心の目で見た風景

2002年1月25日
昨日はいつもと比べればよく寝たはずなのに、朝起きたら頭が痛かった。
会社を休んでしまいたいけれど、今日1日乗り切れば済むことなんだからと自分に言い聞かせ、家を出る。


今日は運良く定時に出られたら、久しぶりに映画を観に行こうと思っていた。
去年の夏に金岡母が「千と千尋の神隠し」の招待券を当てていて、「竜樹氏と二人で行って来たら?」とチケットをくれていたのに、竜樹さんの体調がなかなかよくならずにのびのびになっていた。
何回か上映する劇場が変わったけれど、今日で本当におしまいになるみたい。

昨日の電話でその旨を伝えた時、「明日は行けそうにない」と言われてしまったけど、せっかく母から貰っておいて「行けませんでした」と言うのもどうかと思ったから、久しぶりに一人で映画を観に行くことにした。
昨日と同じ程度の仕事量なら、最終上映時間には間に合う。

…「どうか仕事が立て込みませんように」と願いながら、仕事を始める。

喜んでいいのだか悪いのだか判らないけれど、午前中も午後からも仕事はあまり多くはなく、願い通り(?)定時に会社を飛び出し、映画館を目指す。
最近は会社が終わった後、派手に寄り道することなんてなかったから、嬉しくなってCDショップに寄ったり、画材屋に寄ったりして。
最後にSUBWAYに寄って軽い夕食を調達し、劇場に入る。

「そんなに人もいないだろう」とタカを括っていると、通路には会場待ちの人がいっぱいいた。

…この映画って、だいぶ長いこと上映してたんじゃなかったっけ?(゜o゜)

自分のことはすっかり棚に上げて、人の多さに唖然としてしまった。
それでも劇場内に入ると、きちんと座れるだけの余裕はあったので、SUBWAYで買ったテリヤキチキンを食べながら始まるのを待つ。


…一人で映画を観に来るなんて何年ぶりだろう?

竜樹さんも映画が好きだから、手術をするまでは映画を観る時は殆どいつも隣に竜樹さんがいた。
何本観たか判らないくらい一緒に観に行った気がする。
けれど、手術後は長時間同じ姿勢のままでいることが難しくなってしまったために、殆ど観れなくなってしまった。
だから映画を観るというと、せいぜいがDVDかビデオを借りてきて観る程度になったけれど、家で一緒に観てると竜樹さんが横からちゃちゃを入れてきて、最後には映画どころの話でなくなる。
だから、最近ではとんとご無沙汰してた。

竜樹さんと出逢う前は友達と、そして一人でも映画を観に行った。
そのせいか、簡単なご飯と飲み物を持って一人で好き勝手に観ること自体に抵抗はなかった。

…それに。

知ってる人がいると泣けない私は、一人で観に行く方が都合がよかった。

そんな風に昔のことを振り返ってるうちに、映画は始まってしまった。


…あれ?

冷静に考えれば、どう考えてもここで涙が出るのは不自然なのに。
気が付くと、目から涙が落ちていた。

映画の中の水も空も花も、そして人物も。
どれを取っても、ちゃんと「生きてる」感じがした。
ただ「生きている」ということに涙が落ちたのかもしれない。


根拠レスな涙は勿論、涙を落とす理由が歴然とした形でそこにあっても。
涙を落とすこと自体に抵抗もあったし、抑制を掛けていた部分がある。
それは竜樹さんに出会ってからという訳ではなく、それまで置かれていた環境にも起因していて。
「涙を流すことは、罪のないこと」と、大切に思う人から何度となく教えてもらっても、習慣として植え付けてしまったものはなかなか抜けることはないけれど…

根拠レスな涙が流れても、それはそれでいいような気がした。

私の心を揺り動かすカギはそこいら中に落ちていたのかもしれない。
相変わらず不自然な場所で一人涙を落としていた。


「一度出逢ったものはよくよく思い出せば、必ず逢ったことを思い出せる」

確か、こんな感じの台詞があったような気がする。
それは拡大解釈すれば、「忘れてしまったものは必ず思い出せる」ということにも繋がるような気がしたんだ。
今年に入ってからいろいろなことがある度に、いちいち蹴躓いてずぶずぶと沈んでいくしか能がないみたいな状態が続いていて。
昔なら簡単に越えることが出来たのに、出来なくなってる自分が情けなくて仕方なかったけれど。
迷いなく乗り越えられた要素が何だったのかも、いつか思い出せるのかもしれない。
突拍子もない考え方のような気がしたけれど、それだけで少し心は上向きになったような気がする。

そして最後まで見終わったときに、心の底に澱のように残ったものは。

愛は傍にあるもの、見えないもの、不安になるもの。
そして、何かを起こす力になるもの。

自分なりの「愛」の解釈だった。
それが作者の意図と違ってたとしても、何かを忘れて右往左往してた私にはそんなことを受け取れただけで十分だったのかもしれない。


いつもならタイトルロールがあがり始めると、慌しく席を立つお客さんが多くて心の澱を見つめることすら許されないような雰囲気になるのだけれど。
珍しく、今日のお客さんは誰も席を立とうとはしなかった。
そんなこともまた妙に嬉しかったりする。
その時、鞄の中で何かが揺れた感じがした。


映画館を出て、鞄の中を覗くと、竜樹さんからメールがひとつ。


「千と千尋は、いかがでしたか?」


映画に入り込みながら、時々我に変える瞬間があって。
「いつもならこんな風な場面が出ると、竜樹さんはこうしてくれたよな?」とか「何気に涙を落としてると、そっと手を握り締めてくれたよな」とか思っては少しだけ寂しさを覚えたりしたけれど。
ごくごく近くに竜樹さんはいてくれたのだと思うと、それがとても嬉しかった。


「根拠レスなんだけど、理屈抜きに心が振れた映画でした。
 スタッフロールが上がっても、誰も席を立とうとしない光景にも初めて出会いました。
 一人で観てたから好き勝手に泣けたけど、隣に竜樹さんがいててくれはったらよかったなと思いました。」


最後の一文に思いを託して、寒い冬の空にメールを一つ飛ばした。
電車に乗り込みぼけっとしてると、携帯にメールがひとつ。


「私の泣き顔は、和太鼓の時だけで十分。心、洗われたんじゃない?」


一昨年の年末にライブと忘年会のはしごをした時の竜樹さんを思い出し、無性に竜樹さんと話がしたくなった。
急いで家に帰って、竜樹さんに電話した。


心の底に残った澱の話をして、「一緒に観たかった」ことを告げると、
「DVDが出たら、一緒に観ような?」って言ってくれた。
「一緒に観よう」って言葉がとても嬉しかった。


二人でこの映画を観た時、互いの心にはどんなものが映るのだろう。
同じ風景でなかったとしても、二人の心が見た景色を分け合うことを忘れずにいさえしたら。
それもまた「二人で生きた」ことの証しになるのかな?


久しぶりに観た映画はそんなことをそっと教えてくれた気がした。


コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索