生きている証し
2001年6月3日昨日、遅い夕食を食べながら竜樹さんと学校の話をしていた時。
今竜樹さんと仲良くしてる友達の話になったんだ。
竜樹さんにパソコンを教えてくれてる友達は21歳の男の子。
彼は竜樹さんよりもはるかに思い病気を抱えていて。
「命の刻限」がとうに見えてる人なんだとか。
随分前の日付の日記で「命の刻限」の話を書いたのだけれど。
竜樹さんに言わせると、「命の刻限」が判ってる学校の友達の考え方は、大きく二つのパターンに分かれるのだそう。
「死ぬまでに楽しく好きなことが出来たらいい、その日楽しく暮らせたらいい」っていう人と、
「死ぬまでに自分がやれることをやりたい。誰かに自分が持ってるものを分けることによって、その人の記憶の中で自分があればそれが生きた証しになるのだと思う」という人。
竜樹さんに今、パソコンを教えてくれている友達は後者なのだそう。
その友達の話をする竜樹さんの表情はどこか穏やかで、でもどことなく切なそうな感じもする。
来週末、竜樹さんに釣りに行こう誘ったのは、その友達だそうで。
そんな話を聞くと、喜んで送り出そうって気になった。
竜樹さんに自分の持ってる知識を分け与えることで、自分自身の生きた証しが残ればいいと思ってる人に何かを返してあげられるとしたら、きっと生きている間の楽しい記憶だけなんだから。
私が竜樹さんにしてあげられてないことを竜樹さんにしてくれている人なのだとしたら。
竜樹さんと楽しい思い出を共有することで、私もその人に何かしてあげられるのなら。
それはそれでいいって思ったんだ。
このところ、母とよく話すのだけれど。
「どうして、自ら死にたいと願うものには、(全員が全員そうではないだろうけれど)自分で死ななければ絶つことが出来ないほどの生命力や健康な身体があるのに、生きたいと願うものにはそれが与えられないんだろう」って。
その答は多分一生出ないんだろうけれど。
「命の刻限」が見えて初めて、他人に自分の持つものを与えることで生きてる証を立てられたらと思えるようになるのか。
それともそういう考え方を元々持つ素養のある人がたまたまそういう境遇だったのだか。
何がどうなのか、私には想像もつかないんだけど。
竜樹さんがそういう友達に出会えたこと。
そういう友達のために何か間接的にでも役に立てるのなら。
なんだかありがたいことだよなって思ったんだ。
そうして店を出て帰りの車の中。
「オレも10年後にはこんな風には出歩けなくなるんやろうからな。
あまり長く生きられないなら生きられないで、そんな風に誰かに自分の持つ知識とかを分かつことで誰かの中で生きてた証を立てられたらいいと思うねん」
淡々と竜樹さんはそう言ったんだ。
…何言ってんですか!そんなことを考える前に、「霄と共に生きよう」と考えてよぉ。
ばかぁぁぁぁぁぁぁぁっヽ(`⌒´)ノ
そう思わなかったわけじゃないけれど。
竜樹さんが言うこと、竜樹さんの友達が言うこと。
私だって考えたことあるからさ。
そう考えることの大基の部分はすんごいよく判るんだ。
だから、「命の刻限」が見えてる人が竜樹さんと遊んだり話したりする時間を欲しいと思うのなら。
それはそれで優先したげたい。
そう思うんだ。
…それでもまぁ、会うのが2週間先になることにがっかりしなかった訳じゃないんだけどさ
淡々と車を走らせる竜樹さん。
複雑な想いを抱えて黙り込んでる私。
竜樹さんの車は容赦なく家に向かってる。
あと、家まで15分くらいってところに差し掛かったとき。
竜樹さんは車のスピードを少し落としだした。
…ん?
竜樹さん、珍しく(?)じゃれモードが入ってる(゜o゜)
時計はもう23時回ってる。
こないだも遅くなったし、これ以上遅くなるわけにもいかない。
…だいたい、竜樹さん。明日法事で一日大変とか言ってなかったぁ〜?(-_-;)
なのに、なかなか家に向かおうとしない。
ぐるぐるとあてもなく車を走らせる竜樹さん。
「このまま『お持ち帰り』したいわ…」
…「お持ち帰り」したら、あなただって大変でしょうがぁ
このままお持ち帰りしたら、どうせ体調不良起こして法事には出ないでしょう?
法事不参加なんてやろうもんなら、竜樹さん家の人に大目玉食らうだろうし、
私だって堂々と「朝帰り」演じようものなら、金岡両親にがっちり焼き入れられるってばさぁ(T_T)
じゃれモードの竜樹さんは、そんなことはお構い無しに運転しながら私に触ってくる。
しかもかなり甘えたモード入るし…(*-_-*)
…いや、それは嬉しいんですけど、今日はもうだめでしょうがヽ(`⌒´)ノ
いい加減、煽るのはよしましょうよぉ〜(T^T)
結局、30分近く迷走を繰り広げて、ようやく決着。
(途中、とんでもないことが起こったりしてんけど…(^-^;)
お互いになかなかお別れが切り出せなくて、車の中でまだぐずぐず。
ようやっと、二人は意を決して(笑)お別れした。
…家に帰ったら、がっちり焼き入れられましたけど。金岡(-_-;)
しかも、一日の終わりに珍しいことがあったもんだから、明け方まで寝られなかったよ、私(^^ゞ
別にとりたてて、「特別」なことがあった訳じゃない。
だけど、どの場面を思い返しても心にほの暖かい感情が流れるような気がしたんだ。
何気ない場面であっても、心の中に暖かな感情は芽生えるもんなんだね?
そんなささやかなことが判ったような、一日だったんだ。
そして、何気に場面からそんな暖かなものを感じ取りながら、生きている証しを立てていくのだろうか?
誰かと自分がいた時間を共有すること、そうしたことの記憶。
そのすべてがいつか自分が生きた証しとなるのだろうか?
そんな想いもまた抱えることになった一日でもあったんだ。
…結局、一夜明けた日曜日は何もせずに昨日買ってきた本を読んだり、日記を書いたり、昼寝の誘惑に負けたり(爆)。
忙しいような暇なようなよく判らない一日を過ごしてしまった。
明日からまた1週間。
来週は週末会えないけれど。
平日に竜樹さんが「気まぐれ」を起こして、
迎えに来てくれることに期待をしよう(*^_^*)
来週がちょっとは機嫌のいい1週間になりますように。
竜樹さんが「気まぐれ」を起こせるほどの、体力的余裕が残ってますように。
私も早く、元気になれますように。
今竜樹さんと仲良くしてる友達の話になったんだ。
竜樹さんにパソコンを教えてくれてる友達は21歳の男の子。
彼は竜樹さんよりもはるかに思い病気を抱えていて。
「命の刻限」がとうに見えてる人なんだとか。
随分前の日付の日記で「命の刻限」の話を書いたのだけれど。
竜樹さんに言わせると、「命の刻限」が判ってる学校の友達の考え方は、大きく二つのパターンに分かれるのだそう。
「死ぬまでに楽しく好きなことが出来たらいい、その日楽しく暮らせたらいい」っていう人と、
「死ぬまでに自分がやれることをやりたい。誰かに自分が持ってるものを分けることによって、その人の記憶の中で自分があればそれが生きた証しになるのだと思う」という人。
竜樹さんに今、パソコンを教えてくれている友達は後者なのだそう。
その友達の話をする竜樹さんの表情はどこか穏やかで、でもどことなく切なそうな感じもする。
来週末、竜樹さんに釣りに行こう誘ったのは、その友達だそうで。
そんな話を聞くと、喜んで送り出そうって気になった。
竜樹さんに自分の持ってる知識を分け与えることで、自分自身の生きた証しが残ればいいと思ってる人に何かを返してあげられるとしたら、きっと生きている間の楽しい記憶だけなんだから。
私が竜樹さんにしてあげられてないことを竜樹さんにしてくれている人なのだとしたら。
竜樹さんと楽しい思い出を共有することで、私もその人に何かしてあげられるのなら。
それはそれでいいって思ったんだ。
このところ、母とよく話すのだけれど。
「どうして、自ら死にたいと願うものには、(全員が全員そうではないだろうけれど)自分で死ななければ絶つことが出来ないほどの生命力や健康な身体があるのに、生きたいと願うものにはそれが与えられないんだろう」って。
その答は多分一生出ないんだろうけれど。
「命の刻限」が見えて初めて、他人に自分の持つものを与えることで生きてる証を立てられたらと思えるようになるのか。
それともそういう考え方を元々持つ素養のある人がたまたまそういう境遇だったのだか。
何がどうなのか、私には想像もつかないんだけど。
竜樹さんがそういう友達に出会えたこと。
そういう友達のために何か間接的にでも役に立てるのなら。
なんだかありがたいことだよなって思ったんだ。
そうして店を出て帰りの車の中。
「オレも10年後にはこんな風には出歩けなくなるんやろうからな。
あまり長く生きられないなら生きられないで、そんな風に誰かに自分の持つ知識とかを分かつことで誰かの中で生きてた証を立てられたらいいと思うねん」
淡々と竜樹さんはそう言ったんだ。
…何言ってんですか!そんなことを考える前に、「霄と共に生きよう」と考えてよぉ。
ばかぁぁぁぁぁぁぁぁっヽ(`⌒´)ノ
そう思わなかったわけじゃないけれど。
竜樹さんが言うこと、竜樹さんの友達が言うこと。
私だって考えたことあるからさ。
そう考えることの大基の部分はすんごいよく判るんだ。
だから、「命の刻限」が見えてる人が竜樹さんと遊んだり話したりする時間を欲しいと思うのなら。
それはそれで優先したげたい。
そう思うんだ。
…それでもまぁ、会うのが2週間先になることにがっかりしなかった訳じゃないんだけどさ
淡々と車を走らせる竜樹さん。
複雑な想いを抱えて黙り込んでる私。
竜樹さんの車は容赦なく家に向かってる。
あと、家まで15分くらいってところに差し掛かったとき。
竜樹さんは車のスピードを少し落としだした。
…ん?
竜樹さん、珍しく(?)じゃれモードが入ってる(゜o゜)
時計はもう23時回ってる。
こないだも遅くなったし、これ以上遅くなるわけにもいかない。
…だいたい、竜樹さん。明日法事で一日大変とか言ってなかったぁ〜?(-_-;)
なのに、なかなか家に向かおうとしない。
ぐるぐるとあてもなく車を走らせる竜樹さん。
「このまま『お持ち帰り』したいわ…」
…「お持ち帰り」したら、あなただって大変でしょうがぁ
このままお持ち帰りしたら、どうせ体調不良起こして法事には出ないでしょう?
法事不参加なんてやろうもんなら、竜樹さん家の人に大目玉食らうだろうし、
私だって堂々と「朝帰り」演じようものなら、金岡両親にがっちり焼き入れられるってばさぁ(T_T)
じゃれモードの竜樹さんは、そんなことはお構い無しに運転しながら私に触ってくる。
しかもかなり甘えたモード入るし…(*-_-*)
…いや、それは嬉しいんですけど、今日はもうだめでしょうがヽ(`⌒´)ノ
いい加減、煽るのはよしましょうよぉ〜(T^T)
結局、30分近く迷走を繰り広げて、ようやく決着。
(途中、とんでもないことが起こったりしてんけど…(^-^;)
お互いになかなかお別れが切り出せなくて、車の中でまだぐずぐず。
ようやっと、二人は意を決して(笑)お別れした。
…家に帰ったら、がっちり焼き入れられましたけど。金岡(-_-;)
しかも、一日の終わりに珍しいことがあったもんだから、明け方まで寝られなかったよ、私(^^ゞ
別にとりたてて、「特別」なことがあった訳じゃない。
だけど、どの場面を思い返しても心にほの暖かい感情が流れるような気がしたんだ。
何気ない場面であっても、心の中に暖かな感情は芽生えるもんなんだね?
そんなささやかなことが判ったような、一日だったんだ。
そして、何気に場面からそんな暖かなものを感じ取りながら、生きている証しを立てていくのだろうか?
誰かと自分がいた時間を共有すること、そうしたことの記憶。
そのすべてがいつか自分が生きた証しとなるのだろうか?
そんな想いもまた抱えることになった一日でもあったんだ。
…結局、一夜明けた日曜日は何もせずに昨日買ってきた本を読んだり、日記を書いたり、昼寝の誘惑に負けたり(爆)。
忙しいような暇なようなよく判らない一日を過ごしてしまった。
明日からまた1週間。
来週は週末会えないけれど。
平日に竜樹さんが「気まぐれ」を起こして、
迎えに来てくれることに期待をしよう(*^_^*)
来週がちょっとは機嫌のいい1週間になりますように。
竜樹さんが「気まぐれ」を起こせるほどの、体力的余裕が残ってますように。
私も早く、元気になれますように。
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