暖かな気持ちをありがとう
2001年6月26日今日は再検査の日。
再検査と言っても、もう一度あの恐ろしい胃カメラを飲むのではなく、超音波で内臓の大きさや状態を調べる「エコー検査」と呼ばれるもの。
会社に行く日よりもゆっくり目のスタートなので、身体は少し楽だ。
こないだの検査結果を貰いに行った時みたいに、果てしなく待たされることが予想できたので、会社には有給届を出しておいた。
もしも検査が早く終わって仕事が立て込んでいそうな様子ならば、その足で会社に行くつもりだということは昨日ボスに話しておいた。
今朝飛び込んできそうな仕事の準備は昨日片付けておいたから大丈夫だろうと思うけれど。
蒸し暑さによろけながら、病院に入った。
検査は胃カメラのとき以上に待ち時間を要した。
中待合室では検査を受けるお母さんの隣で子供さんが暴れている(笑)
胃カメラのときほど大層な検査ではないと竜樹さんにも金岡父にも言われていたから検査自体に不安はないけれど、いつもなら気に障らないことが気に障るのはやはり調子が悪いからなのか、検査前であがっているのか(笑)
自分の心の揺れ方が違うことで、まだ復調できていないことを再確認する。
子供さんがちょろちょろしてる中、診察を待っていると竜樹さんの通院に付き添った頃のことを思い出す。
竜樹さんの通っていた病院には患者さんの殆どが子供さんだったから、こんな光景は見慣れたものだった。
あの時は竜樹さんの心配をしながらじっと待合室のイスに座っていたけれど。
その1年後、今度は自分の身体の心配をしながら座ることになるとは思いもしなかった。
いろいろなことに思いを馳せてるうちに、検査の順番がやって来た。
薄暗い部屋の中で、女性の検査技師さんが黙々と作業をする。
私はといえば、「深呼吸をして…はい、息を吐いてください」の作業を延々と繰り返す。
検査の機械がおなかの上やら横やらをうろうろするのが何となく気持ち悪い感じもしたけれど。
検査は淡々と進み、とっとと終わってしまった。
こないだの胃カメラのときのように身体の状態について何かコメント挟んでくれたら、
「あ、そっかぁ。大丈夫なのね」とか「あ、やばいのかぁ」とかおおよその見当がつきそうなものなのに、今日の技師さんは何も言ってくれなかったので、すごぉく気になったんだけど。
遅かれ早かれ結果は明らかになるのだから、そう大袈裟に考えなくてもいいかと思って検査室を後にする。
会計を済ませ、会社に電話を入れる。
仕事の状況をボスに聞くと、フォローをしてる同僚に代わってくれた。
「何か問題があったら今から行くし…」
という私に、
「有給取ってるんだから、ちゃんと休み。他の社員さんの手を借りながらでも片付くし、どうしようもないのは置いておくから、来なくていいよ」
と返してくれたので、その言葉に甘えて家に帰ることにした。
外はよく晴れている上に、やたら蒸し暑かった。
倒れそうな感覚を覚えながら、バスに乗り駅に向かう。
駅に着いて、本屋さんにより寝ながらでも読めそうな本を何冊か買って、家に帰る。
ひと心地ついてからは、時々パソコンを開けてはふらりと遊びに出て、しんどくなると昼寝をするという状態だった。
平日の昼間はいつも会社にいるから寝ることが出来ないのに、家にいるとよく眠れた。
今日は検査以外のことはしていないのにね(^^ゞ
…それほどまでに、身体は疲れていたのかな?
そう思ったんだ。
時折、溜まっている日記を書こうとパソコンを開いては、自宙に行く。
そこに暖かな気持ちや言葉が溢れていて、びっくりするのと同時にそれをとてもありがたく思ったんだ。
「本当に本当に、早く元気になりたいや」
そう思ったんだ。
普段の日に比べたら何をしたのかよく判らない、というよりも殆ど何もしない一日だったけれど、それが身体にはよかったみたいで吐き気も背中痛も殆ど覚えずにいられた一日だった。
それがとても嬉しかったので、夕飯を食べたあと竜樹さんに電話をしたのだけれど。
竜樹さんは出てくれなかった(T_T)
…今日は蒸し暑かったから、学校へ行くので精一杯だったんだろうなぁ
竜樹さんもしんどい身体と相談しながら、頑張ってる。
そんな姿を思うと、何もしないで休んでる自分がなんだかへこたれな気がしてならないけれど。
今回の件ではっきりしたこと。
…すべてのことは元気であるってことから始まるのだということ。
自分が何かをするにつけても、大切な誰かを支えていくにつけても。
誰に心配をかけたくないんだとつっぱらかってても、身体の不調が続けば結果的にはいろんな人に心配はかけるし迷惑もかける。
普通に過ごしていられる時にはさほどありがたみのないことは、なくした途端にその大切さを痛感するものなのだと。
この不調から教わった気がする。
それでも、「何で今、ガタがくるかなぁ?」と思わないわけではないけれど…
今まで何年も休むことなく走り続けてきたから、そろそろ一度立ち止まってみろよってことだったのかな?
立ち止まらなければ見えないこともあるのかもしれない。
そうして見えたものを携えてまた歩き出したらいいのかもしれない。
今回のことですら、これからの私に役立つものなのだとしたら、それはそれでありがたく受け止めるべきなのかな?
辛気臭いことが嫌いな私は、しんどかろうが何だろうが止まることなく歩いていたいと思うのだけど。
何もしないでいることの楽さ加減。
それが「怠け」ではなく「次に歩き出す力を蓄える時間」だと思えば、少しは機嫌よくもいられるのだろうか?
立ち止まりなれてない私は未だにこの状況を上手く飲み込めずにいてるけれど…
いろんなことがまだまだ山積み状態なのだけど。
とりあえず、今回いろんな人から貰った暖かな気持ちに応えるのは元気になるということだと思うので。
めげずに投げずに無理せずに、元気になることを考えようと思う。
そうする先に、竜樹さんを支える力も宿るのだろうと思うから。
目指す場所はまだまだ遠いけれど、
夢路は遠いけれど。
目指す場所や姿に辿り着くために。
元気を取り戻すことだけに当分は専念しようと思う。
いろんな想いに捕まってしまうけれど、とりあえずは機嫌よく生きていく力を蓄えよう。
私の大切な人たちへ
暖かな気持ちをありがとう。
元気になれたからといって何をしてあげられるという訳じゃないけれど。
気持ちを受け止めたよってことの証しは、元気を取り戻すことだって思うので。
ゆっくりでも元気になることを考えます。
…ありがとう
再検査と言っても、もう一度あの恐ろしい胃カメラを飲むのではなく、超音波で内臓の大きさや状態を調べる「エコー検査」と呼ばれるもの。
会社に行く日よりもゆっくり目のスタートなので、身体は少し楽だ。
こないだの検査結果を貰いに行った時みたいに、果てしなく待たされることが予想できたので、会社には有給届を出しておいた。
もしも検査が早く終わって仕事が立て込んでいそうな様子ならば、その足で会社に行くつもりだということは昨日ボスに話しておいた。
今朝飛び込んできそうな仕事の準備は昨日片付けておいたから大丈夫だろうと思うけれど。
蒸し暑さによろけながら、病院に入った。
検査は胃カメラのとき以上に待ち時間を要した。
中待合室では検査を受けるお母さんの隣で子供さんが暴れている(笑)
胃カメラのときほど大層な検査ではないと竜樹さんにも金岡父にも言われていたから検査自体に不安はないけれど、いつもなら気に障らないことが気に障るのはやはり調子が悪いからなのか、検査前であがっているのか(笑)
自分の心の揺れ方が違うことで、まだ復調できていないことを再確認する。
子供さんがちょろちょろしてる中、診察を待っていると竜樹さんの通院に付き添った頃のことを思い出す。
竜樹さんの通っていた病院には患者さんの殆どが子供さんだったから、こんな光景は見慣れたものだった。
あの時は竜樹さんの心配をしながらじっと待合室のイスに座っていたけれど。
その1年後、今度は自分の身体の心配をしながら座ることになるとは思いもしなかった。
いろいろなことに思いを馳せてるうちに、検査の順番がやって来た。
薄暗い部屋の中で、女性の検査技師さんが黙々と作業をする。
私はといえば、「深呼吸をして…はい、息を吐いてください」の作業を延々と繰り返す。
検査の機械がおなかの上やら横やらをうろうろするのが何となく気持ち悪い感じもしたけれど。
検査は淡々と進み、とっとと終わってしまった。
こないだの胃カメラのときのように身体の状態について何かコメント挟んでくれたら、
「あ、そっかぁ。大丈夫なのね」とか「あ、やばいのかぁ」とかおおよその見当がつきそうなものなのに、今日の技師さんは何も言ってくれなかったので、すごぉく気になったんだけど。
遅かれ早かれ結果は明らかになるのだから、そう大袈裟に考えなくてもいいかと思って検査室を後にする。
会計を済ませ、会社に電話を入れる。
仕事の状況をボスに聞くと、フォローをしてる同僚に代わってくれた。
「何か問題があったら今から行くし…」
という私に、
「有給取ってるんだから、ちゃんと休み。他の社員さんの手を借りながらでも片付くし、どうしようもないのは置いておくから、来なくていいよ」
と返してくれたので、その言葉に甘えて家に帰ることにした。
外はよく晴れている上に、やたら蒸し暑かった。
倒れそうな感覚を覚えながら、バスに乗り駅に向かう。
駅に着いて、本屋さんにより寝ながらでも読めそうな本を何冊か買って、家に帰る。
ひと心地ついてからは、時々パソコンを開けてはふらりと遊びに出て、しんどくなると昼寝をするという状態だった。
平日の昼間はいつも会社にいるから寝ることが出来ないのに、家にいるとよく眠れた。
今日は検査以外のことはしていないのにね(^^ゞ
…それほどまでに、身体は疲れていたのかな?
そう思ったんだ。
時折、溜まっている日記を書こうとパソコンを開いては、自宙に行く。
そこに暖かな気持ちや言葉が溢れていて、びっくりするのと同時にそれをとてもありがたく思ったんだ。
「本当に本当に、早く元気になりたいや」
そう思ったんだ。
普段の日に比べたら何をしたのかよく判らない、というよりも殆ど何もしない一日だったけれど、それが身体にはよかったみたいで吐き気も背中痛も殆ど覚えずにいられた一日だった。
それがとても嬉しかったので、夕飯を食べたあと竜樹さんに電話をしたのだけれど。
竜樹さんは出てくれなかった(T_T)
…今日は蒸し暑かったから、学校へ行くので精一杯だったんだろうなぁ
竜樹さんもしんどい身体と相談しながら、頑張ってる。
そんな姿を思うと、何もしないで休んでる自分がなんだかへこたれな気がしてならないけれど。
今回の件ではっきりしたこと。
…すべてのことは元気であるってことから始まるのだということ。
自分が何かをするにつけても、大切な誰かを支えていくにつけても。
誰に心配をかけたくないんだとつっぱらかってても、身体の不調が続けば結果的にはいろんな人に心配はかけるし迷惑もかける。
普通に過ごしていられる時にはさほどありがたみのないことは、なくした途端にその大切さを痛感するものなのだと。
この不調から教わった気がする。
それでも、「何で今、ガタがくるかなぁ?」と思わないわけではないけれど…
今まで何年も休むことなく走り続けてきたから、そろそろ一度立ち止まってみろよってことだったのかな?
立ち止まらなければ見えないこともあるのかもしれない。
そうして見えたものを携えてまた歩き出したらいいのかもしれない。
今回のことですら、これからの私に役立つものなのだとしたら、それはそれでありがたく受け止めるべきなのかな?
辛気臭いことが嫌いな私は、しんどかろうが何だろうが止まることなく歩いていたいと思うのだけど。
何もしないでいることの楽さ加減。
それが「怠け」ではなく「次に歩き出す力を蓄える時間」だと思えば、少しは機嫌よくもいられるのだろうか?
立ち止まりなれてない私は未だにこの状況を上手く飲み込めずにいてるけれど…
いろんなことがまだまだ山積み状態なのだけど。
とりあえず、今回いろんな人から貰った暖かな気持ちに応えるのは元気になるということだと思うので。
めげずに投げずに無理せずに、元気になることを考えようと思う。
そうする先に、竜樹さんを支える力も宿るのだろうと思うから。
目指す場所はまだまだ遠いけれど、
夢路は遠いけれど。
目指す場所や姿に辿り着くために。
元気を取り戻すことだけに当分は専念しようと思う。
いろんな想いに捕まってしまうけれど、とりあえずは機嫌よく生きていく力を蓄えよう。
私の大切な人たちへ
暖かな気持ちをありがとう。
元気になれたからといって何をしてあげられるという訳じゃないけれど。
気持ちを受け止めたよってことの証しは、元気を取り戻すことだって思うので。
ゆっくりでも元気になることを考えます。
…ありがとう
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