雨をしのぐための傘
2002年4月16日昨晩も何となく落ち着かないのは相変わらずだった。
リビングにコーヒーを取りに降ると、プードルさんがついてまわるので、寝させようと金岡母が寝てる部屋に入ると、母は起きていた。
「…なんか暑苦しくて、寝られへんのよヽ(`⌒´)ノ 」
そう言ってかぶってた布団をよけよけしてる金岡母のすぐ傍にどてんと転がるプードルさん。
どういう訳か、その状態で暫く金岡母と話すことになった。
どんな話をしたのか覚えていないくらい、きっと取り留めのない話を繰り返していたんだろうと思う。
結構な時間になったろうに、なかなかどちらも話すのをやめようとはしないまま。
…快方に向かっているとは言え、やっぱり落ち着かないんだろうね。
金岡母が寝入るまで延々と話しつづけ、ぬるくなったコーヒーを持って自室に戻った。
窓の外に雨の音を感じながら、何日か遅れの日記につけるノートを書きつづけていた。
突然、雨の音に混じって雷鳴が轟く。
…この雨は朝まで続くんだろうか?
数時間後の出勤が更に煩わしいものとなりそうな予感と、竜樹さんに訪れる朝が彼の身体に痛みを走らせるものであるという確信と。
その二つがまた胸を締め上げるような感じがしたけれど。
…雨が早くあがりますように
そっと祈って、短い眠りについたけれど。
鈍色の雨は朝になってもやむことはなかった。
またうんざりしたような気持ちを抱えて、家を出る。
時間はおしているのに坂道を駆け下りる気にもならず、たらたら歩いて駅に着いてお弁当鞄の中の定期入れを見ると、所々破れてる。
…そう言えば(-"-;)
朝、金岡母がプードルさんがお弁当鞄を噛みちゃちゃくってると言って怒ってたっけ。
ヴィトンの定期入れは数年前、友達から誕生日プレゼントのひとつとして貰ったもの。
犬がやったことを怒りまわすわけにもいかず、さりとて今の私が買いなおすにはかなり痛かったりする金額だし…
やり場のない憂鬱さだけが心に重くのしかかる。
そんなこんなで、いつも駅に着いてから始める朝メールも打つ気になれず。
ただぼんやりと電車のいすに腰掛けながら、流れる鈍色の景色を眺める。
途中メールが飛んできたので、その返事だけは返したけれど。
憂鬱な気分を乗せてはいないかと気にはなったけれど、それをフォローするような言葉が心から生まれてこなかったので、敢えて言葉を生み出す作業を放棄してしまった。
会社の仕事は、相変わらず。
噛み付くように鳴り響く電話も、何もかもいつも通り。
ただ時折暇になるので、小さな窓に映る鈍色の景色を眺めたり、自分の想いを形にしたりしながら過ごす。
ようやっと一日の仕事が終わり、社屋を出ると朝は降りのきつかった雨は小降りになっていた。
たらたらと自転車をこぎ、どこへも寄り道せずに家に帰った。
リビングに入ると、金岡母が金岡父の様子を報告し始める。
今日は昨日よりは元気になったということ。
どういう訳か、金岡母が帰ろうとすると、病室の冷蔵庫にある甘いものを勧めるので、「家に帰らないとなぁ」と思いながらも食べて帰ってきたのだということ。
「『家に帰ったら同じものがあるからいいよ』って言ってるのに、わざわざスプーンを洗いに行って『食べ?』って言うから、食べてきたのよ〜」
…それって、寂しいから傍にいて欲しいって思ってるんだよ?金岡母?
どこまでも無頓着な金岡母とまわりくどいやり方で傍にいてもらおうとする金岡父のかみ合わなさに、ちょっと首を傾げながら。
…気の毒よのぉ、金岡父 ( ^^)/(・・、)
そう思いながら、夕飯を食べる。
自室に戻って作業をしようと思ったけれど、何となくまだどこか落ち着かなくてぐずぐずしていたけれど。
…あ、今日は「プロジェクトX」の日だった。
金岡母がドラマを見ていない時は必ず見ているので、またリビングに舞い戻りテレビを見始める。
…あ、この曲を使うのは反則だろ?NHK(←根拠レス)
かかってたのは「シンドラーのリスト」。
フェアレディZの生まれる過程の物語と「シンドラーのリスト」のイメージとが全然結びつかないのだけど、なんだか泣けてくる。
「シンドラーのリスト」自体が、私にとって特別泣けた映画であったわけじゃないのに。
フェアレディZの生まれる過程が特別泣ける話でもないのに。
涙が落ちそうなのを堪えながら見ていた。
何かを成そうと願う人が織り成す話にどうも弱い。
と言いながら、実はその話の全てを記憶してるというのではなく、印象に残った場面を断片的に覚えてるような感じなのだけれど。
どうやら私は、心が請うものを追いかける人の姿が好きらしい。
それを自分の中の何かに投影するとか、被せてみるとかいうのではなく。
ただ請うものを追いかけるものを、そのために努力するものを裏切らない結果に焦がれるのだろうなと思う。
「願って努力したものは、必ず運命に裏切られない」
それが100の真実だとは思わない。
叶えられなかったものがあったとして、それが叶えられなかったのはそいつの情熱や努力が足りなかったからだなんて思わないし、思えない。
それぞれに希うもの目指して日々を生きてるんだって思うから。
それを手前勝手な価値観であぁだこうだと断ずるのはあまりに無知で傲慢な気がして、私は意図的にそういう判断は手控えるけれど。
…ただ。
心が希ったものをさまざまなことを乗り越えて叶えられた時。
希うものを追いかけて懸命に生きたものは負けはしないのだと信じられる気がするから。
だから、諦めずに頑張ろうと思えるんだ。
「自分で自分を殺さなければ、運命はそうたやすく生きてる人間を飲み込んだりは出来ないんだよ」
これは「天保十二年のシェイクスピア」の中で、熊谷真実扮する清滝の老婆の台詞。
上川隆也扮する三世次が「負けると判っていても、やってみたい戦があるんだ!」と言った時、「だったら、おやりよ?」と老婆が吐き出した台詞。
最初にこの台詞を聞いた時から、ずっとこれが心の中で引っかかっていたのだけど。
…本当に、運命は生きている人間を簡単に押しつぶしたり出来ないんだろうか?
ずっと知りたかったのかもしれない。
本当に信念を持つものは運命に押し潰されたりはしないのだろうかということを。
そして、ずっと信じたかったのかもしれない。
信念を持つもの辿り着く結果がどんなものであったとしても、それは決して絶望を与えるものでないと。
…決してそれは「負け」なんかではないのだと。
人生に勝ち負けなんて存在するたぁ思わないんですが。
それでも、自分が自分の心に問い掛けたときにそのすべてを鈍色のものとして受け止めることなく、ただ静かに受け入れられるほどのものにできるというのなら。
…どんな未来が待ちうけようとも、やってやるさぁねぇ。
鈍色の雨はまだ降り注いでいる。
明日の朝になればやむのかやまないのか、わからない。
でも雨もいつかはあがる。
信念を見失って、へたれてる場合じゃないんだ。
大切な人を守りきれるかどうかは判らないけど、守りきるしかないと判断したならやるしかないんだ。
鈍色の雨をどう扱うかを決めるのは自分だけ。
雨をしのぐための傘は、きっと自分の信念なんだろう。
雨が降り止む時がくるまで、私は私の信念を持ち続けていよう。
その信念がもしかしたら、自分の身軽さを奪うことになったとしても、
それでしか今の私には大切な人を守る術はないんだろうと思うから…
リビングにコーヒーを取りに降ると、プードルさんがついてまわるので、寝させようと金岡母が寝てる部屋に入ると、母は起きていた。
「…なんか暑苦しくて、寝られへんのよヽ(`⌒´)ノ 」
そう言ってかぶってた布団をよけよけしてる金岡母のすぐ傍にどてんと転がるプードルさん。
どういう訳か、その状態で暫く金岡母と話すことになった。
どんな話をしたのか覚えていないくらい、きっと取り留めのない話を繰り返していたんだろうと思う。
結構な時間になったろうに、なかなかどちらも話すのをやめようとはしないまま。
…快方に向かっているとは言え、やっぱり落ち着かないんだろうね。
金岡母が寝入るまで延々と話しつづけ、ぬるくなったコーヒーを持って自室に戻った。
窓の外に雨の音を感じながら、何日か遅れの日記につけるノートを書きつづけていた。
突然、雨の音に混じって雷鳴が轟く。
…この雨は朝まで続くんだろうか?
数時間後の出勤が更に煩わしいものとなりそうな予感と、竜樹さんに訪れる朝が彼の身体に痛みを走らせるものであるという確信と。
その二つがまた胸を締め上げるような感じがしたけれど。
…雨が早くあがりますように
そっと祈って、短い眠りについたけれど。
鈍色の雨は朝になってもやむことはなかった。
またうんざりしたような気持ちを抱えて、家を出る。
時間はおしているのに坂道を駆け下りる気にもならず、たらたら歩いて駅に着いてお弁当鞄の中の定期入れを見ると、所々破れてる。
…そう言えば(-"-;)
朝、金岡母がプードルさんがお弁当鞄を噛みちゃちゃくってると言って怒ってたっけ。
ヴィトンの定期入れは数年前、友達から誕生日プレゼントのひとつとして貰ったもの。
犬がやったことを怒りまわすわけにもいかず、さりとて今の私が買いなおすにはかなり痛かったりする金額だし…
やり場のない憂鬱さだけが心に重くのしかかる。
そんなこんなで、いつも駅に着いてから始める朝メールも打つ気になれず。
ただぼんやりと電車のいすに腰掛けながら、流れる鈍色の景色を眺める。
途中メールが飛んできたので、その返事だけは返したけれど。
憂鬱な気分を乗せてはいないかと気にはなったけれど、それをフォローするような言葉が心から生まれてこなかったので、敢えて言葉を生み出す作業を放棄してしまった。
会社の仕事は、相変わらず。
噛み付くように鳴り響く電話も、何もかもいつも通り。
ただ時折暇になるので、小さな窓に映る鈍色の景色を眺めたり、自分の想いを形にしたりしながら過ごす。
ようやっと一日の仕事が終わり、社屋を出ると朝は降りのきつかった雨は小降りになっていた。
たらたらと自転車をこぎ、どこへも寄り道せずに家に帰った。
リビングに入ると、金岡母が金岡父の様子を報告し始める。
今日は昨日よりは元気になったということ。
どういう訳か、金岡母が帰ろうとすると、病室の冷蔵庫にある甘いものを勧めるので、「家に帰らないとなぁ」と思いながらも食べて帰ってきたのだということ。
「『家に帰ったら同じものがあるからいいよ』って言ってるのに、わざわざスプーンを洗いに行って『食べ?』って言うから、食べてきたのよ〜」
…それって、寂しいから傍にいて欲しいって思ってるんだよ?金岡母?
どこまでも無頓着な金岡母とまわりくどいやり方で傍にいてもらおうとする金岡父のかみ合わなさに、ちょっと首を傾げながら。
…気の毒よのぉ、金岡父 ( ^^)/(・・、)
そう思いながら、夕飯を食べる。
自室に戻って作業をしようと思ったけれど、何となくまだどこか落ち着かなくてぐずぐずしていたけれど。
…あ、今日は「プロジェクトX」の日だった。
金岡母がドラマを見ていない時は必ず見ているので、またリビングに舞い戻りテレビを見始める。
…あ、この曲を使うのは反則だろ?NHK(←根拠レス)
かかってたのは「シンドラーのリスト」。
フェアレディZの生まれる過程の物語と「シンドラーのリスト」のイメージとが全然結びつかないのだけど、なんだか泣けてくる。
「シンドラーのリスト」自体が、私にとって特別泣けた映画であったわけじゃないのに。
フェアレディZの生まれる過程が特別泣ける話でもないのに。
涙が落ちそうなのを堪えながら見ていた。
何かを成そうと願う人が織り成す話にどうも弱い。
と言いながら、実はその話の全てを記憶してるというのではなく、印象に残った場面を断片的に覚えてるような感じなのだけれど。
どうやら私は、心が請うものを追いかける人の姿が好きらしい。
それを自分の中の何かに投影するとか、被せてみるとかいうのではなく。
ただ請うものを追いかけるものを、そのために努力するものを裏切らない結果に焦がれるのだろうなと思う。
「願って努力したものは、必ず運命に裏切られない」
それが100の真実だとは思わない。
叶えられなかったものがあったとして、それが叶えられなかったのはそいつの情熱や努力が足りなかったからだなんて思わないし、思えない。
それぞれに希うもの目指して日々を生きてるんだって思うから。
それを手前勝手な価値観であぁだこうだと断ずるのはあまりに無知で傲慢な気がして、私は意図的にそういう判断は手控えるけれど。
…ただ。
心が希ったものをさまざまなことを乗り越えて叶えられた時。
希うものを追いかけて懸命に生きたものは負けはしないのだと信じられる気がするから。
だから、諦めずに頑張ろうと思えるんだ。
「自分で自分を殺さなければ、運命はそうたやすく生きてる人間を飲み込んだりは出来ないんだよ」
これは「天保十二年のシェイクスピア」の中で、熊谷真実扮する清滝の老婆の台詞。
上川隆也扮する三世次が「負けると判っていても、やってみたい戦があるんだ!」と言った時、「だったら、おやりよ?」と老婆が吐き出した台詞。
最初にこの台詞を聞いた時から、ずっとこれが心の中で引っかかっていたのだけど。
…本当に、運命は生きている人間を簡単に押しつぶしたり出来ないんだろうか?
ずっと知りたかったのかもしれない。
本当に信念を持つものは運命に押し潰されたりはしないのだろうかということを。
そして、ずっと信じたかったのかもしれない。
信念を持つもの辿り着く結果がどんなものであったとしても、それは決して絶望を与えるものでないと。
…決してそれは「負け」なんかではないのだと。
人生に勝ち負けなんて存在するたぁ思わないんですが。
それでも、自分が自分の心に問い掛けたときにそのすべてを鈍色のものとして受け止めることなく、ただ静かに受け入れられるほどのものにできるというのなら。
…どんな未来が待ちうけようとも、やってやるさぁねぇ。
鈍色の雨はまだ降り注いでいる。
明日の朝になればやむのかやまないのか、わからない。
でも雨もいつかはあがる。
信念を見失って、へたれてる場合じゃないんだ。
大切な人を守りきれるかどうかは判らないけど、守りきるしかないと判断したならやるしかないんだ。
鈍色の雨をどう扱うかを決めるのは自分だけ。
雨をしのぐための傘は、きっと自分の信念なんだろう。
雨が降り止む時がくるまで、私は私の信念を持ち続けていよう。
その信念がもしかしたら、自分の身軽さを奪うことになったとしても、
それでしか今の私には大切な人を守る術はないんだろうと思うから…
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