言い訳でしかないとしても…
2001年7月29日昨日、竜樹さんに送って貰って、自宅に辿り着いたのは25時をまわっていた。
竜樹さんと出かけてて午前様になったのはこれが4度目。
6年間の間にたった(多い?)4回。
先週の午前様のとき以外はすべて連絡を入れていたのだけれど。
昨日はさすがに連絡を入れる気になれなかった。
今まで遅くなるとしたら、大概遠方に出かけてて道が込んでて自宅に辿り着けないか、竜樹さんの背中がやたら痛んで運転できる度頃の話でなくなってるかのどちらかで。
嘘をつくのがヘタな(←本当か?)バカ正直な私は、さしたる理由がないのに墓穴を掘るような連絡を入れて更に揉め事を押し広げたくなかったから、敢えて連絡をしなかったのだけれど。
…完全にそれが裏目に出た
帰ってくるなり、両親ともどもすごい激怒モード(>_<)
母は激しく怒り散らしてるし、父は静かに怒ってる。
…これは、「竜樹さんの背中が痛んだので〜」って理由だけで通るはずもないなぁ
そう思ったから、竜樹さんが実家から引っ越して一人暮らしを始めたことを話してしまった。
けれど、怒りのテンションはあがる一方で。
収拾をつけるために話したはずの真実が火に油を注いでしまう形になってしまった。
ただ単に私が帰ってくる時間が遅かったのが悪かっただけのことなのに、彼らの怒りの矛先は竜樹さんに集中することとなる。
…あと、10分その罵りが続いていたなら、私は完全にキレてしまってただろう
じっと言い返すことなく、黙ってひたすら謝り続けたのがよかったのか悪かったのか、私の中の起爆スイッチに手をかけることはなかったけれど。
内心、はらわた煮えくり返りそうになっていた。
…2年前のこの頃だった。
その年の10月に妹の入籍が決まったと、事後承諾で話されてぶっちぎれたことがある。
妹の彼は当時、某国立大生で一人暮らしをしてたのだけど、ちょっとばかり金岡家より遠かったために半同棲みたいな状態になってて、妹が家に帰ってきたとしても午前様は日常茶飯事。
苦肉の策で、彼の家に泊まりに行くくらいなら泊まりに来て貰えってことになって、2年近く殆ど毎週末、彼と妹がこの家に泊まるということを繰り返す生活が続いた。
…これが私と竜樹さんだったら、絶対に認めてもらえなかったことくらい判ってる。
うちの両親の竜樹さんに対する態度と妹の旦那になる彼に対する態度が全然違ってたことは彼らを間近に見ててよく知ってたから。
竜樹さんがそれをよく思っていないことも、言葉の端々から痛いほど判っていたから。
…正直言って、その当時私は週末家に居るのが嫌だった。
この事件よりもっと前に自尊心をぶち壊されるような思いをさせられた出来事もあって、両親の言葉に何かが弾けた。
常日頃、人や動物に暴力をふるうのは最低野郎がすることだと思ってる私は、暴れるなら自分の身体を痛めつける方向に留めておこうと思っていたから。
お酒を飲みながら両親の話を聞き、ぶっちぎれて部屋の壁に膝蹴り食らわして、壁に穴を開け、右膝に紫色通り越して緑色の大きなあざを作った。
そんなこともあった。
妹たちが入籍し、姪御が生まれてからはだいぶ自分の言動を自制するようにしてたけれど。
何か起こるとその時の想いがふっと蘇ることがあって。
…私のやることは認めないけれど、妹のやることは何でも認めるのね?
だったら、何か困ったことがあっても私じゃなくて妹に面倒見てもらって。
私はこの家を出たら、あんたたちのことなんて預かり知らないよ?
そんな風に思うようになっていた。
私の友達が随分昔に言っていた言葉だけど。
「血が繋がっているから許せることって確かにあるとは思うけれど、
血が繋がってるが故に絶対に許せないってことはあるよね?」
その当時、その言葉に薄ら寒さを覚えてコメントを返すことができなかったけれど。
「あの日」を境にそう思うようになった。
「血が繋がっているからこそ、言われたことされたこと、絶対に許せない」って。
暫くなりを潜めていた泥のような物思いがまた私の中でふつふつと蘇る。
済んだことをいつまでも忘れられずにいること。
問題を解決しようと本気で思うなら、もっと積極的に動けたんちゃうんっていう疑問。
それが嫌なら、何を置いても何を傷つけてもこんな家出ればよかったんじゃないか?って思い。
両親を利用するだけ利用してるような形態でこの家に住み続けてるという事実。
すべてをトータルして考えれば、こんなのはただの泣き言でしかないこた判ってる。
竜樹さんと二人で生きていくことに対して臆病な自分に対して言い訳してるだけでしかないこた、誰に言われなくても判ってる。
けれど。
また「あの時」のような感情を蒸し返しそうになってる自分がそこにいてる。
そして、そんな大人気ない自分に情けなさ覚えてるもう一人の自分もいてる。
行き場のない感情に引っ張られ続けた。
幸い昨日の晩、ネットの友達に呼んでもらえた上に、捕まえてもらえてお話してもらえたから助かったんだけどね(^^ゞ
今にも暴れ出しそうな「凶悪なる霄」に捕まらなくて済んだから…
…本当にこんな時、一人でなくてよかったって思った。
友達がいてくれてよかったって思う。
明くる朝、案の定、金岡両親は昨日のことなんてどこ吹く風。
けろっとして普通の態度に戻ってる。
それを「相変わらずやなぁ」と笑いながら、でも少々苦々しい気持ちで見つめる私がいる。
いつか、こんな感情に引導を渡せる日は来るのだろうか?
それとも。
いつか、この人たちに引導を渡す日が来るのだろうか?
…もっと強くなりたい。
いろんな出来事を飲み込んでなお、まだ歩く気力を持ち、荒れ狂いそうになる自分を押さえこめるだけの強さと、大切な人たちを傷つけないで済むだけの度量を身に付けたいと希う。
そこに辿り着くまでに、あとどれくらいいろんな感情を飲み込んでいけばいいのか?
そんな自分になるまでに、あとどれくらいいろんな出来事を乗り越えればいいのか?
ちっとも判らないけれど。
こんなままでいてていい筈がないこた、判ってるよ。
言い訳じみた御託並べる前にしないといけないことをもう一度冷静に見渡してみよう。
…昨日の晩から引き継いでいる、この泥のような物思いを竜樹さんに気付かせることなく歩けますように。
私の家のことで、竜樹さんの気持ちに漣が立ちませんように。
竜樹さんと出かけてて午前様になったのはこれが4度目。
6年間の間にたった(多い?)4回。
先週の午前様のとき以外はすべて連絡を入れていたのだけれど。
昨日はさすがに連絡を入れる気になれなかった。
今まで遅くなるとしたら、大概遠方に出かけてて道が込んでて自宅に辿り着けないか、竜樹さんの背中がやたら痛んで運転できる度頃の話でなくなってるかのどちらかで。
嘘をつくのがヘタな(←本当か?)バカ正直な私は、さしたる理由がないのに墓穴を掘るような連絡を入れて更に揉め事を押し広げたくなかったから、敢えて連絡をしなかったのだけれど。
…完全にそれが裏目に出た
帰ってくるなり、両親ともどもすごい激怒モード(>_<)
母は激しく怒り散らしてるし、父は静かに怒ってる。
…これは、「竜樹さんの背中が痛んだので〜」って理由だけで通るはずもないなぁ
そう思ったから、竜樹さんが実家から引っ越して一人暮らしを始めたことを話してしまった。
けれど、怒りのテンションはあがる一方で。
収拾をつけるために話したはずの真実が火に油を注いでしまう形になってしまった。
ただ単に私が帰ってくる時間が遅かったのが悪かっただけのことなのに、彼らの怒りの矛先は竜樹さんに集中することとなる。
…あと、10分その罵りが続いていたなら、私は完全にキレてしまってただろう
じっと言い返すことなく、黙ってひたすら謝り続けたのがよかったのか悪かったのか、私の中の起爆スイッチに手をかけることはなかったけれど。
内心、はらわた煮えくり返りそうになっていた。
…2年前のこの頃だった。
その年の10月に妹の入籍が決まったと、事後承諾で話されてぶっちぎれたことがある。
妹の彼は当時、某国立大生で一人暮らしをしてたのだけど、ちょっとばかり金岡家より遠かったために半同棲みたいな状態になってて、妹が家に帰ってきたとしても午前様は日常茶飯事。
苦肉の策で、彼の家に泊まりに行くくらいなら泊まりに来て貰えってことになって、2年近く殆ど毎週末、彼と妹がこの家に泊まるということを繰り返す生活が続いた。
…これが私と竜樹さんだったら、絶対に認めてもらえなかったことくらい判ってる。
うちの両親の竜樹さんに対する態度と妹の旦那になる彼に対する態度が全然違ってたことは彼らを間近に見ててよく知ってたから。
竜樹さんがそれをよく思っていないことも、言葉の端々から痛いほど判っていたから。
…正直言って、その当時私は週末家に居るのが嫌だった。
この事件よりもっと前に自尊心をぶち壊されるような思いをさせられた出来事もあって、両親の言葉に何かが弾けた。
常日頃、人や動物に暴力をふるうのは最低野郎がすることだと思ってる私は、暴れるなら自分の身体を痛めつける方向に留めておこうと思っていたから。
お酒を飲みながら両親の話を聞き、ぶっちぎれて部屋の壁に膝蹴り食らわして、壁に穴を開け、右膝に紫色通り越して緑色の大きなあざを作った。
そんなこともあった。
妹たちが入籍し、姪御が生まれてからはだいぶ自分の言動を自制するようにしてたけれど。
何か起こるとその時の想いがふっと蘇ることがあって。
…私のやることは認めないけれど、妹のやることは何でも認めるのね?
だったら、何か困ったことがあっても私じゃなくて妹に面倒見てもらって。
私はこの家を出たら、あんたたちのことなんて預かり知らないよ?
そんな風に思うようになっていた。
私の友達が随分昔に言っていた言葉だけど。
「血が繋がっているから許せることって確かにあるとは思うけれど、
血が繋がってるが故に絶対に許せないってことはあるよね?」
その当時、その言葉に薄ら寒さを覚えてコメントを返すことができなかったけれど。
「あの日」を境にそう思うようになった。
「血が繋がっているからこそ、言われたことされたこと、絶対に許せない」って。
暫くなりを潜めていた泥のような物思いがまた私の中でふつふつと蘇る。
済んだことをいつまでも忘れられずにいること。
問題を解決しようと本気で思うなら、もっと積極的に動けたんちゃうんっていう疑問。
それが嫌なら、何を置いても何を傷つけてもこんな家出ればよかったんじゃないか?って思い。
両親を利用するだけ利用してるような形態でこの家に住み続けてるという事実。
すべてをトータルして考えれば、こんなのはただの泣き言でしかないこた判ってる。
竜樹さんと二人で生きていくことに対して臆病な自分に対して言い訳してるだけでしかないこた、誰に言われなくても判ってる。
けれど。
また「あの時」のような感情を蒸し返しそうになってる自分がそこにいてる。
そして、そんな大人気ない自分に情けなさ覚えてるもう一人の自分もいてる。
行き場のない感情に引っ張られ続けた。
幸い昨日の晩、ネットの友達に呼んでもらえた上に、捕まえてもらえてお話してもらえたから助かったんだけどね(^^ゞ
今にも暴れ出しそうな「凶悪なる霄」に捕まらなくて済んだから…
…本当にこんな時、一人でなくてよかったって思った。
友達がいてくれてよかったって思う。
明くる朝、案の定、金岡両親は昨日のことなんてどこ吹く風。
けろっとして普通の態度に戻ってる。
それを「相変わらずやなぁ」と笑いながら、でも少々苦々しい気持ちで見つめる私がいる。
いつか、こんな感情に引導を渡せる日は来るのだろうか?
それとも。
いつか、この人たちに引導を渡す日が来るのだろうか?
…もっと強くなりたい。
いろんな出来事を飲み込んでなお、まだ歩く気力を持ち、荒れ狂いそうになる自分を押さえこめるだけの強さと、大切な人たちを傷つけないで済むだけの度量を身に付けたいと希う。
そこに辿り着くまでに、あとどれくらいいろんな感情を飲み込んでいけばいいのか?
そんな自分になるまでに、あとどれくらいいろんな出来事を乗り越えればいいのか?
ちっとも判らないけれど。
こんなままでいてていい筈がないこた、判ってるよ。
言い訳じみた御託並べる前にしないといけないことをもう一度冷静に見渡してみよう。
…昨日の晩から引き継いでいる、この泥のような物思いを竜樹さんに気付かせることなく歩けますように。
私の家のことで、竜樹さんの気持ちに漣が立ちませんように。
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