取りながら、ふと引っかかってる憂鬱の根っこを何とはなしに預けてしまった。
毎度のことながら、辛抱強く付き合ってくれる友達に感謝しながら、夜明け前に眠った。
へっぽこVAIOくんに少しばかり感謝して。
…ところが。
朝起きて、いつものようにメールチェックをしてから出かけようとしてパソコンを開けると全く起動しない。
そう言えば、昨日帰ってきてから更新したときに、FDドライブが変な音を立ててたような気がするし、何度も再起動かけないと自分の日記に辿り着けなかった。
思えば、昨日からおかしかったのだろうか。
いずれにせよ、ショックなことには変わりはない。
最近日記の追いかけ更新をするとき、大概友達に送ったメールを見ながら書いていたのに、パソコンに溜めておいたメールが軒並みご臨終の形になったってことだけは確か。
友達のメールアドレスも携帯に覚えさせてるもの以外は、すべてご臨終。
不幸中の幸いと言えば、パソコンに放り込んでたソフトはすべて自分で買って持っていたということと友達に作ってもらって大切にしてた壁紙のバックアップだけは奇跡的に取れていたということだろうか。
あとは、お庭造りの準備品は何もパソコンに残していなかったのも、かな?
(作業が進んでないことが救いになるというのは、なんとも情けないとは思うけれど…(-_-;))
機嫌が悪くなるのを通り越して、全てにおいて投げやりな気分になってくる。
当然(?)会社になんてますます行きたくなくなってしまって、気分が会社モードになるまで家にいてたら、遅刻路線に入ってしまった。
昨日から降り続いてる雨も、一向にやみそうにない。
泣きたくなるような気持ちを抱えて家を出て、会社に遅れる旨を連絡して、また駅までたらたらと歩く。
電車に乗ってからも、いつものように軽快に朝メールを飛ばす気分なんてなれず。
ただへっぽこVAIOくんが逝去したってことだけを伝えるメールをいくつも飛ばす。
気持ちが言葉に置き換わらないので、最低限度の事実だけを飛ばしつづける。
遅れて会社に入ってからも、憂鬱なことは続く。
噛み付くように鳴り響く電話も理不尽さを伴う仕事も。
迫り来る仕事がひと段落した時、ふっと思った。
…あ、そっか。起動ディスクを作ればいいんだ。
会社にあるパソコンでへっぽこVAIOくんと同じOSを積んでるものを探し出して、起動ディスクを作った。
…運がよければ、これでまた生き返るかもしれない。
わずかばかりの期待を胸に仕事に勤しみ、少しサービス残業を食らった後会社を飛び出して、どこにも寄らずにまっすぐに金岡邸に帰った。
私にしては珍しく期待を抱きながら起動ディスクにすべてを賭けてみたけれど。
へっぽこVAIOくんは甦ることはなかった。
いらない期待感なんて持ってしまったために脱力感もひとしおで、暫くしてそのまま腐るように眠ってしまった。
翌朝、でんでろりと起き上がり、昨日よりも更にやる気のない状態で出勤。
同僚さんがお休みのため、通常フローの1.5倍程度の仕事が増えてのしかかる。
それを黙々とこなすけれど、だんだん嫌気が差してくる。
仕事が終わる頃にはぐったりしていた。
本当は昨日、友達の誕生日のプレゼントを買いに行くつもりだったのだけれど、起動ディスクに全てを託したい気持ちが強すぎて、そのまま直帰してしまったんだ。
大好きなお友達の誕生日は明日。
これから配送かけて明日中になんて届く訳がないと判りきっていたから、正直どうしたものかなと思った。
疲れきってて判断力が鈍ってるのもあったし、改めて感覚を起こすのもちょっとおっくうだった。
電車に乗って移動して、大きなショップを何軒もまわる。
贈りたいアイテムは決まっていたけれど、具体的にどれにしたらいいのか判らず、ただ闇雲にフロアーをぐるぐる回る。
…あ。
何気なく思いを巡らせていて気が付いた。
へっぽこVAIOくんが壊れて、なくなったものがある。
既に関係性は破綻してるのだろうけれど、良かった頃の思い出がそこにはまだ残っていた。
1st VAIOくんが壊れた時もバックアップを取り損ねてて、思い出のかけらはきれいに消えてしまったけれど。
辛うじてへっぽこVAIOくんが引き継いでいたものがあったから、時々目にするといろいろ考えることはあったのだけれど。
物事には終わりってものがあって、それは本人が予期してないところからばっさりやってくる。
そこにどんな想いがあろうが、お構いなしに終わりはやってくる。
楽しい時はそれがいつまでも続くような気がして言わないままにしておいた言葉は、その行き場を無くしたまま死んでしまうことがある。
そうして死んでしまった想いの言葉のかけらを未だ抱きしめたまま。
暖かな想いを受け渡しした事実だけが永遠に消えてなくなってしまった。
想うからこそ言えない言葉を知っている。
けれど、どうしても言わなければならない言葉かあることもまた知っている。
「まだ大丈夫」という気持ちが心の中で暖められつづけたちいさな言葉を死なせてしまった。
「心の傍にいてくれて、ありがとう」
もう届くことのない言葉。
今大切な人たちにそれを話したら、「はぁん?」って思うのかもしれない。
けれど、来年も今と同じ状況でその時間を迎えられるかどうかなんて判らないんだ。
来年も同じ気持ちのままでその時間を迎えられるかどうかなんて誰にもわからないんだ。
私の中にある竜樹さんへの想いはずっとずっと生き続けたとしても、物理的に共にあることが許されなくなるかもしれないというのと同じように。
周りを取り囲むものが永遠に同じようにありつづけることなんて、ないのかもしれない。
…ならば。
伝えたいと願う言葉があるのなら、伝えられるうちに伝えてしまおう。
来年同じ想いを分かち合えなくても。
今の私が確かにそう思ったこと。
それを今、伝えたいと思うから。
始まりと終わりの連続の中で、少しでも言葉を殺さないですむのなら。
少しでも想いを生かしておけるなら。
そう思った私から迷いは消えていた。
私の想いはどれくらい伝わるのかは判らないけれど。
ただ、始まりと終わりの連続の中にいる自分が希う言葉を。
「ありがとう」という想いを、届けたいと願う自分を見つけた。
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