「しあわせ」の意味
2001年5月19日今日は休養日。
朝起きて、暫くしてから竜樹さんに電話したんだけど。
相変わらず、ちょっとしんどそうで、片付けないといけない用事すら片付けられるかどうか判らないとのこと。
明日、天気がよくて竜樹さんが元気なら手伝うと約束して、電話を切る。
外は快晴、絶好のお出かけ日和なんだけど。
こんな風にたとえしんどくても、お出かけロハになっても、ちゃんと「竜樹さん」が見えるなら、不安にもならないし、がっかりもしない。
今日一日、私も片付けないといけないことを片付けよう。
そう思って過ごした。
…何気に用事をしながら、昨日から考え続けてることの答を探す。
昨日、マミちゃんの舞台を見ながら時々考えていたことがあった。
それを考えるきっかけとなったのは、友達の話し掛けだった。
「しあわせ」って人が決める事じゃなくて、
自分が「しあわせ」って思えれば、
それが「しあわせ」なんだよね?
…自分にとっての「しあわせ」の意味。
家を出てからずっと考えてた。
竜樹さんと一緒にい始めた頃。
竜樹さんがまだ元気だった頃。
私は竜樹さんの暖かな笑顔に守られてた。
彼がどんな気持ちを抱いているのか、今よりもっとはっきり判った気がする。
状況がどれほど困難を極めてても、竜樹さんの想い一つで幸せになれた気がするんだ。
竜樹さんが病に倒れてから。
竜樹さんとただ一緒にいたくて。
竜樹さんを守りたくて。
一生懸命、困難を乗り越えるのに必死だった。
竜樹さんの想いは、自身の苦しみのせいで判りにくくなってたけれど、
竜樹さんへの想い一つで戦えた気がしたんだ。
竜樹さんの気持ち、私の気持ち。
それだけを信じて歩いてる私は、きっと傍目に見るより幸せだったんだと今なら思える。
やがて、闇は底を打ったけれど…
二人が求めるものが少しずつ贅沢になってきたのか。
それとも互いの中で「何か」が変わったのか。
ちょっとずつずれてきてる気がして、相手に対して不満に思う気持ち。
何より相手の想いを疑う気持ちと不安な気持ちだけが突出するようになる。
竜樹さんの置かれてる状況も私が置かれてる情況も一時に比べてずっとよくなってるはずなのに。
何で一人になると疑うんだろう?
二人の気持ちがヘンなぶつかり方をするんだろう?
「二人でずっと一緒にいよう」
目指してる道は同じであるはずなのに。
何かに縛られてる?
互いの理想に相手を押し込もうとしてる?
上手くいかないことを気持ちの有無にこかしてない?
見つめれば見つめるほど、信じられるものが減ってきてることに気がついたんだ。
お互いに会ってちゃんと向き合えば、暖かな笑顔が飛び出すのに。
暖かい時間を過ごせるのに。
何でなんだろうね?
何かの枠に入れることで「幸せな気持ち」から遠ざかるなら、枠組みに押し込まなければいいんじゃないかと思う私。
でも、二人の関係を確かなものにするための枠組みを作ろうと頑張ってる竜樹さん。
「二人で一緒にいる」ってことを目指してるはずなのに。
これではちっとも「幸せ」ではないじゃないか?
そう思うと、何処にいてても何をしてても考えてしまうんだ。
「どうすれば、二人がともに心から『幸せ』だと思えるんだろう?」って。
「結婚っていうのは『契約』だ」
マミちゃんの舞台でも似たような台詞が出てきたし、こないだ放課後に竜樹さんと会った時、そんなことを言われた。
…二人の関係を「契約」なんて型に押し込まなくたって幸せになれるんじゃないの?
そう思ったりもするんだけど。
今一度、ゆっくり、でも出来るだけ早く結論が出せるよう、ちょっと考えてみよう。
…そして、まず真っ先にクリアしないといけない課題。
それは、「相手の想いを疑わないこと」
私はただでさえ、好意に鈍感なんだから。
竜樹さんの「想い」をちゃんとキャッチできるよう、もう少しだけ「好意のアンテナ」の感度を上げてやろう。
そしたら、また機嫌よく歩いていけるかな?
その先に、「二人のめざす『しあわせ』は見えてくるのかな?」
私が望む「しあわせ」の形はおおよそ検討ついてるんだ。
あとは竜樹さんが望む「しあわせ」の形と上手にすり合わせる努力をする。
そのためには、逃げずに向かい合うこと。
テレずに気持ちを差し出しあえること。
そういうのが必要なのかもしれないね。
私の中の「しあわせ」の意味と竜樹さんの中の「しあわせ」の意味。
それを二人ですり合わせていけた時、やっと二人の「しあわせ」が見えるのかもしれない。
その結果がわかるその日まで。
二人がそっぽ向かずに向き合えたらいいな。
二人で「しあわせ」の形を作れたらいいな。
…そうできたなら、
それが一番の「しあわせ」かもしれないね(*^_^*)
朝起きて、暫くしてから竜樹さんに電話したんだけど。
相変わらず、ちょっとしんどそうで、片付けないといけない用事すら片付けられるかどうか判らないとのこと。
明日、天気がよくて竜樹さんが元気なら手伝うと約束して、電話を切る。
外は快晴、絶好のお出かけ日和なんだけど。
こんな風にたとえしんどくても、お出かけロハになっても、ちゃんと「竜樹さん」が見えるなら、不安にもならないし、がっかりもしない。
今日一日、私も片付けないといけないことを片付けよう。
そう思って過ごした。
…何気に用事をしながら、昨日から考え続けてることの答を探す。
昨日、マミちゃんの舞台を見ながら時々考えていたことがあった。
それを考えるきっかけとなったのは、友達の話し掛けだった。
「しあわせ」って人が決める事じゃなくて、
自分が「しあわせ」って思えれば、
それが「しあわせ」なんだよね?
…自分にとっての「しあわせ」の意味。
家を出てからずっと考えてた。
竜樹さんと一緒にい始めた頃。
竜樹さんがまだ元気だった頃。
私は竜樹さんの暖かな笑顔に守られてた。
彼がどんな気持ちを抱いているのか、今よりもっとはっきり判った気がする。
状況がどれほど困難を極めてても、竜樹さんの想い一つで幸せになれた気がするんだ。
竜樹さんが病に倒れてから。
竜樹さんとただ一緒にいたくて。
竜樹さんを守りたくて。
一生懸命、困難を乗り越えるのに必死だった。
竜樹さんの想いは、自身の苦しみのせいで判りにくくなってたけれど、
竜樹さんへの想い一つで戦えた気がしたんだ。
竜樹さんの気持ち、私の気持ち。
それだけを信じて歩いてる私は、きっと傍目に見るより幸せだったんだと今なら思える。
やがて、闇は底を打ったけれど…
二人が求めるものが少しずつ贅沢になってきたのか。
それとも互いの中で「何か」が変わったのか。
ちょっとずつずれてきてる気がして、相手に対して不満に思う気持ち。
何より相手の想いを疑う気持ちと不安な気持ちだけが突出するようになる。
竜樹さんの置かれてる状況も私が置かれてる情況も一時に比べてずっとよくなってるはずなのに。
何で一人になると疑うんだろう?
二人の気持ちがヘンなぶつかり方をするんだろう?
「二人でずっと一緒にいよう」
目指してる道は同じであるはずなのに。
何かに縛られてる?
互いの理想に相手を押し込もうとしてる?
上手くいかないことを気持ちの有無にこかしてない?
見つめれば見つめるほど、信じられるものが減ってきてることに気がついたんだ。
お互いに会ってちゃんと向き合えば、暖かな笑顔が飛び出すのに。
暖かい時間を過ごせるのに。
何でなんだろうね?
何かの枠に入れることで「幸せな気持ち」から遠ざかるなら、枠組みに押し込まなければいいんじゃないかと思う私。
でも、二人の関係を確かなものにするための枠組みを作ろうと頑張ってる竜樹さん。
「二人で一緒にいる」ってことを目指してるはずなのに。
これではちっとも「幸せ」ではないじゃないか?
そう思うと、何処にいてても何をしてても考えてしまうんだ。
「どうすれば、二人がともに心から『幸せ』だと思えるんだろう?」って。
「結婚っていうのは『契約』だ」
マミちゃんの舞台でも似たような台詞が出てきたし、こないだ放課後に竜樹さんと会った時、そんなことを言われた。
…二人の関係を「契約」なんて型に押し込まなくたって幸せになれるんじゃないの?
そう思ったりもするんだけど。
今一度、ゆっくり、でも出来るだけ早く結論が出せるよう、ちょっと考えてみよう。
…そして、まず真っ先にクリアしないといけない課題。
それは、「相手の想いを疑わないこと」
私はただでさえ、好意に鈍感なんだから。
竜樹さんの「想い」をちゃんとキャッチできるよう、もう少しだけ「好意のアンテナ」の感度を上げてやろう。
そしたら、また機嫌よく歩いていけるかな?
その先に、「二人のめざす『しあわせ』は見えてくるのかな?」
私が望む「しあわせ」の形はおおよそ検討ついてるんだ。
あとは竜樹さんが望む「しあわせ」の形と上手にすり合わせる努力をする。
そのためには、逃げずに向かい合うこと。
テレずに気持ちを差し出しあえること。
そういうのが必要なのかもしれないね。
私の中の「しあわせ」の意味と竜樹さんの中の「しあわせ」の意味。
それを二人ですり合わせていけた時、やっと二人の「しあわせ」が見えるのかもしれない。
その結果がわかるその日まで。
二人がそっぽ向かずに向き合えたらいいな。
二人で「しあわせ」の形を作れたらいいな。
…そうできたなら、
それが一番の「しあわせ」かもしれないね(*^_^*)
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