僻み
2001年3月16日昨晩、友達からメールがひとつ。
…とてもご機嫌斜めなメールだった。
何でも大学の時の友達が来月結婚するとかで、惚けたメールが届いたそう。
彼女も外国籍の彼と一緒に住んでて(入籍はしてないようだけど)
幸せなのだとばかり思ってたのに、かなりご機嫌斜め。
「(私に)関係ない人なんだから、結婚した後に報告はがきを送ってくれたらそれで十分なのに。
どうでもいいようなメール送ってこないでよって思うのは、未婚者の僻みでしょうか?」
…ちょいと返事に困ってしまった。
こんな感情は数ヶ月前まで私が彼女に対して抱いていたそれと大差ないもの。
「精神的にしんどい時にまたタイミング悪くやってきたなぁ。気の毒に」
心底、そう思ったけれど。
「あの頃、私があなたからのメールを読んでどんなに辛かったか、
やっと判った?」
そんな冷たい感情が一瞬よぎったせいで、
すぐに返事をする気にはならなかった。
自分に余裕があるときは、友達の幸せもありのまま受け止められるよね?
でも、自分に余裕がなくなったときまでそうできるかって言われたら…
ごめん、判らへん。
本当は自分の立場を振り返ることなく、自分の大切な人のこと喜んであげられるのが、人間的に間口の広い、私が理想とするあり方だと思ってるけれど。
そんなに巧く感情をコントロールできたら、悩んだり苦しんだりせぇへんよなって思う。
彼女は今の彼に巡り会うまで結構辛い恋愛を繰り返してたから、
今の彼といて精神的に安定してると聞いたときはとても嬉しかった。
っていうより、かなり安心した。
…もう私が心配せんでもええねんなって
ただ、彼女が今の彼と熱い恋愛を展開してる頃、こちらはかなり行き詰まった状態だった。
竜樹さんの背中の痛みが取れない、長い時間体を起こしたり歩いたり出来ない。
それをどうすることも出来ない状態。
執刀医に相談しても「痛みが取れる保障はしてない」と言われるし、
月一の割合で有給を取っては病院を変えて診察を受けるのに付き合うという日々。
らぶらぶメールがパソコンに飛び込んできても、正直返事をするのに困った。
心から大切に思ってる友達に心から出てきたものでない作られた言葉を返すのも、尖った心から飛び出した言葉をそのまま返すのも嫌で、暫くレスが返せない。
でも、切羽詰って返事せんなんようになると、どこまでも冷静に言葉を作れなくて、結構ひどいこと言ってしまった気がする。
それこそ、どこに相談することも出来ず、愚痴たれることもできず。
切羽詰った心の中から飛び出した、突き刺さるような言葉を彼女に返してしまった。
その結果、「私もあなたの精神状態を受け入れられるほどの精神的余裕はないのだ」という結構なお言葉頂いてしまったり。
「…あ、人間ってこんなもんなんやなぁ」
他人にも、何より大人気ない自分にも失望して、上手くいかない現実にも失望して、
でも、壊れたり投げたり出来ないまま生活続けて。
ここまできた。
…尤も、竜樹さんの健康状態はマシになったとはいえ、精神的にしんどいことをたくさん抱えてる状態に変わりはないんだけれど
人の気持ちの中にある、鈍色の感情の一つ。
…僻み
妬みは他人に向かうけど、僻みは自分に向かってくる気がする。
他人を見てわが身振り返っていじけるような感覚。
自分は自分って思って生きていきたくても、捕まっちまう感情。
それをどう乗り越えてくのか、それこそ経験せんと判らないこと。
でも、僻みを呼び起こす出来事は形を変えて何度となくやってくる。
その度に他人を妬み、鈍色の刃が自分に返ってくる。
非常に嫌な感覚。
…せめてその鈍色の感情を乗り越えられなくても、その感情を知ることで自分が大切に思う人と向き合い、経験則でフォローしあえたらって思う。
メールを貰ってから数時間後、やっと返事が書けた。
「自分と比べるなって言っても、自分がしんどいと きは自分のことしか見えないものだし、無意識に比べたりもするし。
別におかしいことやないよ。
僻みだなんて言わせとけ(笑)
辛いこともあるけど、きっといいこともあるから、
マイペースで歩いて行こうぜ!」
そう書いて送信する。
彼女はこの言葉、どう受け取ってくれるだろうか?
私はこの言葉をどう体現できるだろうか?
どれもこれもさっぱり判らへんけど…
鈍色の感情も人間を作り上げるには必要な感情。
それをどう生かしていくのかは、ホント自分次第。
彼女に送った言葉は自分自身にも送信された言葉。
「僻みだなんて言わせとけ(笑)
辛いこともあるけど、きっといいこともあるから、
マイペースで歩いて行こうぜ!」
…とてもご機嫌斜めなメールだった。
何でも大学の時の友達が来月結婚するとかで、惚けたメールが届いたそう。
彼女も外国籍の彼と一緒に住んでて(入籍はしてないようだけど)
幸せなのだとばかり思ってたのに、かなりご機嫌斜め。
「(私に)関係ない人なんだから、結婚した後に報告はがきを送ってくれたらそれで十分なのに。
どうでもいいようなメール送ってこないでよって思うのは、未婚者の僻みでしょうか?」
…ちょいと返事に困ってしまった。
こんな感情は数ヶ月前まで私が彼女に対して抱いていたそれと大差ないもの。
「精神的にしんどい時にまたタイミング悪くやってきたなぁ。気の毒に」
心底、そう思ったけれど。
「あの頃、私があなたからのメールを読んでどんなに辛かったか、
やっと判った?」
そんな冷たい感情が一瞬よぎったせいで、
すぐに返事をする気にはならなかった。
自分に余裕があるときは、友達の幸せもありのまま受け止められるよね?
でも、自分に余裕がなくなったときまでそうできるかって言われたら…
ごめん、判らへん。
本当は自分の立場を振り返ることなく、自分の大切な人のこと喜んであげられるのが、人間的に間口の広い、私が理想とするあり方だと思ってるけれど。
そんなに巧く感情をコントロールできたら、悩んだり苦しんだりせぇへんよなって思う。
彼女は今の彼に巡り会うまで結構辛い恋愛を繰り返してたから、
今の彼といて精神的に安定してると聞いたときはとても嬉しかった。
っていうより、かなり安心した。
…もう私が心配せんでもええねんなって
ただ、彼女が今の彼と熱い恋愛を展開してる頃、こちらはかなり行き詰まった状態だった。
竜樹さんの背中の痛みが取れない、長い時間体を起こしたり歩いたり出来ない。
それをどうすることも出来ない状態。
執刀医に相談しても「痛みが取れる保障はしてない」と言われるし、
月一の割合で有給を取っては病院を変えて診察を受けるのに付き合うという日々。
らぶらぶメールがパソコンに飛び込んできても、正直返事をするのに困った。
心から大切に思ってる友達に心から出てきたものでない作られた言葉を返すのも、尖った心から飛び出した言葉をそのまま返すのも嫌で、暫くレスが返せない。
でも、切羽詰って返事せんなんようになると、どこまでも冷静に言葉を作れなくて、結構ひどいこと言ってしまった気がする。
それこそ、どこに相談することも出来ず、愚痴たれることもできず。
切羽詰った心の中から飛び出した、突き刺さるような言葉を彼女に返してしまった。
その結果、「私もあなたの精神状態を受け入れられるほどの精神的余裕はないのだ」という結構なお言葉頂いてしまったり。
「…あ、人間ってこんなもんなんやなぁ」
他人にも、何より大人気ない自分にも失望して、上手くいかない現実にも失望して、
でも、壊れたり投げたり出来ないまま生活続けて。
ここまできた。
…尤も、竜樹さんの健康状態はマシになったとはいえ、精神的にしんどいことをたくさん抱えてる状態に変わりはないんだけれど
人の気持ちの中にある、鈍色の感情の一つ。
…僻み
妬みは他人に向かうけど、僻みは自分に向かってくる気がする。
他人を見てわが身振り返っていじけるような感覚。
自分は自分って思って生きていきたくても、捕まっちまう感情。
それをどう乗り越えてくのか、それこそ経験せんと判らないこと。
でも、僻みを呼び起こす出来事は形を変えて何度となくやってくる。
その度に他人を妬み、鈍色の刃が自分に返ってくる。
非常に嫌な感覚。
…せめてその鈍色の感情を乗り越えられなくても、その感情を知ることで自分が大切に思う人と向き合い、経験則でフォローしあえたらって思う。
メールを貰ってから数時間後、やっと返事が書けた。
「自分と比べるなって言っても、自分がしんどいと きは自分のことしか見えないものだし、無意識に比べたりもするし。
別におかしいことやないよ。
僻みだなんて言わせとけ(笑)
辛いこともあるけど、きっといいこともあるから、
マイペースで歩いて行こうぜ!」
そう書いて送信する。
彼女はこの言葉、どう受け取ってくれるだろうか?
私はこの言葉をどう体現できるだろうか?
どれもこれもさっぱり判らへんけど…
鈍色の感情も人間を作り上げるには必要な感情。
それをどう生かしていくのかは、ホント自分次第。
彼女に送った言葉は自分自身にも送信された言葉。
「僻みだなんて言わせとけ(笑)
辛いこともあるけど、きっといいこともあるから、
マイペースで歩いて行こうぜ!」
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