笑顔の裏の強気と脆さ
2001年6月10日朝起きて意識がちゃんとしてきたら、鏡の前で自分の顔を見る。
ちゃんと眠れてすっきりした顔やよく眠れずにすっきりしない顔。
化粧水はたいたって治らない時もあるし、妙にキレイに作れちゃう時もある。
ちゃんとメイクして出るときもあれば、化粧水と日焼け止め、口紅一つで家を出るときもある。
でも、たった一つ忘れないこと。
…強気の笑顔ひとつ湛えられるかどうか?
それ一つを自分の心に確認して、部屋を飛び出す。
今日もまた無意識にその作業をして部屋を出てから、気がついた。
「あ、今日は竜樹さんとは会えなかったんだ」
今日みたいに竜樹さんと会えない日でも、一日外に出ない日であっても。
強気の笑顔を引き連れていられるか?
それを自分の心に確認する作業は忘れない。
落ち込んでたり体調悪かったりしたら、きちんとした笑顔を連れてはいけないけれど。
一体いつからこの作業やってきたんだろうか?
笑顔の裏側に少しの強気とたくさんの脆さを隠すための強気の笑顔。
すべてを心の中で準備してから物事を始めるようになったのは。
強気の笑顔だけを見てたら、「何てこいつは自信に溢れたヤツ」って思うんだろうね?
本当はたくさんの脆さをなけなしの強気で守ってるのに。
それは一人でいても誰かといても同じ事のような気がしてたんだ。
心のどこかで「頼れるのは自分だけ」って思ってるから。
そしてその内側にいつでもあるのは、
「本当の自分を見せたら、どうなるんだろう?」って不安が一つ。
「好意」のアンテナが欠落してるからなのか、それとも「あの人」が言うように
人と交わることに向かない人間だからなのか、今となってはよく判らないけれど。
アウトゴーイングな笑顔は適当に人を寄せるらしい。
ついでに誤解も寄せるらしい。
「風切って歩いてるような、金岡ってカッコいいよね」
「おう、サンキュね(^_-)」
…心の中で「何処が?」って思ってた。
心の中で、「誰かの特別になりたい」と願いながら、
みんなに「自分の事を忘れて欲しい」って願ってる自分がいる。
そんなambivalence抱えてるから、誤魔化すために強気の笑顔でコーティングかけるようになっちゃったんだわさ。
一匹狼で居たら、恐いものなんて無かったからね。
信じるのも失望するのも自分ひとりで済むからね。
そう言いながら何人もの大切な人々にとっ捕まり、笑顔の裏の強気も脆さも見つかっちゃって、
恥ずかしい気持ちと、「こんな自分に失望されるのはごめんだぜ」って気持ちと、
「入れ物だけに寄ってきたんちゃん?」って疑いと、
「本当はいろんなことを把握した上で傍にいて欲しい」と願うエゴが絡み合って、
随分いろんな人を試したり傷つけたり、自分を騙したり裏切ったりしてきたんだ。
それでも見逃さずに「ちゃんと私を見てよ、ちゃんとあなたを見せてよ」
そう頭押さえ込んで言ってくれた友達や、
「何でも誤魔化して歩けばいいってもんじゃねぇだろ?」ってその手を離してはくれなかった人に支えられてここまできたんだと思う。
それをたまらなくありがたくも思うし、「本当にこれでいいのか」って思う自分もいる。
けれど完全にオープンに出来ない気持ちのまま、笑顔を呼び起こすための心の問いかけは続いてる。
多分、まだ続けることになるんだと思う。
「ここ」に来て、竜樹さんへの想いをありのまま綴って。
いつだって迷いが無いわけではないんだ。
竜樹さんへの想いに迷いがあるのではなくて、
ここで友達になった人にここまで話してしまってもいいものかって気持ち。
相変わらず、笑顔の裏側にある脆さは健在してて、それを知られて失望食らうのが嫌で、いつでも逃げ出せるように準備してる自分が居る。
あれやこれやエンドマークを考えながら歩く癖はここでもまた健在で。
「達磨さんが転んだ」状態を繰り広げてる気がする。
今は竜樹さんとの諸々のやりとりが穏やかだから、その感情は突出してはいないけれど。
書き留めるのに涙が伴うくらい辛気臭くてどうしようもない気持ちの時は、
書けども書けども、自分の無力さと惨めったらしさだけを思い知るだけのような気がして。
人の日記を見ても、僻んでばっかりで。
泣けてなけて仕方がなくて、人目があれば泣かずに済むかと会社で日記の下書き書いて。
昔みたいに自分の胸一つで収めて「鞘のない刀」に戻れば、きっともっと強い私になれるのにとまた嘆くの繰り返しで。
本当に情けなくて嫌になるんだ。
人と向き合うことでこんな後ろ暗い想いを抱えるならもういいや、一人になろうって思ってしまうんだ。
でも、それでは昔と一緒だから。
そんなことしたって「本当の強さ」も自分の望むものも手に入らないから。
もがきながらここに留まってる。
そうしてるうちにやがては、心暖かな出来事に遭えるから。
心暖かな人たちに会えるから。
その想い一つでなんとか維持してるんだ。
竜樹さんへの自分の想いを形にすること。
安直に自分のやりやすい方向に逃げないようにすること。
誰かに自分の想いを知ってもらいたかったこと。
そんな中で強気の笑顔や言葉の裏に本当は酷く臆病な脆さを孕んでいる、
こんな自分でも「それでいいんだよ」って言ってくれる誰かに出会えたらいいなって思ってる。
今は出会えなくても、いつかは出会えるかもしれないとそう思えるから。
とりあえず、「鞘のない刀」に戻るのだけは避けられているんだ。
自分の何が嫌で、この先どうしたいのか。
それ一つが判っていたら十分なのかもしれない。
今はまだ、鏡の前で強気の笑顔を呼び起こして、少しの強気を薄く延ばして内側の脆さを隠して生きてるけれど、
大切に想ってる人のいいところも(本人が)好きでないところも丸抱えにして認めてあげたいと想ってるように、誰かが私を認めてくれたらいいなって想ってる。
そうすることでやがてこの作業から卒業できたらって想ってる。
竜樹さんの持っているものすべてを静かに受け入れるように、自分のすべてを静かに受け入れてもらえたらいいなって想ってるんだ。
そして、私が大切に想う人の持つものすべてを静かに受け入れてあげられたらいいなって想ってるんだ。
そのついでに、こんな私でも認めてもらえるならいいな。
今はただ、そう想ってるんだ。
傷のあるリンゴが頑張って甘くなろうとするように、私もまた自分の嫌な部分と向き合って、胸を張って生きれるようになろう。
…今はただ、そうやって歩いて行こうって想ってるんだ。
ちゃんと眠れてすっきりした顔やよく眠れずにすっきりしない顔。
化粧水はたいたって治らない時もあるし、妙にキレイに作れちゃう時もある。
ちゃんとメイクして出るときもあれば、化粧水と日焼け止め、口紅一つで家を出るときもある。
でも、たった一つ忘れないこと。
…強気の笑顔ひとつ湛えられるかどうか?
それ一つを自分の心に確認して、部屋を飛び出す。
今日もまた無意識にその作業をして部屋を出てから、気がついた。
「あ、今日は竜樹さんとは会えなかったんだ」
今日みたいに竜樹さんと会えない日でも、一日外に出ない日であっても。
強気の笑顔を引き連れていられるか?
それを自分の心に確認する作業は忘れない。
落ち込んでたり体調悪かったりしたら、きちんとした笑顔を連れてはいけないけれど。
一体いつからこの作業やってきたんだろうか?
笑顔の裏側に少しの強気とたくさんの脆さを隠すための強気の笑顔。
すべてを心の中で準備してから物事を始めるようになったのは。
強気の笑顔だけを見てたら、「何てこいつは自信に溢れたヤツ」って思うんだろうね?
本当はたくさんの脆さをなけなしの強気で守ってるのに。
それは一人でいても誰かといても同じ事のような気がしてたんだ。
心のどこかで「頼れるのは自分だけ」って思ってるから。
そしてその内側にいつでもあるのは、
「本当の自分を見せたら、どうなるんだろう?」って不安が一つ。
「好意」のアンテナが欠落してるからなのか、それとも「あの人」が言うように
人と交わることに向かない人間だからなのか、今となってはよく判らないけれど。
アウトゴーイングな笑顔は適当に人を寄せるらしい。
ついでに誤解も寄せるらしい。
「風切って歩いてるような、金岡ってカッコいいよね」
「おう、サンキュね(^_-)」
…心の中で「何処が?」って思ってた。
心の中で、「誰かの特別になりたい」と願いながら、
みんなに「自分の事を忘れて欲しい」って願ってる自分がいる。
そんなambivalence抱えてるから、誤魔化すために強気の笑顔でコーティングかけるようになっちゃったんだわさ。
一匹狼で居たら、恐いものなんて無かったからね。
信じるのも失望するのも自分ひとりで済むからね。
そう言いながら何人もの大切な人々にとっ捕まり、笑顔の裏の強気も脆さも見つかっちゃって、
恥ずかしい気持ちと、「こんな自分に失望されるのはごめんだぜ」って気持ちと、
「入れ物だけに寄ってきたんちゃん?」って疑いと、
「本当はいろんなことを把握した上で傍にいて欲しい」と願うエゴが絡み合って、
随分いろんな人を試したり傷つけたり、自分を騙したり裏切ったりしてきたんだ。
それでも見逃さずに「ちゃんと私を見てよ、ちゃんとあなたを見せてよ」
そう頭押さえ込んで言ってくれた友達や、
「何でも誤魔化して歩けばいいってもんじゃねぇだろ?」ってその手を離してはくれなかった人に支えられてここまできたんだと思う。
それをたまらなくありがたくも思うし、「本当にこれでいいのか」って思う自分もいる。
けれど完全にオープンに出来ない気持ちのまま、笑顔を呼び起こすための心の問いかけは続いてる。
多分、まだ続けることになるんだと思う。
「ここ」に来て、竜樹さんへの想いをありのまま綴って。
いつだって迷いが無いわけではないんだ。
竜樹さんへの想いに迷いがあるのではなくて、
ここで友達になった人にここまで話してしまってもいいものかって気持ち。
相変わらず、笑顔の裏側にある脆さは健在してて、それを知られて失望食らうのが嫌で、いつでも逃げ出せるように準備してる自分が居る。
あれやこれやエンドマークを考えながら歩く癖はここでもまた健在で。
「達磨さんが転んだ」状態を繰り広げてる気がする。
今は竜樹さんとの諸々のやりとりが穏やかだから、その感情は突出してはいないけれど。
書き留めるのに涙が伴うくらい辛気臭くてどうしようもない気持ちの時は、
書けども書けども、自分の無力さと惨めったらしさだけを思い知るだけのような気がして。
人の日記を見ても、僻んでばっかりで。
泣けてなけて仕方がなくて、人目があれば泣かずに済むかと会社で日記の下書き書いて。
昔みたいに自分の胸一つで収めて「鞘のない刀」に戻れば、きっともっと強い私になれるのにとまた嘆くの繰り返しで。
本当に情けなくて嫌になるんだ。
人と向き合うことでこんな後ろ暗い想いを抱えるならもういいや、一人になろうって思ってしまうんだ。
でも、それでは昔と一緒だから。
そんなことしたって「本当の強さ」も自分の望むものも手に入らないから。
もがきながらここに留まってる。
そうしてるうちにやがては、心暖かな出来事に遭えるから。
心暖かな人たちに会えるから。
その想い一つでなんとか維持してるんだ。
竜樹さんへの自分の想いを形にすること。
安直に自分のやりやすい方向に逃げないようにすること。
誰かに自分の想いを知ってもらいたかったこと。
そんな中で強気の笑顔や言葉の裏に本当は酷く臆病な脆さを孕んでいる、
こんな自分でも「それでいいんだよ」って言ってくれる誰かに出会えたらいいなって思ってる。
今は出会えなくても、いつかは出会えるかもしれないとそう思えるから。
とりあえず、「鞘のない刀」に戻るのだけは避けられているんだ。
自分の何が嫌で、この先どうしたいのか。
それ一つが判っていたら十分なのかもしれない。
今はまだ、鏡の前で強気の笑顔を呼び起こして、少しの強気を薄く延ばして内側の脆さを隠して生きてるけれど、
大切に想ってる人のいいところも(本人が)好きでないところも丸抱えにして認めてあげたいと想ってるように、誰かが私を認めてくれたらいいなって想ってる。
そうすることでやがてこの作業から卒業できたらって想ってる。
竜樹さんの持っているものすべてを静かに受け入れるように、自分のすべてを静かに受け入れてもらえたらいいなって想ってるんだ。
そして、私が大切に想う人の持つものすべてを静かに受け入れてあげられたらいいなって想ってるんだ。
そのついでに、こんな私でも認めてもらえるならいいな。
今はただ、そう想ってるんだ。
傷のあるリンゴが頑張って甘くなろうとするように、私もまた自分の嫌な部分と向き合って、胸を張って生きれるようになろう。
…今はただ、そうやって歩いて行こうって想ってるんだ。
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